special gift

□土方十四郎〜葉月篇〜
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何度季節が変わろうと、焦がれるものは只一つ。










全身を包む深緑の匂いと、木陰を通り過ぎていく清々しい風。

青空に映えて、日射しを遮るどころか熱を加速させる入道雲。

人の気配もなく、蝉の声だけがやかましいほど鼓膜を震わせる。

皮膚を焼く暑さをもて余す江戸と違い、幾分か呼吸もしやすい。

ここには夏が溢れている、そう意識せずにはいられなかった。

「暑い…。」

「まぁ、地面がアスファルトじゃないだけマシだろ。」

「そうですね…うわ、この水思ったより冷たいですよ。」

「井戸水だからな。」

古びた井戸から桶に水を汲み、柄杓を突っ込めば、水面はゆらゆらと心地よさげに揺れた。

副長補佐である風祐が抱えた白菊の花束は、品のある香りを微かに漂わせている。

田舎を知らないコイツにとって、この光景は何もかも珍しくて仕方ないのかもしれない。

砂利道を革靴で歩く俺と風祐は、漆黒の喪服めいた隊服姿だ。

今年は猛暑だと言われるだけあって、二人とも上着は既に脱いでいる。

それでもスカーフはきっちりと身につける辺りが、妙なところで几帳面なコイツらしい。

いつも先頭を歩きたがる風祐の天真爛漫さは身を潜め、大人しく俺の一歩後ろをついてくる。

この歩き方は、敵陣以外の見知らぬ土地を歩くときに必ず見せるコイツの癖だ。

刀を抜いていればなりふり構わないのに、勘がいいのか鼻が利くのか。

今日はやけにしおらしい、そう思った矢先だった。

「…副長?」

「ここだ。」

立ち止まった俺の視線を追いかけた風祐は、そこに彫られた名前に向けて深々と頭を下げる。

今年もまた、この季節が来てしまった。







よく磨かれた墓石に、抜かりなく準備された線香や花、供え物。

毎年変わらない光景を眺めながら、二人で墓石に水をかけ、丁寧に花を活けた。

周囲を見渡すと、どの墓にもそれぞれ線香の煙がたなびいている。

田舎の盆は早朝から支度に取りかかるので、日が高くなってから墓参りに来ても誰もいないことが多い。

もっとも、俺にとってはそのほうが好都合でもある。

線香に火をつけて半分手渡してやると、風祐は小さな笑顔を浮かべた。

そのまま線香を供え、たゆたう煙に鼻をくすぐられた俺は、さりげなく立ち上がる。

俺の後に線香を上げたコイツは、しばらくの間座り込み、黙って手を合わせていた。

「…こうやって手を合わせるとき、副長は何を考えてますか?」

沈黙を破ったのは風祐のほうで、穏やかな声は現場の殺気だったコイツの顔など全く想像させない。

「何も考えてねェ。」

「給料上げろとか休みをくれとか。」

「そりゃオマエだけだ。…まさかそんなくだらねーこと、」

「願ってません!副長のお兄さんの前ですよ?」

「じゃあ何考えてんだ、そんなに真剣なツラしやがって。」

う、と露骨に言葉を詰まらせた風祐は、観念したかのように項垂れた。

「副長が子供の頃、どんな子だったか聞いてました。副長はそういうことを話してくれませんし…」

少々拗ねているのか、コイツは俺と目を合わせようとしない。

ガキの頃の俺なんて、どうしようもないの一言に尽きる。

他人を信じず、誰にも頼らずに生きていく。

この墓で眠るのは、そんな下らない思想をあっさりと捨て去ってくれた人だ。

過去をどう打ち明ければいいのか迷った俺は、不謹慎だと思いながらも煙草に火をつける。

何かで口を塞がなければ、情けない思い出話が零れてしまいそうだった。

「昔のことはわからなくても、今の副長のことなら嫌って程知ってるんですけどね。」

「嫌味か。」

「いいえ。いつかお兄さんとお酒を飲みながら副長の話をしましょうって約束をしました。」

「オマエは本当にめでたいヤツだな…」

「お兄さんがいてくれたから、副長は立派な鬼のマヨラーになったんですって報告しないと。」

「マヨラーは関係ねェだろ。」

風祐は墓石に彫られた名前をじっと見つめ、まるでそこに人の姿を見ているかのように語りかける。

コイツのこういう情け深い部分は隊士に向かないが、その甘ったるい一面に救われることがあるのも事実だ。

「あとはお願い事も一つしました。」

「あのなァ、」

死者の霊がどうこうといった話ならまだしも、願掛けまでしてしまうコイツは墓参りを正しく理解していないのだろうか。

短い沈黙は陽炎を呼び、額に浮かんだ汗が風に晒される。

一瞬で通り過ぎる季節を捕まえるのに相応しい、それが墓前だ。

盆が終われば徐々に日暮れも早まり、あっという間に夏は終わるだろう。

溜め息混じりに煙草の煙を吐き出せば、燻った匂いは線香の煙と混じり、どこか遠くへ消えていく。

その様子を眺めていた風祐は、眩しそうに目を細めて呟いた。

「来年の夏も、ここに来ていいですか?」

含みのある物言いが脳裏で木霊する。

墓の主に向けた問いなのか、俺に投げかけた言葉なのか。

あるいはどちらも兼ねているのか。

しゃがんでいる風祐の頭に、そっと手を置いてみる。

指通りのいい髪を軽く撫でれば、風祐はくすぐったそうに俺を見上げた。

「…俺の面倒を見たくらいだ。こんなじゃじゃ馬でもまた迎え入れてくれるだろ。」

「じゃじゃ馬は余計です。」

ふくれっ面になった風祐に手を差し伸べてみると、コイツは存外素直に俺の手を取った。



「来年も、また。」



誰に誓ったのかわからないまま、風祐の言葉は腹の底に染み込んでいく。

明日の保障がなくとも、未来を信じて疑わない。

だからこそ、俺はコイツに惹かれるのだろう。







「行くぞ」

俺の手を握り返した風祐が立ち上がったのを確認してから、墓石を一瞥して背を向ける。

片手に桶を持ったせいで両手が塞がってしまったが、華奢なコイツの手を離すつもりなど到底ない。

風祐は心なしか機嫌よさそうな足取りで、歩幅を合わせて歩き出した。

「帰りに氷でも食べていきませんか?」

「…勝手にしろ。」

甘味の名前を羅列し始めたコイツの姿を慈しむのは太陽か、それとも墓に眠るあの人だろうか。

日差しは高く、夜は遠い。

一瞬先に手を伸ばし、遥か未来を掴み取る。

来年の今頃を思い浮かべれば、紫煙は二人の間をすり抜け、青空めがけて流れていった。










Fin


   
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