clapping

□宵待ちシガレッタ
3ページ/11ページ






【第三夜 現世】





儚いものほど尊くて、散るからこそ美しい。

滑稽な謳い文句で、生を容易く売り飛ばす。





夕陽が沈む頃、畳が橙色に染まりゆく部屋は雑然としていた。

机の上に重なった書類は今にも崩れそうな高さで、急須と茶碗を並べる場所すらない。

仕方ないので盆の上に載せたまま畳の上に置いてみたが、何かの拍子にひっくり返してしまいそうだった。

灰皿は吸い殻で溢れ返り、煙草の煙がやけにまとわりつく。

そんな部屋に入るなり顔をしかめた山崎は、換気と報告を勝手に始めた。

今夜コイツは徹夜の張り込みがあり、明朝まで屯所に帰らない。

俺もこの後は幕府高官共の接待に近藤さんと同席する予定だ。

互いの忙しさを考慮してか、山崎の報告はいつも以上に淡々としていて無駄がなかった。

転海屋の一件から発展した武器密輸ルートの摘発、攘夷活動を行う連中で目立つ動きを見せている組織。

幕府内部の闇取引に関する案件に、隊士達の休暇申請。

連絡事項を簡潔にまとめた書類を流し読みし、足りない部分は調べ直すよう指示した俺は煙草の箱を手にした。

煙草屋の女からもらった煙草は最後の一本になっていたが、躊躇いなく火をつけて煙を吐き出す。

山崎は露骨に眉を寄せてから、嫌味ったらしく悪態をついた。

「俺、絶対に肺癌で死にます」

「オマエは煙草吸ってねェだろ」

「勿論副長の副流煙ですよ、最近特にひどくて…俺までクリーニングの回数が増えてるんですから」

「悪ィな」

「全然反省してないですよね」

「煙草吸ってるから肺癌になるとは限らねェだろ。大体俺なんざ刀で死ぬに決まってる」

「簡単に死なれちゃ困ります、仕事どうするんですか」

「生き残ったヤツが何とかするだろ」

話はそこで唐突に途切れ、山崎は深い溜め息をついた。

生きているヤツが辻褄を合わせる、それが真選組の概念だと山崎もよく知っているだろう。

誰が死のうが、ソイツの後を引き継ぐ人間が絶対にいる。

代わりが必ずいる、そのための組織だ。

「確かにそうですけど縁起でもない、あの人に感化されましたか?」

「あの人?」

指し示されて即座に思いついたのはミツバの姿だが、話の流れからすれば別の人物だろう。

一瞬でもアイツのことを思い出してしまう俺の未練がましさがうざったい。



終わってしまった命。

元々手の届かないところにあったものは、更に遠くへと流れていってしまった。





煙草の煙が妙に苦々しく感じられ、フィルターをゆっくりと噛めば、山崎は言葉を続ける。

「煙草屋の店主ですよ、副長が贔屓にしてたじゃないですか」

書類に視線を落とした山崎は気まずそうに呟いた。

煙草屋の店主。

どうしてこのタイミングで、あの婆さんの話になるのだろうか。

「…オマエ、知ってるのか?」

婆さんはどうしているのかと尋ねる前に、現実は呆気なく告げられる。

「この前亡くなったって、かぶき町では結構有名な話ですよ」

「―…死んだ?」

「ええ、知らなかったんですか?」

すっかり短くなってしまったフィルターを灰皿に押しつければ、灰の山はぼろぼろと雪崩を起こした。



何をどれほど積み上げても、崩れるときは一瞬だ。

灰だろうが、死だろうが。







聞けば至極単純な話で、婆さんは末期癌だったそうだ。

痛みに耐えかね病院に駆け込んだときは既に余命数ヶ月という段階だったらしい。

婆さんが死んだのは、ちょうど転海屋の一件が収まり、俺が無理矢理入院させられていた時期だ。

限界まで店に立っていたせいか、倒れてからすぐに息を引き取り、葬儀や何やらは縁者のみで行われた。

店は孫が継ぐことになっているらしい。

山崎はそう話した後、苦い顔をして声を潜めた。

「すみません、てっきり副長は知ってたのかと…」

「入院中でわかるわけねェだろ。…まあ、今更だがな」

言葉通りの話で、山崎を咎める気にもならない。

何事も手遅れになるまでわからない、それが俺の性質だ。







散々世話になったので、せめて花くらい供えたい。

そう思うものの、警護だの現場指揮だのと出ずっぱりになってしまい、手を合わせることすら難しい日が続いた。

唯一自由が利くのは夜中だが、そんな時間に線香というのも気が引ける。

だが、昼間は店が閉まっているので宵の頃を狙うしかない。

頭の片隅でぼんやりと考えつつ、時間ばかりが過ぎてゆく。

それはミツバを想う過程とどこか似ていた。







それからしばらく経ったある日、ようやく宵の口に空き時間ができた俺は隊服姿でかぶき町へと足を運んだ。

ネオンと人混みを潜り抜ければ、白い月はただひたすら足元を冷たく照らしている。

花屋の店先でふと立ち止まれば、見慣れた仏花がひっそりと並んでいた。

菊の花でも買うべきなのだろうが、あの婆さんに菊なんざ似合わない。

結局白百合の花束を買って店を出れば、花弁は月明かりに染められて一層白く見えた。

少々匂いが強く感じられたが、白百合のほうがあの煙草屋から漂う独特の香りに合うはずだ。







冬至が近づき日暮れが早い今の時期は、町を行く人間も心なしか足早になっている。

皆、丁度家路を急ぐ時間帯なのだろう。

帰る場所があるのは素晴らしいことで、幸い俺にも屯所がある。

仕事に塗れてしまい休んだ気分にはなかなかなれないが、あの空間の慌ただしさ、気のおけない雰囲気が好きだった。

戻る場所があるうちは、頭の中で不穏なものが蠢くこともない。



惚れた女一人幸せにできない男が、江戸の平和を掲げて働く。

安っぽい道徳論を唱えようと、大切なもの一つ護れやしない。







俯き加減に歩いていると、ふいに鼻先を嗅ぎ慣れた匂いが横切っていった。

苦みの中に甘さを隠したような、煙たい香り。

匂いにつられて横を向けば、そこは煙草屋の店先だった。

白百合と煙草屋には共通点がある。

それはどこか高貴で、寂寥の念を漂わせているところだろう。

店先には行灯と提灯の明かりが灯され、時折吹く風が炎をゆらゆらと揺さぶっている。

案の定そこには黒猫が丸くなって眠っていた。

「…オマエか」

話しかけてみると俺の気配に気づいたのか、黒猫は耳をぴくりと動かしてゆっくりと立ち上がり、店の奥へと消えていく。

誰かいないか、そう声を上げようとしたときに、ソイツは静かに現れた。

灰がかった紫に、深い色の竜胆の花を描いた着物。

金糸の帯締めに結い上げた髪、何よりその姿勢。

どうして今まで気づかなかったのだろうというくらい、女の佇まいは婆さんに似ている。

「こんばんは」

女は猫を抱き上げながら、うっすらと口元を上げて挨拶した。

店なのに商売っ気がないところまであの婆さんにそっくりだ。

「線香を上げさせてくれないか」

そう言った後、あまりの無遠慮さに俺自身呆れてしまう。

しかし女は眉を潜めるでもなく、穏やかな顔をしながら丁寧に返事をした。

「どうぞ、中へ」





その微笑みが何を意味しているのか、このときの俺は何も知らなかった。










始まりすら拒めずに。


次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