clapping

□4 Real
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【4 Real 〜Autumn Ver.〜】





非凡な出会いに感謝して、平凡な日々を駆け抜ける。










どこからか隙間風が入り込んでいるのか、冷たい空気が頬の上をなぞるようにして通り過ぎていく。

瞼は重く、身体を動かす気にもならない。

今日は大した運動はしていないものの、頭だけは相当働かせてしまった。

論文を読み、研究授業用の資料を作成して、読みかけになっていた教職の資料まで目を通す。

普段通り授業があれば、こうはいかないだろう。

生徒達の一大イベントである文化祭は明日に迫っている。

前日である今日は授業も行わず、各々が準備に追われていた。

高校生だけあって、子供といってもさほど手はかからない。

幸い、わしが受け持っているクラスはこういうときに問題を起こす生徒もいなかった。

教室に時々顔を出し、数学研究会の展示を確認した後は数学準備室に籠もりきりでいる。

準備室の掃除をする気もせず、ひたすら目と頭を酷使した一日。

古びたスチール椅子に座り、何時間も数字や記号を睨み、疲れたら温くなった缶コーヒーを飲む。

その動作を繰り返していると、冬至が近づき日没が早くなった世界はあっという間に暗くなった。

少し休もう、そう思い暗がりの中で目を閉じれば、意識はすぐに深いところへと引っ張られる。



音のない闇の底に潜る。

頭を休め、無を求めて。







「オイ、」

どのくらいそうしていたのか、ふいにわしを現実に引き戻す存在を感じた。

聞き慣れた声は、ぶっきらぼうで乱暴なのにどこか優しい響きをしている。

「辰馬、起きろ。」

「…ああ」

半分寝ぼけたまま目を開けると、サングラスをしていたせいで、人影は一層濃く見えた。

「おんしか、金時。」

「だから金じゃねーよ、銀だろ、銀。」

絶対にわざとだろうと言いながら頭を掻きむしる男は、大学の頃からの知り合いだ。

教師になり、見た目だけでもそれらしくなるようかけ始めた眼鏡は、思いの外よく似合っている。

さりげなく腕時計を眺めてみれば、日付こそ変わっていないが生徒はとっくに帰っている頃合いだった。

もっとも、時間を確認しなくても、この男がわしを辰馬と呼んだ時点で遅い時間帯なのだろうと察しはつく。

生徒がいれば、銀時は必ずわしを「坂本先生」と呼ぶ。

一見何事にも無頓着そうに見えるが、そういうところで意外と気を配る性格らしい。

「今夜はオマエのところに泊まらせてくれ。明日早くて死にそうなんだよ。」

「それは構わんが、おんしの着替えがあったかの?」

「なかったらテメェのを借りる、問題ねーだろ。」

商談成立だと笑う銀時は、スーツのポケットから煙草を取り出し遠慮なく火をつけた。

校内が全面禁煙になってからというもの、誰も寄りつかない数学準備室で一服するのがこの男の習慣だ。

銀時のアパートは、ここから少し離れたところにある。

学区内に住めばコンビニでエロ本は買えない、パチ/ンコにも行きにくい。

そんな理由でアパートを選んだらしいが、帰るのが面倒なのか、高校から近いわしのマンションに寝泊まりする日も多かった。

「帰るぜよ。」

わしは重い腰を上げて、白衣を脱ぎ捨て上着を羽織る。

相変わらず散らかったままの数学準備室の電気を消してから廊下に出れば、どの教室の前もしっかりと飾り付けが施されていた。

銀時は煙草のフィルターを口から離し、顔をしかめて呟く。

「…ったく、三日もすりゃ只のゴミだっつーのに」

「だからこそ懸命になるんじゃき、悪くないと思うがの。」

「そりゃあオマエのクラスは優秀な連中が多いからな。3Zなんて酷いぞ、志村妙率いるメイド喫茶なんざ。」

「メイド喫茶?」

「つーかアレは冥土喫茶だ。アイツが作ったモンを試食したヤツは全員便所から出てこねェ。」

ぶつぶつと男二人で喋り続ける姿はいささか滑稽だが、それでもこうして他愛ない話ができるのは幸せなことだ。

一口に教師と言っても、色んな人間がいる。

広い世界で同じ大学に入り、教師への道を進み、職場も一緒になる確率なんて、宝くじに当たるのと同じくらい稀なことだろう。

以前、銀時にそう伝えたことはあったが、それなら俺は宝くじを当てたいと言って顔を背けられてしまったことを思い出す。

本心を隠すときは目を逸らす、そんな癖まで知る仲だ。







校門を出たところで、一歩先を歩いていた銀時がぴたりと立ち止まった。

「アイツらもかよ…」

小さく漏れた言葉に親しみを感じてしまうのは、わしの気のせいだろうか。

銀時の視線の先には、桂と高杉がいた。

桂は社会科の教師、高杉は保健医としてここに勤めている。

この高校に赴任した時期が一緒だったせいで、わしと三人は腐れ縁のようになっていた。

「遅かったな、銀時。」

わしの顔を見るなり、桂は今夜泊めてほしいと単刀直入に頭を下げた。

聞けば、ここのところ始発終電の生活が続いていたらしい。

「たまにはこういうのもいいかと思ってな。」

桂は笑いながらコンビニのビニール袋をちらつかせた。

中を覗くと、おでんの大きな容器や缶ビール、肉まんなどが買い込まれている。

「学生の頃に戻ったみたいだろう?」

「今も十分学生臭い生活をしてるだろーが。」

桂の言葉に割って入った高杉も、おそらく今夜はわしのところに泊まるつもりなのだろう。

「変わらんのぅ。」

わしは僅かに目を細めた後で再び歩き始める。

不変のものは何一つないが、四人の関係性は変わらない。

どうしようもない繋がりは、遥か彼方を指差している。







スーツ姿の男四人がぞろぞろと静かな街並みを歩いていく。

「やっぱり夜中は寒いな、おしるこが恋しいわ。」

「銀時は糖尿だろう。」

「うっせーぞヅラ、あーマジ寒ィ…」

「買っておいたぞ、汁粉。」

ふいに高杉は缶コーヒーやお汁粉を皆に配り始めた。

無愛想な男だが、唐突にこういうことをするあたりに優しさが見え隠れする。

きっとこの缶が、高杉なりにわしらを案じた結果なのだろう。

「んじゃ、ビールで乾杯は帰ってからってことで。」

銀時は張り切って汁粉の缶の蓋を開けた。

途端に甘い香りが漂い、近くにあった金木犀の香りと混ざって夜風に流されていく。

缶コーヒーの蓋を開ければ、深みのある香りは殆どない。

それでも小さな缶の中身は、冷えた指先と心をじんわりと温めてくれる。

ただ熱いだけの黒い液体でも、今のわしにとっては極上の酒のようなものだ。



三人の視線に促され、立ち止まったわしは祝いの音頭を取ることにした。

今ここに存在する、非凡かつ平凡な日常に感謝を込めて。





「乾杯」










Fin


   

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