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□4 Real
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【4 Real 〜Summer Ver.〜】





過ぎ去れば色褪せてしまう、今日という日を駆け抜ける。










夏の始まり、宵の口。

日中はうだるような暑さが世界を包み、身体中から水分が奪われていく。

夜は湿気が多く、ねっとりとした風が塞がったはずの古傷をじくりと疼かせた。

どこか薄明るささえ感じられる空は漆黒ではなく、昼の名残を残している。

もう少し闇が濃くなればそれなりのものが拝めそうだと思いつつ、俺は一人煙管を手にして歩いていた。

屋台に挟まれた道の先で待ち構えるのは、江戸有数の川と土手。



始まるのは、腐れ縁の集まりが織り成す年に一度の酔狂な物語。







道の両脇には色とりどりの屋台が並び、子供がかき氷を手にしたり射的を楽しむ姿が見られた。

大人も団扇を片手に空を見上げては、これから始まる祭りを今か今かと待ち構えている。

俺がまだガキだった頃、皆で縁日に行ったり花火見物をするのは特別なことだった。

子供心に味わったのは、非日常に酔いしれ日常を忘れる面白さ。

そこには必ず、白髪頭のやる気のない目をしたガキと、長髪を一つに結わえた真面目一辺倒のガキ、たった一人の大人がいた。

その記憶を何度なぞらえたかわからない。



夜空に浮かぶ星の如く、遥か彼方に置いてきた過去を、今までどれだけ乞い求めたのだろうか。







毒々しい色彩と光を放つ屋台、そのせいで濃く見える人影は、どれもこれも現実味がない。

視点をふわふわと彷徨わせながらも、行き交う人とぶつからないよう注意を払う。

いつも身につけている着物と違い、今夜の浴衣は裾が多少長い分歩きづらいが気に入っている代物だ。

黒地の浴衣は細かく扇形の模様が描かれていて、金にも似た色の帯がよく映えた。

下駄の音に耳を澄ませつつ、口元から煙管を離して長い溜め息を吐けば、面の屋台から声がかかる。



「よっ、色男。アンタならどんな面でも似合いそうだ、安くしとくぜ。」

思わず立ち止まったのは安っぽい謳い文句に惹かれたわけではなく、呼びかける声があまりにも知った声だったからだ。

「…そんなモン、ガキでも買わねェだろ。」

俺が鼻で笑うと、小さな段ボールに座っていた店主は立ち上がり、近くにあった狐の面とお多福の面を掴んで俺に押しつけた。

「いーから、有り金全部置いてきな。」

白い浴衣を黒の帯で引き締めた銀髪の店主は、ガキの頃は決して見せなかった下品な笑みを浮かべている。



坂田銀時。

万事屋を勤しむ、俺とは長い付き合いがある男。



「テメェに払う金はねェよ。」

そう言いながらも面を受け取った俺が勝手気ままに歩き始めると、銀時は屋台を気にすることもなく後をついてきた。

「屋台はいいのか。」

「気ィ使うくらいなら屋台ごと買い取ってくれっつーの。」

どうせ客も寄りつかねーし新八が何とかしてくれるだろ、などとぶつぶつぼやきながらも、その視線は夜空へと向けられている。

少し遠くを見る目は、何を捕らえようとしているのか。

これから打ち上げられる花火か、きらきらと瞬く満天の星か。



もうずっと前に失ってしまった、救えなかった人の姿か。







俺は狐の面を頭につけ、お多福の面を手にしたまま歩き続ける。

銀時は面の代金だと言って俺から金を取り、その金でりんご飴やら綿菓子やらを買い込んだ。

提灯の明かりと屋台の安っぽい光が交錯する視界の中で、ふいに一人の男の姿が目につく。

漆黒の長髪は一つに束ねられ、濃紺の浴衣に濃い灰色の帯を締めた男は、遠目で見ると多少小柄に見えた。

屋台で何か買い物をしたのだろう、袋を手にしている。

「おー、ヅラじゃねェか。」

りんご飴をかじりつつ先に声をかけたのは、銀時のほうだった。

「む、銀時。」

「何買ったんだ?」

「蕎麦を食べようと思ったんだが、生憎蕎麦の屋台が見当たらなくてな。一番近そうなものにした。」

「…焼きそばって近いか?」

「蕎麦と言っているんだ、近いに決まっているだろう。」

コイツらのくだらない会話は今まで何度も聞いたが、それでも聞き飽きないあたり、俺もなかなか厄介な病気を抱えたモンだ。

ヅラの隣に立ち、袋の中身を見れば、四人分の焼きそばのパックが詰め込まれている。

