clapping

□ソーダポップ・ビリーバー
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ネクタイと一緒に束ねるのは、とっくに始まっていた夏。










「…温い」

湿度がじわりと呼吸を重くする季節。

梅雨明けまであと少しの暦は、確実に夏を連れてきている。

雨が降るのか降らないのか、空模様は生徒の他愛ない話と同じ位はっきりとしない曇天だ。

夜のそれは鈍い鉛色で闇を僅かに薄めてくれる。

一日の境目をぼかす、生暖かく曖昧な光と影で。

何も見えなくても空を仰いでしまうのは、人の性だろうか。

今度雑学オタクもとい生物教師のザキに聞いてみようと思いながら、コンビニの袋をかさつかせつつ学校までの道のりを歩く。

室内履きのサンダルは最寄りのコンビニまでならセーフ、そんな適当なルールを作り上げたのはアイツが卒業した後だった。

初めて担任したクラスで、特に目立ちもしなかった生徒の一人。

適当な理由をでっち上げてはパシらせ、化学準備室に居座らせていた俺の教え子。

アイツが卒業してから三年、進学したソイツと俺は今でも主従関係にあった。

ただし今度は先生と生徒ではなく、先輩と後輩予備軍として。

化学が得意なわけでもないのに化学教師を目指す。

厄介な道を選んだアイツは、教育実習を終わらせたばかりで息つく間もなく、今日行われた教員採用試験を受けたらしい。

ここ数日は連絡もなかったが、今朝唐突に「今から試験です」とだけメールが送られてきた。

あまりに端的な一文だが、可愛げのなさはアイツらしい。

「骨は拾ってやりまさァ」と返信した俺も大概だが、肝心なことは十分伝わっているだろう。

一日が終わりかけた今、向こうからの連絡はまだない。

手応えのなさに落ち込んだか、疲れ果てて寝てしまったのか。

それとも、この時期は成績処理で毎年慌ただしい思いをしている俺を気づかったか。

いずれにせよ今日は音沙汰ないだろうと決めつけた俺は、気分転換にと出かけたコンビニでラムネを二本買った。

夏の始めは、冷たいラムネの味や涼しげな瓶の色が自然と恋しくなる。

コーラ味の棒付きキャンディ、炭酸水より甘ったるいラムネ。

ガキの頃からこの二つを愛して止まない俺は、紛い物には紛い物としての魅力があると無意識のうちに悟っていたに違いない。

コンビニのビニール袋から、ラムネの瓶と瓶がぶつかり合う音が微かに聞こえる。

風鈴には程遠い、けれどどこか懐かしいリズムに耳を澄ませながら歩けば、いつのまにか化学準備室の前に辿り着いていた。

「ただいま」

家でもなければ帰りを待つ人間もいないここでそう呟いてしまうのは、教師の寂しい習性だ。

学校の近くにあるアパートにはシャワーと着替えに帰る程度で、成績処理が終わるまでは眠る余裕さえないに等しい。

とはいえ、俺も一応人間だ。

ラムネを飲み終えたら少し横になろうと考えつつ、ビニール袋の中から瓶を取り出したときに初めて気づく。

高校生だったアイツはもういないのに、どうしてラムネを二本買っているのか。

「…恐いのは習慣ってか」

独り言に返事がない日常が、ドアの先で待っている。

ラムネは開けずに入口の照明だけつけて化学準備室に入れば、暗い部屋の中でたった一つ予想していなかったものがあった。

埃っぽくカビ臭い空気に、雑然と散らかった本棚や机の上。

俺がベッド代わりに使っている古びたソファー。

さっきまでと唯一違ったのは、そこで寝ているコイツの姿だ。

教育実習のときと同じスーツを着ているところからすると、学校に来る以上誰に会うかわからないと踏んだのだろう。

ソイツの目の前でしゃがむと、規則正しい寝息が耳まで届く。

普通なら起こすのが躊躇われるのかもしれないが、俺はコイツを調教する権利がある。

