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□白葬
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【白葬 〜月と制服〜】





黒を捨て、白で包む。

この世界で生きるため。










丸い月が浮かぶ夜は、世界が明るすぎて仕事には向かない。

今夜は天高いところで輝く星までちかちかと目を刺激し、なかなか寝つけそうになかった。

部屋を出て、縁側から夜空を見上げて立ちつくしていれば、元いた場所をほんの少しだけ思い出す。

ちょうどこの時間帯は、以前所属していた部隊なら黒装束に着替え終えて外に出ている頃だ。

軽々と走り標的を見つけて、いかに少ない太刀筋で相手を始末できるかが問われる仕事。

物心がついたときには、考えずとも人を斬る方法を知っていた。

罪の意識を感じる間もなく全てが終わる。

そういう宿命の元に生まれたのだと周りの大人たちは口々に説明し、私に暗殺剣と生き方を刷り込んた。

難しいことは考えず、ただ淡々と闇を泳ぐ日々。

ぬるりとした紅を浴びて、初めて感じる生の手応え。

経験を積み上げていけば、いつかあの月にも手が届くはずだと信じていた。

誰よりも夜空に近いところで呼吸していたからこそ、思い描いた夢の果て。





江戸城の近くに置かれた見廻組の屯所は、広くて殺風景だった。

建物自体は新しく、立派な柱もまだ若々しい幹の色をしている。

あてがわれた一部屋で僅かな荷物を収めた風呂敷を広げれば、元いた場所の記憶がさめざめと蘇った。





暗殺部隊を抜け、見廻組に所属する。

かつての同胞は、それを左遷だとか自業自得だという言葉で祝ってくれた。

彼らにとって黒装束を汚しながら人を斬る私は、部隊の名を汚す疎ましい存在だったに違いない。

殺めることに関しては優れているつもりでいたけれど、現実は厳しく、私を追い出すことで仲間たちは更に強い結束力を得た。

要するに、暗殺部隊の誰もが私の扱いに困っていたのだ。





きちんとした荷ほどきをする気にもなれず、小さな机の横に準備してあった白い服をあてがい、姿見に全身を映し出してみる。

今まで毎日着ていた服は漆黒だったせいか、金糸で刺繍を施された制服は光を伴い目に痛い。

顔をしかめつつ行灯の明かりを頼りに着替え始めたけれど、慣れない形の服をどう着こなせばいいのかもよくわからなかった。

結局、下半身の着替えはなんとか終えたものの、上半身はサラシを巻いただけの中途半端な格好で着替えを止める。

考えてみれば、今までまともな服なんて黒装束位しか着たことがなかった。

あのとき男からの申し出を受けなければ、こんな白い服は一生身につけなかったのかもしれない。





男の名は、佐々木異三郎。

見廻組局長としてよく知られている人物だった。

名門佐々木家の出身で文武両道、三天の怪物とまで謳われているという。

そんな人間がどうしてあの晩、人を殺めていた私に声をかけてきたのか。

その先は、あえて考えないようにした。

考えるだけ無駄だった。

誰もが私の考えていることがわからないと言うのと同じで、私だって他人の考えていることなんて何一つわからない。

ただ、男が持つ「怪物」という呼び名には多少共感できた。

毎日刀を振るうことばかり想像している私も、きっと十分怪物めいているだろうと思いながら。





「…鉄の臭いがしない。」

白い制服の臭いを嗅ごうと生地に鼻を近づけてみるけれど、どこにも血の臭いはしなかった。

これが普通なのだろうが、生憎それでは物足りないほど、私の身体は普通ではないことに慣れている。

腰にあつらえた長刀は今夜も出番を待ち、鞘の中でその身を疼かせているに違いない。

腰にある刀の柄へとおもむろに手を伸ばしたところで、あの気配がした。

無警戒で無表情、世の全てを見通せそうな曇りなき片眼鏡。





「入ってもいいですか。」

男は部屋の前で立ち止まり、障子越しに抑揚なく尋ねてきた。

障子に映し出された男の影は黒が一際濃く、白い制服姿が想像できないほどだ。

「…どうぞ。」

この格好を恥じらうこともなく返事をすれば、男は障子を開けて私の姿を確認した。

男は特に動揺もせず、静かに障子を閉め、間合いの距離まで近づいてから足を止める。

「どうしましたか?」

「別に。」

素っ気ない私の態度なんて、男はまるで気にしていないようだ。

「すみません、着方を教えていませんでしたね。」

そう言いながら、畳の上にぐしゃっと置かれていたワイシャツを手にし、私の背中へと両手を使い広げてみせる。

姿見は私のサラシとワイシャツ、男の制服で真っ白に染まった。

「腕を通してくれませんか。」

口調は決して厳しくないが、その雰囲気には有無を言わさない何かが含まれている。

大人しく手を伸ばした私にワイシャツを着せた男は、丁寧にボタンを一つずつはめてベストまで羽織らせた。

白なんて言い訳や誤魔化しが利かない色は、着慣れていないし本当なら着たくもない。

「私としたことが上着を置き忘れてしまいましてね。」

上着を広げて私を促す目線に逆らうことなく片手ずつ袖を通せば、その白は着心地もよくぴったりと身体に合った。

男は上着のフックを一つずつはめ、最後にスカーフを取り出す。

「結びましょうか。」

「いい。一人でできる。」

どんなに愛想のない話し方をしても、男に言葉遣いを咎められることはなかった。

そしてこの男は、時々考えもしないようなことを平気な顔をして行おうとする。

よく知りもしない人間に首元を委ねるなんて、暗殺部隊にいた頃は考えられない非常識なことだ。

適当にスカーフで首元を結び、改めて男と向き合えば、男は淡々と言葉を続けた。

「…ああ、よく似合ってますよ、制服。」

男はただでなくても開ききっていない目を僅かに細め、私の姿を眺めている。



「副長になってくれませんか?」

「ふくちょう…?」



言葉の意味が理解できずに一瞬呆気にとられたが、理解できようができまいが、私が求めているものは一つだった。



「…それは沢山斬ることができる?」

訝しげに尋ねてみると、男は少しの間黙ってから口を開く。

「それなりには。ただ、一つ約束してください。その制服を、むやみに汚さないように。白は染みを抜くのが大変なんです。」

思わず溜息を漏らしながらも、ここまで来てしまった以上仕方ないという諦めから、私は縦に一度首を振った。

やはり返り血が問題だ。

暗殺部隊も警察も、エリートは返り血など浴びないものらしい。

「それから、これをどうぞ。」

差し出されたのは小さな紙袋で、中身が何なのかは確認するまでもなく匂いでわかった。

砂糖と油の入り交じった匂い、ドーナツだ。

手を伸ばして紙袋を受け取り、中身を取り出し思いきり頬張る。

甘くて柔らかなのに弾力も感じられる噛み応えは、私の口の中をすぐに充足感で満たした。

男はそんな私の姿をさっきまでとは少し違った目つきで見下ろしている。

何か言いたげなその唇は動くことなく、二人の間は甘ったるい匂いで占められていく。





賽は投げられた。

私の足は今までと違う道を歩き始め、相変わらず先は見えない。

この手が汚れてドーナツの甘みが鉄の味にならない限り、私はここで生きていけるだろう。

妨げとなるものには、躊躇わず刀を構えればいい。



ただ、それだけのはずなのだ。










to be continued…



その手で未来は示された。


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