「テメェも相変わらずだな。」

ガキの頃から変わらない姿を一瞥して挨拶代わりの皮肉を口にすれば、ヅラは至って真面目な顔をして滔々と語った。

「高杉、何だその面は。」

「見ればわかるだろ、狐だ。…テメェも被っとけ。」

お多福の面を押しつけると、意外にもヅラは抵抗せずに面をくくり額のあたりで固定する。

互いに顔は丸見えで面の働きを成していないが、この面は受け取ることに意味があった。

お尋ね者となってしまった俺達二人分の面を差し出したのは、ある意味銀時なりの気遣いなのだろう。

そうわかっていたからこそ、抵抗せずに面を被ってしまった。

ヅラもおそらく同じ思いを抱いたはずだ。



闇と人混みに紛れるのはいい。

人の視線から逃げるのにも相応しく、面をつけたなら俺は普通の人間と何も変わらないとさえ思えてくる。

念の重みが違うのだろう、何年も前に頭に巻いていた白い鉢巻きよりもこの面のほうがよっぽど軽く感じられた。

「高杉、オマエは手土産なしか。」

「今夜は食いモンなんざ必要ねェだろ。」

「こういうときには何か準備するのが常識だろう。」

「テメェが常識を語るなよ。」

ヅラがあまりにもしつこいので、俺は舌打ちをしながら屋台でたこ焼きを二箱買う。

八個入りになっているそれは、あと一人合流すれば割り切れる計算だ。

「早く行かなければ始まってしまうぞ。」

そう言いながら、俺と銀時を促す話し方はあの頃と変わらない。



人混みをかき分けながら、醜い浮き世を泳ぐようにして、俺達は歩いていく。







土手まで辿り着くと、そこには大勢の見物客がいた。

こんなにも人間がうごめいている中で、残り一人を見つけ出す。

普通に考えれば難しいことだが、俺達にとってはさほど大変なことでもない。

この何倍もの志士達で溢れかえった戦場で、何度も互いの姿を探しあったくらいだ。

たかが戦の一つや二つでくたばる仲間ではないと、過信に近い願いを秘めながら。



「おぉ、金時!」

ふいに草の上へとしゃがみ込んでいた男が一人、こちらへと振り返って俺達を見ているのに気づく。

「だから銀時だっつーの、」

ここでも文句を言いながらソイツに近づく銀時には、出会ったときの面影はない。

白髪頭の無表情なガキで人一倍警戒心が強く、片時も刀を手放さずに居眠りばかりしては、あの人に優しく咎められていた。



あの人は、今。







闇と人混みは俺の姿を隠しても、虚しい願望は剥き出しにしてしまう。

これだけ人がいるのだから、あの人もどこかにいるのではないかという、残酷で甘い幻想。

今となっては、全てが手遅れだとわかっていても。







辰馬は焦げ茶に近い朽葉色の浴衣に玉子色の帯を巻き、はたはたと団扇を仰いでいる。

今日はサングラスをしていないらしく、あどけない表情はヤツを微かに幼く見せた。

「おんしらは来ないのかと思ったぜよ。」

てきぱきと冷えた缶ビールを渡す辰馬は、すこぶる機嫌がいい。

「もう始まるき。」

辰馬は缶ビールの蓋を開け、つまみならいくらでもある、陸奥が気を利かせてくれてなと言いながら枝豆や焼き鳥を広げる。

花火を待たずして飲み始めたいのだろう、銀時もヅラも辰馬に続いた。

「ほら高杉、空気読めっつーの。」

銀時に急かされたのが少々癪に障ったが、特に文句も言わないまま缶ビールの蓋を開ける。



夏、この時期に行われる花火大会。

それはコイツらにとって、二つの意味を持つのだろう。

誰も祝いの言葉を口にこそしないが、盆の前はそういう時期だ。

俺は心の中で、もう一度だけ呟く。



先生。

今この瞬間、先生がいる場所は、きっと花火に一番近いところだろう。

いつか俺がその特等席に並ぶときは、コイツらの話を飽きるほどさせてほしい。

だからどうか、それまで見守っていてくれ、と。







やがてしゅるしゅると一発目の花火が打ち上がる音が耳に届く。

毎年繰り返される宴の始まりだ。

夏の夜は短く、朝日が昇る頃には闇の魔法が解け、またそれぞれの道を四人別々に歩むのだろう。

それでも、今ここでこうして酒を酌み交わせる感謝の気持ちを俺はそっと噛みしめた。

銀時やヅラ、辰馬も俺と同じように缶ビールを構えている。

缶ビールを顔の前に掲げて、俺は一言、花火の音にかき消されないよう声を響かせた。





「乾杯」










Fin


   

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