clapping

□大人心に冠を
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今からでも間に合うなら、素直な大人になりたくて。










澄んだ空に白い月と無数の星が輝く夜。

蛍光灯に照らされた身体は妙に冷たく、昼間の騒がしさが嘘のように静まり返った部屋は随分広く感じられる。

唯一耳に届くのは、壁に設置された大きな時計の秒針が規則正しく動く音だけだ。

電波式のそれは、毎日寸分の狂いもなく働いてくれる。

これくらい迷いがなければ、俺もくだらないことで悩まずにいられるのだろうか。

窓の外に目をやっても砂場や遊具は見えず、代わりに部屋の様子が鏡のように映されている。

夜の窓ガラスに映し出されるのは五年後の自分の姿だと言っていたのは、一体誰だったか。

少なくとも今、目の前にいる俺はエプロン姿で冴えない顔をしていた。

「疲れた…」

明日の保育参観に向けて、展示物の準備を行っていた俺は、一人なのをいいことに遠慮なく溜め息をつく。

こんなにも気が重いのは、保育参観のせいではない。

確かに保護者と顔を合わせるのは神経を使うけれど、そんな時間はあっという間に終わってしまう。

憂鬱になるのは、壁一面に飾られた絵が原因だ。

もっとも、子供達が一生懸命取り組んだそれは、どれもよく描けている。

絵のテーマは誕生日だ。

それぞれの特別な日を、自由に描くように。

そう言われた子供達は、それぞれ思いのままの絵を描いた。

クレヨンで手を汚しながら思い出を色づけていく作業は、記憶を次々に染め上げる。

玩具に囲まれている絵、誕生日のケーキを食べている絵。

形や色が違う並ぶ中、唯一全員の絵に共通する描写があった。

一人ではなく、友達や家族に祝われている。

どうやらこの構図は子供達の定番らしい。

確かに、幼ければ幼いほど誕生日は新鮮だ。

消化試合同然の生活を送る大人から見たら、皆、眩しいほど輝いている。

オンリーワンという言葉は、子供達のために存在するのだろう。

そして、悲観的になってしまう理由はもう一つあった。

あと数時間で終わってしまう今日は、俺の誕生日だ。

ただし、祝ってくれる人間なんて誰もいない。

ごく平凡で忘れられがちな日付に生まれたことを何度呪っただろうか。

幸い、今年の誕生日は平日なので仕事がある。

誕生日を祝い損ねる理由は十分揃っていたが、それでも気分は晴れないままだ。

作業を続けながら、食事代わりのあんぱんを一口齧ってみる。

大して咀嚼もせずに、甘いそれを牛乳で胃に流し込むのは残業の定番だ。

飾り付けの折り紙細工を絵の周りに貼れば、今日の仕事も何とか片付く。

もう少しだと気を取り直し、子供達が作った折り紙に目をやれば、黄色いそれは王冠の形をしていた。

これを被るだけで主役になれる、安上がりで便利なものだ。

ふいに芽生えた出来心から、掌よりも小さな王冠を旋毛の辺りにそっとあてがってみる。

そのまま窓ガラスを見てみれば、現れたのは即席の王様だ。

合わせて無理矢理笑顔を作ってみたものの、口元はぎこちなく引きつっている。

たとえ誕生日だろうと、地味な俺が王様になれるはずがない。

「似合うわけないか…」

そう漏らしたときだった。

「退先生?」

突然聞こえた声に驚きながら振り返ると、そこにはコート姿の彼女がいた。

四月から正式採用される新人保育士の彼女は、部屋の入口に立ったまま俺のほうをじっと見ている。

咄嗟に折り紙をエプロンのポケットに突っ込んだ俺は、頭の中を引っかき回して当たり障りない言葉を探した。

「おっ…お疲れ様!何か忘れ物?それとも他の先生に用とか?皆帰っちゃったけど」

「退先生もお疲れ様です。月詠先生と妙先生、九兵衛先生とあやめ先生は女子会みたいですね」

「そうなんだ…」

「知らなかったんですか?」

「誘われてないし、女子会に男子は不要でしょ」

「…すみません」

マイナス思考は不思議なもので、何を言っても仇となる。

申し訳なさそうに俯く彼女にこれ以上気を使わせてはいけないと思うと、疲れていても自然と饒舌になってしまった。

「あの、あんぱんでも食べる?食べかけでよければ…ってよくないか」

「退先生は本当にあんぱんがお好きなんですね、毎日食べてませんか?」

「残業にあんぱんってお約束かなって」

「そんな話、初めて聞きました」

必死に話したせいか、こんな俺をくだらなく思ったのか。

ようやく笑ってくれた彼女を見て、心底ほっとする。

若いのにしっかりした性格の彼女は、笑顔だけが唯一幼い。

「で、どうしたの?用がなければ明日も早いし、もう帰ったほうが…」

「退先生にこれを渡したくて」

彼女はそう言って、紙袋を俺の前に差し出した。

見覚えのある柄がプリントされた紙袋は駅前のケーキ屋のもので、保護者から差し入れをもらうことも多い。

「よかったら開けてくれませんか?」

「え…」

疑問符を喉の奥に留め、言われた通り中身を確認する。

紙袋から箱を取り出し、シールを剥がして蓋を開ければ、苺のショートケーキとチョコレートケーキが現れた。

「…これ」

「実はあんぱんにしようか迷ったんです、でもやっぱりケーキかなって」

「いや、そうじゃなくて」

「しかもホールのケーキは売り切れてるし、ショートケーキとチョコレートケーキでも悩んで」

「どうしてロウソクまであるの?」

彼女の言い分を全て聞く前に思わず遮ってしまったのは、このロウソクが何を意味しているか理解できるからだ。

察しているのに尋ねるなんて、大人げないとわかっていても。

「今日は退先生の誕生日ですから」

「…よく知ってたね」

「皆でこの絵を描くときに、自分で言ってましたよ」

「そんなこと言ったっけ…その割には今日、誰からもおめでとうとか言われなかったけど」

「きっと何か事情があるはずです、皆が退先生の誕生日を忘れるわけないじゃないですか」

「そうなの?」

「退先生」

彼女は俺のエプロンのポケットに手を入れて、さりげなく折り紙を取り出す。

王冠を形どったそれは、俺の頭に愛らしく乗せられた。

「今日は退先生が主役です」

そう言いながら横目で窓ガラスを見た彼女は、悪戯っぽく微笑んでいる。

こんな俺でも、まだ無邪気な一面を持ち合わせていたらしい。

知らない顔をして、冷めたふりをして。

手には小さなケーキ、頭には折り紙の王冠。

それを全部特別にしてしまうのは、彼女の魔法の一言だ。

「お誕生日おめでとうございます」







大人心に冠を







給食のあんぱんを皆にプレゼントされるまで、あと十二時間。

Happy Birthday to your inspection!!
   

   


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