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□ようこそディストピア
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引っぱたかれた頬が痛い。










単純な話だ。

愉快だと伝える方法を他に思いつかなかった。

待ちに待ったマヨリーンマヨネーズの新作は、俺のために作られたと断言できるほど好みの味だ。

滑らかな舌触りに食欲をそそる酸味、口の中で後を引く油分。

どれを取っても申し分ない。

買ってすぐに一本平らげた後、慌てて十本買い溜めたが、これもすぐになくなるだろう。

正義は世界を救わない。

それができるのは、コレステロールだ。

隊服のポケットには究極の嗜好品、マヨネーズを携帯すべし。

今度の会議でそんな法度を提案してみようかなどと考えながら、朝の見廻りを終えて食堂へと向かう。

既に朝食の時間は過ぎているが、そろそろメシを食いっぱぐれたアイツが姿を現すはずだ。

散々文句を言いながらも、きっちりと仕事をこなす副長補佐。

昨日も徹夜していたらしく、早朝までアイツの部屋から明かりが消えることはなかった。

働きを労ってやることは殆どないが、感謝はしている。

たまにはメシでも奢ってやろうと考えた矢先の出来事だった。

「いただきま…」

「何してんだ」

「…おはようございます副長、これは朝ごはん代わりのわらび餅です」

「その顔だと書類は片付いたみてェだな」

「副長室に提出済みです、後で確認していただけますか」

「わかった」

話しかければ端的な会話はすぐに終わり、静寂が流れる。

コイツはわらび餅を前に、真面目な顔をしていた。

甘味の良さは今ひとつわからないが、俺のマヨネーズに対する熱意と似ているのかもしれない。

とんでもなくうまそうに甘味を食う副長補佐の姿が目に浮かぶ。

その表情を見届けようとして席につけば、コイツは訝しげに俺の顔を覗き込む。

「まだ何か用ですか」

「いや」

「…副長も食べますか?」

差し出された和皿の上で、わらび餅はふるふると揺れた。

弾力のある柔らかさを想像しながら受け取ったが、これには決定的なものが欠けている。

黄色い恋人、マヨネーズだ。

マヨネーズをたっぷりかけなければ、甘味は成り立たない。

「あの、副長」

不安げな表情のコイツは、きっと俺と同じように、何かが足りないと思っているのだろう。

期待に応えようと、懐から取り出したそれを惜しげもなく和皿に絞り出す。

皿の上はあっという間に綺麗な玉子色で飾られ、目にも華やかになった。

「ちょっ…何するんですか副長!」

「何って、見りゃわかるだろ」

「わかりますよマヨまみれですよマイわらび餅!」

「うまそうじゃねェか」

「犬のエサにしか見えません!私まだ食べてないのに…」

「なら食ってみるか」

百聞は一見にしかず、まずは新作を食べてみればいい。

今までのマヨネーズとは明らかに違うと、コイツならきっとすぐに理解する。

俺が何を考え、何を求めているか、常に気遣いながら働いてくれている自慢の副長補佐だ。

本人を前にして賞賛こそできないが、この和皿が俺の思いを代弁してくれるに違いない。

期待を裏切らないコイツは、すぐに手を伸ばした。

歓喜の抱擁には程遠い、頬の痛みと床に散乱したマヨネーズという代償を残すために。










「で、こんなことになってるんですか」

「悪ィか」

「まだ何も言ってませんよ。…まぁ、彼女が気の毒ですけど」

食堂から出ていったアイツと入れ替わりで現れたのは、張り込みを終えた山崎だった。

床に散らばったわらび餅やマヨネーズは、修羅場よりも残酷だ。

呆然と立ち尽くす俺を一目見た山崎は、すぐに氷嚢と布巾を準備する。

「とりあえずそれで頬を冷やしながら床を掃除しましょう、手伝います」

「…慣れてるな」

「隊士の嗜みです」

局長も副長も沖田隊長まで上司は皆部下泣かせですからと言いながら、山崎は手際よくマヨネーズを拭き取っていく。

「オマエはあんぱんにマヨネーズかけられたら嬉しくないのか」

「俺に限らず誰も嬉しくないと思いますけど」

「俺ァ嬉しいぞ」

「副長は例外です」

「…そうか」

「ただ、それが副長にとってどんな意味を持つ行為なのかは理解しているつもりです。勿論彼女も」

「何言ってやがる」

「好物の甘味を、しかも江戸の名店の一品を副長におすそわけするくらいですから。…ほら、彼女らしいですね。痕残ってませんよ」

床が片付き、マヨネーズ特有の酸味ある匂いも薄まり始めた頃、頬から氷嚢を外すと山崎は感心した。

「現場でも手加減ねェ副長補佐のクセに、腕が鈍ったな」

煙草を咥えながら悪態をついてみたが、本当はわかっている。

アイツはどうも情に厚いところがあってよくないとぼやけば、誰に似たんでしょうねと勘のいい監察は苦笑した。

「山崎、オマエに一つ頼みがある」

「マヨネーズを飲む以外なら何なりと」

「さっきのわらび餅を売っている店を教えてくれ」










日が暮れた頃、要人警護を終えた俺は山崎に教えられた和菓子屋に訪れた。

もっと早く向かいたかったが、警護とあれば必然的に持ち場を離れられなくなる。

わらび餅は人気があり、夕方には売り切れている可能性が高い。

山崎にそう告げられていたものの、諦めきれずに店の前まで行くと、案の定完売という張り紙が貼られていた。

