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□蜜香の朝を愛するように
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【蜜香の朝を愛するように】





何気ない一日の始まりを、夢の終わりに垣間見た。

甘い蜜に縁取られた、ありふれていて普遍的な幸福の形を。










色のない世界で、秒針が規則正しく時を刻む音だけが微かに鼓膜を震わせる。

閉じられた暗い部屋でゆっくりと瞼を開けば、真っ先に目についたのは天上だった。

ぼやけたままの思考を揺するように寝返りを打ち、上半身だけ起こしてみる。

カーテンの隙間からは白み始めた空が見えた。

清々しい景色を拝みつつ脳裏に浮かんだのは、仕事に間に合うかという色気のない思想。

しかし今日は休みだと気づき、不規則な勤務体制を恨みながら溜め息を漏らした。

つい習慣で目覚めてしまい、寝直そうとしても大概うまく寝つけず、仕方なく起きるのが俺の休日の定番だ。

おまけに二日酔い特有の鈍い頭痛に苛まされ、全身が酒臭く、身を委ねているのは俺のベッドでもない。

酒と汗の匂いと、例えにくいが嗅ぎ慣れた甘い匂いまでする。

菓子でも香水でもなく、鼻孔をくすぐる匂いの元を辿れば、ソイツは口を半分開けて気持ち良さそうに寝ていた。

俺の班で唯一の女SPが、節操ない顔で。



「…ああ、」



一人合点がいって思わず布団をめくれば、案の定コイツは何も身につけていない。

よく風邪をひかないものだと感心した後で、下着姿の俺も他人をどうこう言える格好をしていないと思い直した。

音を立てないように起き上がって、脱ぎ捨てられていたスーツを手に取り、シワは見ないことにして両足を通す。

こんな朝、コイツが必ずパジャマ代わりにする俺のワイシャツはそのままにしておいた。

金属音で起こしてしまわないよう案じ、ベルトは締めないままキッチンへと向かう。





物の数は少ないが、決して綺麗に片付いているとは言えない広めのワンルーム。

ベッド脇の小さなテーブルには酒の缶とつまみの食べかすが残っていて、昨晩の流れが伺えた。

仕事帰りに二人でメシを食い家まで送ってやると、半ば無理矢理部屋に上げられ呑む羽目になり、互いに酔いつぶれて今に至る。

コイツとそういう関係になってから、二人の休みが重なる前の晩はこんな過ごし方をするようになった。

特別なことなんて何もない、疲れた大人にありがちな休日の始まりだ。





干からびそうなほど喉が渇き水分を欲していたが、流しには洗い物が溜まっていて、すぐに使えそうなコップは一つもない。

小さな冷蔵庫の扉を開ければ、ビールやチューハイの缶と栄養ドリンク、ミネラルウォーターのペットボトルが数本あった。

ペットボトルの蓋を開け、一気に半分程飲み干しながら扉を閉めようとしたところで、改めて冷蔵庫の中身をまじまじと眺める。

料理が大の苦手だと豪語するコイツだけあって、自炊した形跡は全く見られない。

食材どころか調味料もロクにない冷蔵庫の中で、最近買ったと思われるものは玉子と牛乳、俺専用のマヨネーズくらいだろう。

当然、手料理をふるまわれた経験もなかった。

俺がコイツの料理を食うことなんて、一生ありえないのかもしれない。



そのときだった。





「何してるんですか?」

問いかけに振り向けば、ぼさぼさの髪と化粧崩れも気にしないコイツが目をしぱしぱさせながら俺の背後に立っていた。

下着だけ身につけた上に俺のワイシャツを羽織っていて、予想通りの格好だ。

「あ…悪ィ、」

喉が渇いていたとはいえ勝手に物色したのを後ろめたく思い謝れば、コイツは俺の詫びなんざどうでもいいらしく言葉を続けた。

「中、見てましたよね?」

「…見た。」

素直に申告すれば、コイツは怒るわけでもなく、むしろいつもより元気のない表情でぼそぼそと呟く。

「作る前にバレちゃいましたか…。」

作るといってもこの冷蔵庫の中身で一体何ができるのだろうと、一瞬真面目に考えてしまう。

ゆで卵か、ホットミルクか。

以前コイツがゆで卵を作ろうとして玉子を丸ごと電子レンジにかけて爆発させたと話していたのを思い出し、寒気がした。

「作るって何をだよ、オマエ料理はからきしだってあれほど…」

何の工夫もなく率直に尋ねてみれば、ソイツは棚からおもむろに箱を取り出す。

ホットケーキミックスと書かれたそれを見て、コイツが作りたかったものがようやくわかった。

「大体どうして、」

次から次へと生まれてくる疑問を片っ端から口にしようとして、ふと気がつく。

今日は何月何日だったか。

仕事のスケジュールを確認するためにしか見ていないカレンダーは、デスクの上に置いたままだ。

ポケットに入れっぱなしになっていた携帯を手にして、液晶画面を一瞬見る。



ああ、今日は。







「…マヨネーズは全部使うからな。」

言葉の先が見つからず、感情を誤魔化そうとして煙草を探したが、生憎煙草は上着のポケットの中だ。

上着とネクタイは、一体どこに脱ぎ捨てたのだろうか。

「勿論です。」

コイツは相変わらずぐしゃぐしゃの髪で、化粧が落ちたのも気にせず、返事をして笑った。

明るく穏やかな一言が何だか無性に愛しくて、コイツを抱きしめる理由が欲しくなった俺は狡い言葉を選んで投げる。

「寝直すぞ。」

「え?」

「今日は休みだろ。休みの日は二度寝に限るって、いつもオマエが言ってるじゃねェか。」

そう言って、俺はコイツに背を向けた。

明るいところで今の俺の顔を見られては堪らないし、鈍いコイツのことだ、眠ってしまえば抱きしめてもわからないだろう。

「…はい。」

コイツは珍しく異論を唱えず、俺の横をすり抜けてベッドへ潜り込む。





一度起きてしまったし、身体は汗でべとついていて、まだ風呂にも入っていない。

それでもきっと、今日はいい日だ。





ベッドを軋ませながら横たわれば、身体はコイツの熱を感じながら深く沈む。

隣にいるコイツに手を回しながら瞼を閉じ、目覚めてから食うであろうホットケーキの香りを想像しながら眠りについた。










Fin



Happy Birthday to Mayonner!!


   


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