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□甘え蛍が身を焦がす
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君を照らす太陽になれずとも、手元で光る蛍火になりたくて。










消えかかった薄雲が闇の帳を降ろす前、一番星が顔を出す頃。

昼間と比べて幾分か冷えた風が、ゆるゆると夜を運んでくる。

梅雨の晴れ間は緑の香りが濃い。

背筋を伸ばして深く呼吸すれば、朝からはしゃいで疲れ切った頭は幾分かすっきりする。

まだ始まったばかりの夜がどこまでも続くかのような期待と不安を心の隅に留めつつ、草茂る小道を急ぎ足で歩いた。

「先生、早く」

「焦らなくても大丈夫ですよ」

牛蛙の鳴き声が響く水田を横切るのは、着物姿の子供達と長髪の大人一人。

先生と呼ばれる彼は、いつだって皆から慕われていた。

彼の手は華奢で冷たいのに、どういうわけか触れると安心する。

ここにいる子供達は、幼いなりにそう悟っているようだった。

明かりは先生が手にしている提灯一つ。

その光を少々後ろから見ている彼女は、表情をあまり変えない。

お目当ての場所に辿り着いたところで、先生はさりげなく足を止めた。

「皆、静かに」

唇に人差し指をあてがう先生の仕草は、あどけなくもあり大人っぽくもあって、何だか不思議な気分になる。

先生は物事を教えるときに難しいことを易しい言葉で伝えてくれる、変わった大人だ。

童話を読み聞かせる話し方は、夢物語を自然と想像させた。

頭の中だけは誰だって自由で、叶わないことなど何一つないと言わんばかりに。

「この前教えた歌は覚えていますか」

「ほたる来い、です」

こういうときに意気揚々と答えるのは大抵高杉で、鼻をほじりながらぼんやりと皆を眺めるのが銀時だ。

見慣れた光景と聞き慣れた声に囲まれて過ごす、微睡みにも似た楽しい一時。

その片隅に、彼女はいた。

「よく覚えていましたね」

「今度蛍を見に行くときまで忘れないようにとおっしゃったのは先生ですよ」

「ああ、そうでした」

笑いながら手を伸ばした先生の指に、蛍が止まる。

「先生、指に蛍が」

「こっちの水は甘いですから」

小さく光っては消え、消えては光ってと主張する存在は、どこからともなく皆の周りをのんびりと囲んだ。

それぞれが息を潜めつつ蛍をそっと掌に収めようとしたが、なかなか捕まえられないでいる。

どれほど隠しても、光を独占したいという下心は蛍に伝わってしまうらしい。

誰もが悪戦苦闘している最中、彼女は田畑の端で己の掌をじっと見つめたまま立ちつくしていた。

長い睫毛にすっとした鼻筋、小さな唇で形取られた彼女の横顔。

どれも子供心に目を引かれたが、芽吹き始めた思いに当時の俺が気づくはずもない。

隣の様子を横目で見ながら息を飲むと、どこからか頼りなくふらふらと飛ぶ蛍が、彼女の掌で動きを止めた。

小さくもはっきりとした強い光は、まるで彼女の心音を確かめながら点滅しているようだ。

その光景に見入っていると、彼女はふいに俺を見上げた。

「ほら、蛍」

「捕まえたの?」

「捕まえようなんて思ってないよ。蛍のほうから寄ってきただけ」

「…そっか」

後に続く言葉が思いつかず、微妙な相槌を打つ俺に対して、彼女は微かに笑ってみせる。

暗がりで輪郭さえぼやけていたのに、俺ときたらあのときの彼女をずっと忘れられずにいた。

呼吸する速さで、心臓を支配して。










あれから何度夜を越えたのか、いつのまにか数えるのも止めてしまった。

攘夷戦争、先生の死。

かつては仲間だった友とも道を違えた今、子供の頃の俺を知る人物は少ない。

ましてやお尋ね者になってしまった俺の変装を見破れるのはごく僅かだ。

「…雨か」

遊行僧の格好をして、かぶき町の外れに位置する神社の境内下まで辿り着いてからどれくらいの時間が経ったのか。

神社の石畳を穿つ雨垂れの音は、鼓膜を薄く覆ってしまう。

雨雲に隠された月が辺りを僅かに照らす以外、光もない。

笠を被ったまま祈るような思いで目を閉じたとき、遠くから足音が聞こえた。

皆で蛍狩りに行ったあの晩と同じ、こんな天気でもどこか軽快な響きだ。

俺から一歩離れたところで立ち止まった彼女は、幕府に忠義を尽くす黒い隊服に身を包んでいる。

雨に濡れて鴉の衣と化したその姿は、凛としていて迷いがない。

雫を手で軽く払いのけて空を見上げた彼女は、溜め息を一つ漏らした。

「相変わらずその格好なんだ、全然似合わないのに」

「お互い様だ。…元気にしていたか」

「おかげさまで。そっちこそ、逃げ足が速くて評判だよ」

「仕事を作ってやっているんだ、感謝してもらわねばな」

「よく言うね」

屈託なく話す彼女は、俺の顔を見ない。

立場上そうあるべきだと二人共納得した上での逢瀬だ。

真選組の女隊士となった彼女は日々攘夷志士を追い、捕らえることを仕事としている。

勿論、出くわしたくない場所で遭遇してしまうこともあるし、顔を合わせれば双方刀を突きつけなければならない。

それでも一年に一度、この日だけは必ず会うと決めている。

捕まえようだなんて思ってもいない彼女と、二人きりで。

他愛もない近況を一つ二つ話しては、無言の時間まで密かに楽んでいると、雨音は次第に弱まっていった。

雲の隙間から差し込んでくる月の光が、夜明けよりも早く彼女を急かす。

どうか今を生きなさい、と。

「…雨、止んだみたい」

「そうだな」

「そろそろ行くね、見廻り抜けてきたから」

一度だけちらりと俺を盗み見た彼女は、子供の頃の悪戯っぽさとあどけなさを含んで笑う。

「あっちの水は苦いだろう」

「どうかな。大物攘夷志士を見逃す程度には甘いけど」

「確かにな」

「…今年もおめでとう。それじゃ、また」

祝いの言葉と別れの挨拶が同居する関係。

この間柄に不満を持ったことはないが、俺の手は彼女の腕を掴み、無意識のうちに引き寄せてしまっていた。

じわりと温かい熱を、柔らかく確認し合う唯一の方法。

先生が頭を撫でてくれたときとは別の情が溢れ出て止まらない。

あの日、蛍は確かに彼女の手の中で光っていた。

そして時が過ぎた今、蛍ではなく彼女が俺の腕の中に収まっている。

誰がどう考えても難儀な関係だ。

ただ、夢ならどうか冷めてほしくない、そう思ってしまうのは俺の弱さ故なのか。

少し背伸びした彼女は、俺の肩に顔を埋めて、ぽつりと話す。

「前、見えない」

「ならちょうどいいな。どうせ捕まえる気はないんだろう」

「捕まえてほしいの?」

「いいや」

あの晩見た光景が、目の前で蘇る。

捕まえる気なんて最初からなかった。

彼女に惹かれて蛍が止まったのと同じように、ここにあるのもまた、どうしようもなく甘い水だ。

耳元に唇を近づけて言葉を紡ぐ。

雨はすっかり止んでいて、邪魔するものは何もない。

こそばゆい幸せを噛みしめては、観念して全てを委ねる。



「蛍が寄ってきただけだ」







甘え蛍が身を焦がす



Happy Birthday to Revolutionist!!

   


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