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□土方十四郎〜休息篇〜
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たった一度の誓いこそ、命を賭けるに相応しい。










薄い雲が流れゆく中に、細い三日月が浮かぶ夜。

いくつもの星が散りばめられた夜空は遠く、澄んだ光が地上を照らしている。

廃ビルの裏で行き交う風は、隊服の裾をはためかせた。

無線からは現場で奮闘する隊士達や指示を出す近藤さん、一人で勝手に暴れているであろう総悟の声が聞こえてくる。

「こんないい夜に騒ぎを起こすたァ、風情のわからない奴が多くて困る」

「副長はわかるんですか?」

「まァな」

何本目になるのかわからない煙草に火をつけて、煙を吸い込む。

苦さと甘さで肺が満ちる感覚は味わうほど癖になると気づいたとき、俺は既に立派な愛煙家になっていた。

隣で息を潜め、向かいの廃ビルを双眼鏡で覗き込んでいる風祐の表情は真剣そのものだ。

どれだけ現場に出向こうと未だ慣れないのか、顔つきに余裕は生まれない。

あの廃ビルは半年近く泳がせてきた浪士共の溜まり場で、今夜は会合が予定されている。

地味に優秀な監察がその情報を掴んだのは、つい数日前のこと。

話を聞いた俺は、すぐさま全隊士が今夜現場に駆けつけられるよう予定を組み替えた。

しかし、いざ当日を迎えてみれば江戸の至る所で陽動らしき事件が次々に勃発し、最早張り込みどころではない。

爆破事故、攘夷浪士の小競り合いに強盗と、片付けるべき案件は次々に増えていく。

結局、近藤さんや総悟を各現場に向かわせ、本命であるここに残ったのは俺と副長補佐であるコイツだけだ。

既に何人もの攘夷浪士が建物の中へと姿を消したのは、この目で確認している。

後は頃合いを見て、その場に乗り込めばいい。

そう説明すると、不安げな風祐は露骨に眉を寄せた。

「これって失敗できないですよね…」

「当たり前だろ」

「それならどうして二人だけなんですか?」

「生憎これでも隊士全員稼働中なんだがな。人手が足りないのはオマエも知ってるはずだ」

「でも、」

「それに少数精鋭のほうが都合もいい」

「精鋭がいいなら、沖田隊長と組めばよかったじゃないですか」

「腕前はな」

「…副長、遠慮なさすぎです」

煙草のフィルターを唇から離し、溜め息混じりで答えると、風祐は小さく唸った。

コイツは剣の腕前も悪くないし、勘もよく身のこなしも軽い。

総悟には劣るが、その能力は夜な夜な一人で行う鍛練の賜物だと知っているからこそ、俺は風祐を副長補佐として指名した。

こういう場面で弱気になってはいけない。

何度もそう教えたはずだが、風祐は以前一番隊所属した経緯もあり、副長補佐となった今も総悟に対して劣等感を抱いていた。

短くなった煙草を地面に落とし、襲撃用に履いてきたブーツでねじ伏せる。

今までの風祐なら、吸い殻をポイ捨てするなと張り込み中にいちいち注意してきたが、いつの頃からか俺を咎めなくなった。

その代わり、事後処理の段階でまとめて吸い殻を拾うのがコイツの習慣になっている。

「オマエに足りないのは何だと思う?」

「え…と」

「自信だ。風祐が今までどれだけ必死に働いてきたか、俺は知ってる。オマエはもっと自信を持って刀を振るうべきだ」

「…副長」

唇を噛みしめる風祐に今、必要なもの。

そう考えたところで、俺は胸ポケットから煙草の箱を取り出した。

今日は相当吸っていたので中身を切らしているのではないかと思ったが、まだ最後の一本が残っている。

煙草の箱を差し出すと、風祐は不思議そうな顔をして箱の中を眺めた。

「副長補佐らしく、腹くくっとけ」

「何ですか、これ」

「煙草だ」

「そうじゃなくて」

「吸ってみろ」

副流煙ですら嫌がるコイツに煙草を勧めたことなんて一度もないが、この一本には喫煙以上の意味がある。

風祐は何か言いたげな目をしていたが、俺の顔をまじまじと見つめた後で煙草をそっと手にした。

フィルターを挟む手つきは不慣れでみっともなく、格好もついていない。

その姿は、初めて竹刀の稽古をつけてやったときのコイツを彷彿とさせた。

ライターを近づけてやると、風祐はフィルターを咥えて煙草に火をつける。

煙を勢いよく吸い込み過ぎたのか、煙草を味わおうとしたコイツは途端にむせ込んでしまった。

俺が好んで吸っているのは、初心者にはとても勧められないキツめの銘柄だ。

吸う勇気があっただけマシだと考えるべきだろう。

「悪くねェな」

「趣味悪い…っ」

酸素を求めて涙目になった風祐の手を握り、吸いさしを奪う。

呆気に取られたコイツを横目に、俺は吸いさしを口へと運んだ。

じわじわと肺を侵食する煙は、こんなときでも思考を支配する。

「うめェだろ」

「おいしくないです」

舌を噛むような仕草で俺を睨みつける風祐に、さっきまでの心細さは感じられない。

いつものように背筋も伸びて、凛とした雰囲気を醸し出している。

成長していくコイツを命ある限りは見ていたい、そんなことを言ったら副長らしくないなどと笑われてしまうだろうか。

「…もう二度と吸うなよ」

「副長…?」

「誓いの盃なんざ、一回で充分だ」

交わしたのは、仲間を信じて誇らしく生きるための誓いだ。

酒ではなく煙草を、たった一度二人で共有する。

コイツが俺を裏切らない限り、この一回は永遠に燃え尽きない。







向かいの廃ビルを見上げれば、部屋に明かりが灯されたのだろう、人影がぼんやりと映し出されている。

ブーツの踵を翻した俺は、風祐の肩を軽く叩いた。

「ここから先は、弱音吐く暇もねェぞ」

「…当たり前じゃないですか、まだ仕事も残ってますし」

「仕事?」

「全部片づいたら、それ、拾わないと」

コイツは視線を足元に落とし、無残に踏み潰された吸い殻を見て目を細める。

笑いとも昂ぶりとも言えない表情は柔らかいのに、先程までとは違ってどこか芯があり、見ていて気分がいい。

片手は腰にある刀の柄に触れ、片手はコイツの体温を感じ、口は煙草のフィルターで塞がれている。

これほど恵まれた状況で、恐れるものなどあるはずもない。

「上等だ」

俺を見据える風祐の目は、どこから見ても一人前の副長補佐だ。

互いに隣を歩き、背中を預け合う。

信じているからこそできる命のやりとりに躊躇いはない。

覚悟を決めたかのようにブーツが軋み、その音を合図に俺と風祐は小気味よく一歩前へと歩き出した。










Fin


   
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