「…仕方ねェか」

わらび餅はまた改めて買いに来るしかないが、アイツに何と言えばいいのだろう。

頭を悩ませながらも煙草を手に取り、フィルターを咥え、ライターを近づけたときだった。

ささやかな休息を邪魔するかのように、携帯電話が勢いよく音を鳴らす。

せわしないと文句を言うより先に通話ボタンを押すと、耳に飛び込んできたのは新たな仕事だった。

ここから歩いて数分かからない場所にある料亭で、攘夷浪士の密会があるという。

煙草を咥えたまま現場に向かうと、料亭の外にはパトカーが一台停まっていた。

中には誰もいないが、運転席にアイマスクがある。

今の時間帯に総悟と見廻りをしている隊士といえば。

「…副長補佐か」

躊躇いなく料亭の暖簾をくぐれば、通り抜け様に総悟とすれ違った。

「随分早かったですねィ、土方さん」

「近くにいたからな」

「奇遇でさァ、こっちもたまたま近くにいやした」

「中はどうなってる」

「全員確保、応援を呼んできやす」

「頼む」

総悟の笑みが何を意味するのかなんとなく想像がついたが、今はそれどころではない。

二階の奥の個室ですぜ、と言い残した総悟はパトカーの無線を手にした。

場か収まったなら状況確認だ。

階段を上がり、どの程度の騒ぎだったのかと辺りを見渡せば、障子や壁に刀傷が残っている。

「派手にやってくれやがって」

溜め息混じりで奥の部屋を覗くと、そこには浪士と対峙するアイツの姿があった。

だが、明らかに様子がおかしい。

向き合っているのにしゃがみ込んだまま刀さえ抜けていないなんて、負傷でもしたのだろうか。

何にせよと考えるより早く手が出てしまうのが俺の性分だ。

浪士とソイツの間に刀を滑り込ませれば、後は容易い。

失神する程度の痛みを計算して斬り込めば、浪士はあっという間に崩れ落ちる。

「副長」

背中から聞こえた声は、しおらしく掠れがかっていた。

「らしくねェな、手負いか」

「…いいえ」

いつもなら来るのが遅いという皮肉の一つも漏らすはずなのに、ここまで大人しいと気味が悪い。

そう悪態をつこうとしたときだった。

「オイ、」

立ち上がりかけたコイツが倒れ込む直前、華奢な肩に手を回して身体を支える。

見たところ怪我はしていないようだが、気を失っているのか微動だにしない。

そういえば近頃よく仕事を任せていたと思い出せば、原因は大方察しがついた。

「…ったく」

煙草の灰が零れないよう、丁寧にコイツを抱き上げる。

無茶しやがってと文句を言いかけたが、無茶を強いたのは俺だ。

貸しにしといてやると呟けば、なかなか素直にならない副長補佐が小さく頷いた気がした。










甘味の匂いがする。

舌が疼くようなコイツ特有のそれを、俺は密かに好いていた。

遠くから宴会の騒ぎ声が聞こえてくるが、この部屋は静かだ。

貧血と診断された副長補佐は、副長室であるここで眠っている。

宴会をこっそりと抜け出した俺は、コイツの寝顔を眺めながら煙草を吸い続けていた。

いつも副流煙がどうこうと喚いているが、それは俺の身体を案じてのことだとも知っている。

「ここまで運んでやったんだ、今夜くらい多めに見てくれ」

低い声で零すと、コイツの長い睫毛がしぱしぱと微かに動いた。

やがて気がついたのか、少しずつ身体を起こしたソイツは、遠慮がちに俺と目を合わせる。

「貧血だとよ」

「そうですか」

「二日目か」

「違います」

「どうせロクに食ってねーんだろ」

冗談交じりに問いかけると、コイツは存外大人しく頷いた。

そんな顔をさせたかったわけじゃない、という言葉を飲み込む代わりに頭をぐしゃぐしゃと撫でてみる。

「悪かったな」

「何がですか」

「わらび餅。買いに行ったら売り切れてた」

「いいんです…私のほうがよっぽど酷いことしてますし」

「オマエが?」

「今日は副長の誕生日なのに、お祝いどころか平手打ちって…申し訳ありませんでした」

「鬼の副長に相応しい、勇ましい副長補佐じゃねェか」

正直に詫びると、副長補佐も気まずそうに頭を下げた。

広間の喧騒が聞こえたのか、コイツは姿勢を正して俺を促す。

「主役がこんなところにいちゃ駄目ですよ、私は大丈夫ですから早く戻ってください」

「いい」

「でも」

「ここにいさせろ」

そう言い切ったものの、後の言葉が見つけられずに視線を逸らすと、コイツは照れくさそうに微笑んだ。

「…わかりました。その代わり、今度私にもお祝いさせてくださいね」

「そいつは楽しみだ」

「誕生日おめでとうございます、副長」

誕生日なんて一つ歳を取るだけで、大したことではない。

それでもコイツがこんな顔で俺を見てくれるなら、祝われてもいいとさえ思えてしまう。

「反則だろ」

しなやかな身体を強く抱きしめ、欲望のまま布団へと押し倒せば、据え膳は完成だ。

溶け出しそうな体温が重なり合う。

本能のままに、望むがままに。

「ふくちょ…」

「惚れた弱みだな、俺ァやっぱり」

好きな女と一つになる、その寸前。

幸せは約束されている。

ごく自然に懐から取り出した黄色いそれを、コイツと一緒に味わえるなら。



「好きなモンにはマヨかけたい」





ようこそディストピア





   
Happy Birthday to Mayonner!!

   


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