それを行使するなら今だ。

「起きなせィ」

単刀直入にそう言いながら、滑らかな額を中指で思いきり弾き飛ばす。

「…あ、沖田先生」

「こんなところで寝たら風邪引きやすぜ」

第一声は高校生の頃と変わらない。

コイツは俺との関係がどうであれ、俺を沖田先生と呼び続けた。

最初は先生呼びするなとしつこく言っていたが、いちいち訂正するのも面倒で、結局好きなようにさせている。

寝起きのソイツは動物らしく鼻を利かせたのか、俺の手元を目ざとく指差した。

「それ、ラムネじゃないですか」

「ああ」

「もしかして二本あったり」

「正解」

「流石沖田先生」

「くれてやるなんて言った覚えはありやせんけど」

意地悪く笑ってみせると、ソイツは恨めしげに俺を見上げた。

次はどんな文句を並べてくるか、そう期待したときだった。

華奢な手はスーツのポケットを探り、見慣れたものを取り出してみせる。

白い棒に丸い先端、毒々しいパッケージ。

「コーラ味ですかィ、何でまたこんなの」

壁に掛けられた時計にちらりと目をやったソイツは、俺に向かって申し訳なさそうな顔をした。

「ぎりぎり間に合ったけど、こんなものしか用意してなくて」

「用意?」

「今日は沖田先生の誕生日だから」

「…そういえば」

そうだ。

夏休み前を慌ただしく過ごす俺は、毎年いつのまにか歳を取っている。

ここ数年は毎年コイツが祝ってくれていたから忘れずにいたものの、今年はすっかり記憶から消し去られていた。

差し出された棒付きキャンディをさりげなく受け取ってみる。

一つ歳を取るだけなんて、大したことはない。

ただ、コイツはまだそう思えない年齢なのだ。

「試験はどうだったんでィ」

「できる限りはやりましたけど、正直受かるかどうかは…」

俯いてしまった顔を上に向かせるには、どうしたらいいのか。

そんなことは簡単だ。

動物に触る手つきで頭をわしゃわしゃと撫でてやると、コイツはすぐに顔を上げる。

「弱音なんてらしくないでさァ」

「でも、」

「アンタには永久就職先も準備してありやす、安心してくたばってくだせィ」

「永久就職先…?それってまさか」

「でっかい牧場買ってやりやすから」

「放牧ですか!」

「鼻息荒すぎ」

からかいつつ笑ってみせると、ソイツは一通り憤慨してからいつもの調子を取り戻す。

「沖田先生と話してたらお腹減ってきちゃいました、落ち込んでて夕飯食べられなかったのに」

「なら丁度いい、これ飲みながら行きやすぜ」

「どこにですか?」

「この時間だと焼肉か」

「まさか沖田先生の奢りで」

「俺の誕生日なんだからアンタが祝いなせィ、出世払いで許してやりまさァ」

棒付きキャンディをポケットに突っ込み、ラムネの瓶を一本ソイツに手渡せば、あっという間に準備完了だ。

「まずはここで前祝いでもしてもらいやしょーか」

「ラムネでですか…懐かしいですね」

「ラムネの開け方も俺が教えてやったんですぜ」

「そうでした」

口々に話しながら、勢いよくラムネの蓋を開ければ、しゅわしゅわと中身が溢れて滴り落ちる。

特にコイツの分は酷い零れ方だ。

「ちょっ…沖田先生、これ振ってませんよね?」

「さぁねィ」

「半分位なくなりそうなんですけど」

「その不器用さは一生モンですぜ、だから」

かちり、と瓶を軽くぶつけた後で、俺が真っ先に唇を近づけたのはどちらのラムネでもなかった。

もっと柔らかくて、弾けそうなもの。

口の中に甘い味が広がるまで、あと僅か。





「これからも俺が手入れしてやりまさァ」







ソーダポップ・ビリーバー




   
Happy Birthday to Sadist!!


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