clapping

□一人ジェンガ
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積み上げたものが失われる日を想う。

指一本で崩れゆく、潔い爽やかさを。










同じ班に所属する女SPの様子が変わった。

言葉にすればそれだけの話でも、癪に障って仕方ない。

大学で知り合ったソイツはいつも教室の隅に座っていて、講義に遅刻しがちな俺は隣の席に着くことが多かった。

横顔は何度か盗み見たが、特別頭の切れそうなタイプでもなく、かといって目を見張る程の美人でもない。

ただ、姿勢だけはやたら綺麗だったと、今でもよく覚えている。

親しくなったきっかけは単純だ。

ある日、講義が終わって帰ろうと立ち上がったとき、ふいに何かが落ちる音がした。

足元に投げ出されている携帯電話が誰のものなのか。

考えるよりも先にそれを拾い上げると、女は困った顔で笑った。

「拾ってくれてありがと…」

礼を言い終える前に、女は携帯電話ではなく俺の手を掴み、まじまじと覗き込む。

「何か文句ありやすか」

「凄いタコだね、痛そう」

「ご心配どーも」

「竹刀ダコかな…、剣道やってる?」

「アンタも経験者ですかィ」

「私はやったことないけど、父が習っていたみたいだから」

その日から、俺とコイツはよく話すようになった。

お互い同じ職種、拳銃を握る仕事に就くなんて考えもしないで。







世界は広く、社会は狭い。

あれから四年間、俺はアイツからバレンタインデーのチョコを欠かさずもらうようになった。

毎年手作りで、不器用ながら少々凝ったラッピングが施してあり、見た目も味もなかなかだ。

勿論悪い気はしない。

だが、問題はホワイトデーだ。

まさか手作りというわけにもいかないし、何か買って渡すのも気恥ずかしい。

かといって全く無視してしまうのも気が引ける。

悩んだ挙げ句、ホワイトデーはソイツの好きな焼肉屋へ行くことにした。

色気もムードもないが、学生にとって値の張る食事だ。

今思えば、コイツの菓子やらパンやらを横取りするのは日常茶飯事だったので、罪滅ぼしも兼ねていたのかもしれない。

素っ気ない態度で奢ってやると、案の定ソイツは驚きながらも嬉しそうに礼を言った。

「ありがとう、総悟」

その一言で、呑気な俺はすっかり油断してしまった。

いつまでも学生ではいられないのに、コイツとの関係は一生変わらないはずだとタカをくくって。







大学卒業後に留学のため渡米したソイツは俺より一年遅れてSPになり、それから徐々に関係は変わっていった。

コイツは俺を「総悟」と呼ばなくなり、俺も名前ではなく名字でソイツを呼び始めてから数ヶ月後の二月半ば。

スーツ姿で迎えたバレンタインデーにもらったのは、デパートの地下に並んでそうな品のいい義理チョコだ。

値段から言えば手を抜いたわけではないだろうが、今年も手作りチョコだと思っていた俺はどこか拍子抜けしてしまう。

あげたこともないしもらったこともないが、こんなものはお中元やお歳暮と等しい。

それだけ俺もアイツも大人になってしまったのだ。

班の連中には全員同じものが配られたらしく、ホワイトデーが近づいてくると、着替えの最中に地味な男がその話を持ちかけた。

「ホワイトデーのお返し、どうします?」

「俺はそういうのに疎くてなぁ…トシは何を買うつもりなんだ」

「そういうことは言い出したヤツに任せればいいんだよ。山崎、後は頼む」

「えっ…ちょっ、土方さん」

嫌味な鬼のSPは涼しげな顔で、山崎に金を渡して更衣室を出ていく。

結局モテないくせに手土産事情に詳しい山崎が代表してお返しを買うということで、話はあっさりまとまった。

単なるイベントだと割り切ってしまえばそれまでだが、土方さんとアイツの関係は確実に親密さを増している。

わざわざ喫煙所に出向くようになったアイツに、話しかけられてもうざったい顔を見せない土方さん。

二人を見る度に、何故かビターチョコレートと似た苦みが渦巻くようになってしまった。







三月十四日、俺とアイツの任務は被らなかった。

急遽欠員が出た他の班の応援として、俺が別の任務に就くことになったのだ。

それ自体はよくある話だが、俺の鞄に眠っている掌ほどの大きさの箱の行方が悩ましかった。

昨夜、仕事帰りに勢いで買ったマカロンは、意外と日持ちしない代物だ。

貰ったチョコは賞味期限まで一ヶ月程あったのに、無計画だとこうなるのかと溜め息をつきながら任務を終えてフロアへ戻る。

消灯され暗くなってしまったそこで、デスクの明かりだけつけてみると、アイツの席には携帯電話が置かれたままになっていた。

もしかしたら、これを取りにアイツが戻ってくるかもしれない。

くだらない希望的観測を抱いたところで足音が聞こえ、フロアの扉は遠慮がちに開かれた。

「あれ…まだ残ってたんですか?」

「今から帰るところでさァ」

「そうなんですね、お疲れ様です」

「忘れ物ですかィ」

「はい、うっかりしちゃって」

一年早くSPになった俺は先輩に値する、だから敬語で話したいと言い出したのは女のほうだ。

コートのポケットに携帯電話を突っ込んだコイツからは、お世辞にも可愛いとはいえない、香ばしくて懐かしい匂いがする。

おそらく炭火焼肉、カルビとホルモンというところだろうか。

今夜は先約があると言って近藤さんの誘いを断った土方さんの口ぶりが、頭の片隅でちらつく。

引き返そうと背中を見せかけた女は、そういえば、と言いながら動きを止めた。

「ホワイトデーのお菓子を山崎さんから頂きました。ありがとうございます、沖田さん」

頭を下げるコイツに昔の面影はない。

俺を総悟と呼んだ頃とは、全く別だ。





「待ちなせィ」

唐突に呼び止めるのと、俺の手がコイツの腕を掴むのはどちらが早かっただろうか。

そのまま俺の胸元まで引き寄せ、華奢な身体をしっかりと抱きしめる。

全身は隈無く焼肉臭いクセに、首筋から甘い香りがするところはきちんと女らしいのが、悔しくて仕方なかった。

スーツのポケットからマカロンの入った箱を取り出した俺は、コイツの鞄にそれをさりげなく滑り込ませる。

前触れのない行為に気を取られたのか、コイツは身動き一つ取れずにいた。

これくらいで動揺しているなんて、一人前のSPには程遠い。

「ずりィや」

「総…悟?」

「焼肉臭いですぜ、明日の任務はどうするんでさァ」

ああ、その呼び方はもっと狡い。

そう言えなかった俺は、わざとらしく鼻を近づけて匂いを嗅ぐ真似をする。

「それは、」

「このコートは着られやせんね」

呆れた口調で言い放ち、抱きしめる腕の力を緩めれば、コイツは僅かに後ずさりをした。

無意識の行動だったとしても、その一歩が全ての答えだ。

「それじゃ、失礼しやす」

また明日、と言い残した俺はソイツを残して先に部屋を出る。

薄暗い通路を足早に歩いていても、一度感じ取ってしまった温もりはなかなか消えてくれそうになかった。

外に出てから何気なく腕時計を眺めてみると、既に十四日は終わっているとようやく気づく。

諦められるかなんて見当もつかないが、終止符を打つにはあまりにも。



「遅すぎやしたか」










一人ジェンガ






   
勝っても負けても、ないものねだり。
   

   


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