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□一年後の白黒サンタの物語
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【黒サンタのおはなし】





子供には玩具を、大人には魔法を。

サンタクロースは寝ている間にやってくる。





無機質で暗く、音のない世界。

空気はひどく乾燥し、指先をかさつかせている。

空調は喉を荒らすので、随分前に消してしまった。

夜も更け、窓側から徐々に冷え込んできたが、あえて気づかないふりをする。

時計を見れば、日付が変わったばかりの時間を指していた。

机の上にはこれといって目立つ書類もなく、ノートパソコンが一台、液晶画面を煌々と光らせているだけだ。

胸ポケットから取り出した煙草の箱から中身を一本取り出し、火をつける。

フロアは禁煙だが、誰もいない今なら吸ってもバレないだろう。

幸い俺の席はスプリンクラーからも遠く、多少の火では何事も起こらないと経験済だ。

この時間は腹が減るわけでもないのに、やたらと口寂しくなっていけない。

そんな言い訳を思い浮かべながら、煙を細長くゆっくりと吐き出してみる。

鼻先をくすぐる煙は、部屋の出口を探して、あてもなく消えていった。

密室に近い空間は閉塞的で、夜空も見えない。

息苦しさを覚えた俺は、無意識のうちに首元のネクタイを掴み結び目を緩めてしまう。

ありがちな、ごく普通の夜。

だが、街中の喧騒は今宵を飾りつけようと滑稽なほど懸命になっていた。





今夜が特別な夜だと、一体誰が決めたのか。

少なくとも街は今日のためにありとあらゆる準備を行い、聖なる夜を精一杯演出しようとしているのだろう。

それはそれで悪くないかもしれないが、俺はこの日の扱いに毎年手を焼いていた。

今日がどんな日なのか人並みには知っているが、何か特別なことなどできた試しがない。

他人の誕生日を口実や誘い文句代わりにしてしまうなんて馬鹿げている。

思ったままそう口にすれば、大抵の女は眉を潜めた。

この仕事についてからは不規則な生活が祟り、カレンダー上のイベントすら満足にこなせない。

繰り返されるのは、忙殺寸前まで神経をすり減らす日々。

煙草以外に気を休める方法はないと半ば諦め気味の俺に、どういうわけかプレゼントが用意されていたのが一年前のこと。



去年の今頃、ソイツとここで。







ふと目を開ければ、夢と現実の区別がつかないほど視界は暗くなっていた。

座り心地のよくない椅子に背を預けて眠っていたらしく、骨と筋が少々痛い。

胃が空腹を訴えて、鈍い音を低く鳴らした。

まだ夕飯を食っていなかったが、生憎食料と呼べそうなものは何も持ち合わせていない。

時間も遅いし、何より明日は午前中から地方演説を行う議員に同行する任務がある。

ただでなくても人手不足な班なので、寝坊するわけにいかない。

明日の予定を頭の中でぼんやりとなぞらえながら、二本目の煙草に火をつける。

フィルターを口にすれば、空腹もいくらか紛れた。

火は小さな熱を持ち、微かな光を闇に浮かべる。

煙草の火は闇を照らす光となれなくても、存在証明くらいにはなるのかもしれない。

灰がこぼれそうになったところで、引き出しの奥に隠してある灰皿へと吸い殻を処分する。

机の隅に置いてあった飲みかけの缶コーヒーを口にすると、香りのない黒い液体はすっかり冷え切っていた。

砂糖もミルクも入っていないのに、舌の上でやけにざらつく。

後味として渋みだけが残り、不快感を覚えてしまった。

「…帰るか。」

もう一度背もたれに寄り掛かれば、椅子は軋みながら俺の言葉を肯定する。

今日中にしなければならない業務は既に片付いていたし、明日の日程表にも目を通してあった。

週報は書き上げ近藤さんに提出済、今度のミーティングの議題に関する資料まで打ち込んである。

ここまで仕事がはかどったのは久しぶりだ。

今夜は早く帰って眠るのが得策だろう。

一人暮らしをしているマンションに、あの部屋に。

本当なら浮き足立っていいはずなのに、そこまで想像した俺はなぜか立ちすくんでしまう。

冷たいベッドで寝るのが億劫だなんて、どうしてそんな我儘なことを一瞬でも考えてしまうようになったのか。

耳元に届くアイツの寝息が心地良く感じられるようになったのは、いつからか。

大体、ここ数週間の激務を理由に、プレゼントもまだ準備していない。

アイツは一体何を好むのだろう。

一年前の今日から始まり、メシを食ったり二人で朝を迎えたりして、距離を縮めてきたつもりだった。

それでも、俺はアイツを十分理解できているとは言えないのかもしれない。

例えば今夜、任務帰りのアイツはフロアで何を思うのか。

今日の反省、明日の仕事。

他には何が。





「土方さん?」

聞き慣れた声のするほうへ顔を向ければ、そこにはソイツの姿があった。

「…脅かすなよ、」

「それはこっちの台詞です、どうしてこんな時間まで…うわ、煙草臭い。」

「仕事が溜まってた。」

「ああ…そういえば土方さんの机、書類まみれでしたよね。」

露骨に顔をしかめ、コートとストールを手にしたコイツは、明日の予定も確認せずに帰り支度を始める。

せめて一緒に帰りながら今日の埋め合わせについて話そうと思ったとき、フロアに冷たい風が入り込んできた。

身を切るような北風は、凛とした空気を運んでくる。

「何してんだ、オマエ」

「帰る前に少しでも換気しないと。ここで煙草を吸ったのがバレたら、叱られるのは近藤さんですから。それに、」

ほら、と言いながら笑うソイツの目線を追えば、窓の外は白い雪がちらちらと柔らかくこぼれ始めている。

雪化粧というにはまだ降り始めたばかりで、辺りは暗く、空は薄ら白い。

「雪ですよ、明日積もるかな。」

「…積もったら任務が面倒だぞ。」

「いいじゃないですか、土方さんと雪を見れるなんて滅多にないですし。」

そう言いながら、コイツは屈託なく笑った。



そうだ。

この夜が特別なんじゃない。

コイツがこういう顔をするから、寒くて凍えそうな今夜ですら存外悪くないと思えてしまうのだ。





「土方さん、プレゼントは何がいいですか?」

「…は?」

「実はまだ何も準備してなくて…土方さんからホワイトクリスマスをもらっちゃったお礼です。」

窓の外へと手を伸ばし、雪を捕まえようとする仕草は危なっかしくて見ていられない。

そう思うのと同時に、俺の手は自然とソイツの手を掴んでいた。

「どうしました?」

気をつけろと呆れながらたしなめれば、コイツは嬉しそうに笑って俺の手を握り返してくる。

「捕まえる相手、間違えてるだろ」

「え?」

「雪じゃなくて、」

俺にしとけと言う前に、コイツの腹の虫が互いの言葉を攫ってしまった。

「…すみません、夕飯まだなんです。」

「俺もだ。コンビニに寄って帰るぞ。」

「ケーキも買っていいですか?」

「ああ。」

他愛ない話をしながら、窓を閉めて戸締りをする。



去年はここでコイツが俺を待っていた。

今年はここで俺がコイツを待っていた。

来年だって、きっと。







絡めた指を離すタイミングは、コイツがホールのケーキを抱えるときだろう。

それまでの短い時間は指先で体温を分かち合い、その後はもっと深いところで繋がりあえばいい。



外へと一歩踏み出せば、二人分の吐息は雪と同じくらい白くなって空へと消えた。










Fin



黒の君には、雪を溶かす熱を。

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