【星現】 偶然拾った星屑を、夜の魔法で必然に。 色鮮やかなネオンが喧騒の絶えない街を照らす宵の口。 冬至に向けて落日は徐々に早まり、空は一層遠ざかる。 色づいた枯れ葉の侘しさが理解できる大人になって、早数年。 埃っぽく乾いた風が鼻先を掠めては、人の心を悪戯に急かす。 行き交う人の波に逆らわず歩く術も、随分前に覚えてしまった。 久しぶりの江戸だが、行き先は通い慣れた店ではない。 散歩がてらふらふらしながら辿り着いたのは、一軒の料亭だ。 周りに比べて薄暗く、石造りで趣のある玄関先。 足元を照らすだけの提灯は熱を帯び、ぼんやりと温かい。 「…ここじゃの」 小さな看板の前で立ち止まり、店の名前を確認する。 旬の食材をふんだんに使った会席料理で名高い料亭は、創業から受け継がれてきたという和式の店構えが印象的だ。 石を積み上げて作られた塀の上からは、見事な枝ぶりの柿の木が頭を出している。 柿の実は大きく、まさに今が食べ頃だろう。 少々背をかがめて戸を開ければ、決して派手ではないが品よく着物を着こなした女将がわしを出迎えた。 手入れされた玄関は情緒があり、山茶花を取り入れた生け花が飾られている。 足元に並んだ行灯は艶があり、橙色の炎はコートの裾が織り成す風で微かに靡いた。 今宵もまた、宴が始まる。 渡り廊下から横目で中庭を覗きつつ歩けば、すぐに離れまで到着した。 個室に通されると、そこには既に商談相手の姿がある。 社交辞令の挨拶を済ませ、お高い酒を酌み交わし、自然な笑顔をやんわり繕う。 これも仕事の一環だ。 ただ、こういう日が何日も続くと、流石のわしも疲れてしまう。 昨日は寿司、一昨日は天ぷら、その前の晩は何だったか。 贅沢な悩みとわかっているが、全ての会食の内容を把握していられるほど器用でもない。 今夜の食事はいつまで忘れずにいられるのかと考えながら、相手のお猪口へ酒を注ぐ。 商談は滞りなく進み、壬生菜の煮浸しと胡麻豆腐を食べ終え、栗の甘露煮に舌鼓を打つ。 伊勢海老のお造りをつまみ、松茸の土瓶蒸しが運ばれてきたそのときだった。 穏やかな雰囲気を一変させたのは、廊下の木目なんて微塵も気にせず、節操なく走り込む足音だ。 「御用改めである!」 ぴしゃりと勢いよく障子は開かれ、わしの視線は膳から廊下へと向けられる。 「失礼、」 訝しげな商談相手をよそに、席を立って廊下に出れば、そこには漆黒の隊服に身を包んだ数名がいた。 江戸の治安を護ると謳う武装警察、真選組。 彼らは隣の部屋に用があるらしい。 障子の影から覗き込むと、男連中は呆気なく部屋の隅へと追いつめられている。 濡れ鴉の如く威圧感のある隊服を纏い、雄々しく立ち振る舞う彼らを眺めれば、よく知る顔が目についた。 「…ほぉ」 わしの口から零れた溜め息は、感嘆のそれだ。 紅一点とは、まさにこういうことを指すのだろう。 怯えも怯みもせず、芯のある眼差しで己が構えた切っ先を見据える彼女は、スナックで酔っ払う度にわしを迎えに来る女隊士だ。 日頃わしを咎める唇は凛々しく結ばれ、パトカーのハンドルを握る手には重厚な刀の柄がある。 付き合いもそこそこ長いつもりだが、こんな彼女は初めて見た。 わしの知らない一面を持つ彼女に見入っていると、既に決着はついたのだろう、隊士達はてきぱきと男連中をしょっ引いていく。 一件落着なんて表現は安直かもしれないが、場は無血で収まったらしい。 彼らの邪魔をしないよう、足音に気を遣いながら部屋へと戻れば、この料亭を指定した商談相手は狼狽えながら詫びを告げる。 今日は日が悪い、続きはまた改めて。 相手は立ち上がり、挨拶もままならないまま部屋から出ていく。 先程までと一変した態度から察する限り、何か後ろめたいことでもあるのかもしれない。 いずれにせよ、この程度の騒ぎで動揺するようでは肝っ玉もたかが知れている。 淡々とそんなことを考えつつ商談相手の背中を見送ると、辺りは再び静まり返った。 部屋に一人残されたわしは、深呼吸をしてからお気楽な手酌を始める。 熱燗はすっかり温くなってしまったが、ようやく味を噛みしめることができた。 想定外の揉め事に遭遇するのは、宇宙を相手に商いをしている以上日常茶飯事だ。 しかし、今夜の騒動を酒の肴として片付けてしまうのはどうにも惜しい。 あんな彼女の姿を見た偶然が必然に変わるまで、こうして酒に酔うのも悪くないはずだ。 そんな理屈を頭の中に並べ、本音を酒を飲み干そうとしたときだった。 遠慮がちな足音が個室の前で止まり、「失礼します」と声がかけられる。 特に返事はしなかったが、障子は丁寧に開けられた。 「この度はご迷惑をおかけしました」 正座をして深々と頭を下げているのは、紛れもなく真選組隊士の彼女だ。 「おんしの仕事も難儀じゃの」 労いの意を込めて話しかければ、垂れた頭はすかさず跳ねる。 「坂本さん?」 「こんなところで合うとは奇遇ぜよ」 「どうしてここに」 言葉を続けるより先に、中途半端に散らかった膳を横目で見た彼女は、肩身が狭いとばかりに俯いてしまう。 「今夜は商談相手と会食でな」 「そうですか…隣のお座敷だったんですね」 「おかげで芝居よりも面白いものを見れた」 「邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」 「なに、大した集まりでもない」 「こんな高級料亭を使うなんて、十分大切な会合じゃないですか。それに今日は、」 さっきまでの勇ましい姿からは想像できないほど縮こまった彼女は、恐る恐るわしの顔色を窺った。 「坂本さんの誕生日です…」 彼女の口から落ちた言葉は、期待どころかすっかり忘れていたものだ。 忙しさに埋もれかかった日を、軽々と掬われてしまう一言がわしを密かに驚かせる。 きらきらと輝く、ありきたりなのに特別な言葉で。 「あの、おめでとうございます」 相変わらず正座したままわしに向き合う彼女は、決して目を逸らさない。 男勝りな格好をしているのに細やかな気配りも忘れず、相手の気持ちを汲もうと懸命になれる性質を持ち合わせている。 そんな彼女に会いたいと、何度酒に溺れたことか。 「おんしに祝ってもらえるとは意外ぜよ」 「それは…会えるなんて思ってなかったですし」 ぼそぼそと呟かれる声ですら愛しくなってしまうのは、酔いが回ったせいでもないだろう。 「会いたい」 「え?」 「おんしが会いたいと言えば、わしはいつでも会いに来る」 「…陸奥さんに叱られますよ」 「わしの留守は陸奥の腕の見せどころじゃき」 伏し目がちに瞬きをする彼女の睫毛は、星の光とよく似ている。 掴めそうで掴めない、だからこそ追い求めるもの。 「後始末が終わったら、一杯付き合ってくれんか」 「事後処理は済みましたけど…私でいいんですか?」 「おんしがいい」 そう断言しながらストールをほどき、ぐるぐると彼女の首に巻きつける。 珍しく反論しない彼女の口元はストールで隠されているが、耳の赤さはわしへの思いを代弁するのに十分だ。 「こういう場所はどうも落ち着かん。そうじゃの、屋台のおでんは好かんか?」 「…結び白滝が好きです」 立ち上がりながら手を差し出して見ると、彼女はわしの手を柔らかく握り返してくれる。 指先の冷たさも、二人でいればすぐに溶けていくだろう。 始まったばかりの夜が、数え切れない星を落とす。 髪を揺らす風は冷たく、吐息はじわりと白くなる。 誕生日なんて口実がなくてもいい。 互いに会いたいと言える仲になるまで、時間はさほどかからないはずだ。 歩き出した彼女の隣で、ごく当たり前に歩幅を合わせる。 結び白滝を彼女が食べ終えてしまうまでに、次の非番がいつなのか尋ねてみよう。 そんな思いを抱きながら、わしはおでんへの期待をはにかむ彼女に話し始めた。 Happy Birthday to Our President!! |