special gift

□真選組〜ほいくえん篇〜
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星空の下、君を誘う。

夜の魔法が教えてくれた、くすぐったい二人遊びに。










賑やかな声が遠ざかり、静寂で耳が塞がれる夜。

蝉が息を潜めて朝を待つ間、辺りはすっぽりと闇に沈められてしまう。

今夜は月がよく見える。

ここ数日ぐずついた天気が続いていたので、今日もどうなるか心配していたが、何とか持ちこたえてくれたらしい。

軒下に飾られた皆のお手製てるてる坊主も、心なしか嬉しそうだ。

湿気の重苦しさは風が追い払ってくれたのか、束の間の涼しさに思わず溜め息が漏れる。

浴衣の袖や襟元から入り込む空気が汗を抑えるのだろう。

渋めの深緑に染まった浴衣と山吹色の帯は、保育士として働き始めた頃に奮発して買ったものだ。

保育園で行われる夕涼み会で毎年この浴衣を着るようになり、数年が経つ。

勿論、これを着て誰かとデートなんて展開は有り得ない。

人の集まるところに行けば園児達に遭遇した挙げ句、屋台のかき氷でもせびられるのがオチだ。

第一、時間的な余裕もなければ相手もいない。

そんな言い訳ばかり並べて、休日は家で一人ビールを飲みながら眠ってしまうのが去年までの俺だった。

ただ、今年は少しだけ違う。

保育士の仕事は相変わらず多忙で、慣れても楽にならないのに、どういうわけか疲れにくくなった。

理由は至って簡単だ。

平凡かつ単純で恥ずかしくなる位。





「山崎先生」

「ん?…ああ、お疲れ様」

「火の元、確認しました」

「こっちも戸締まりはしておいたよ。風で飛ばされたら困りそうなものも、部屋の中に移動させたから。後は週明けの片付けだね」

「はい」

疲れているはずなのに笑顔を絶やさない彼女も、今日だけはいつものエプロンを身につけていない。

華やかな黄色の帯締めがよく映えた濃紺の浴衣は、彼女を普段より大人っぽく見せた。

「流石というか、慣れてますね」

「毎年同じことをしてると意外と忘れないんだ」

「山崎先生に言われると、何だか説得力があります」

「これでも一応先輩だから」

「だからしんせん組の勲くんがトイレを詰まらせちゃっても慌てないんですか?」

「あれは年中行事じゃなくて日課でしょ」

「そうでした。じゃあ、十四郎くんのマヨ攻撃も」

「今日は本気で止めたけどさ。危うく皆のわたあめまでマヨトッピングされちゃうところだった」

「十四郎くんにとって、マヨネーズはトッピングじゃなくてメインなのかもしれませんね」

「俺は本気で彼の将来が心配だよ、成人する前に成人病とか笑えないから」

「総悟くんは途中で寝ちゃったんでしたっけ?」

「夜更かしが苦手なんだろうな、いつも一日中昼寝してるし」

「確かに…山崎先生鋭いです」

顔を綻ばせた彼女につられて笑ってみると、気分だけは軽くなる。

夕涼み会は保育園の近隣住民や保護者も参加するイベントだ。

当然、大勢の人を出迎える分、気を配らなければならないことも多い。

更に早朝から屋台の設置や買い出しで休む間もなく動き回っていたので、全身がずっしりと重くなりつつある。

明日は絶対に毎年恒例の筋肉痛だ。

けれど、先輩の威厳と男の意地で、今だけは弱音を隠し通そうとしている。

せめて彼女の前では見栄を張りたい。

そのためにも何とか気を紛らわそうと、教室の軒下に並べられた朝顔の苗を眺めてみる。

朝を待つ蕾はどれも柔らかく丁寧に閉じられていた。

この花も彼女と同じように、人知れずほどけていくのだろうか。

そのまま何気なく彼女の足元へと視線を向ければ、浴衣の柄が目についた。

裾に描かれた模様は、鮮やかで瑞々しい朝顔の花だ。

紫がかった花弁の色合いは、点けっぱなしの提灯の下でも十分察せた。

「浴衣の柄、朝顔なんだね」

「そうなんです」

「もしかして、しんせん組の皆で朝顔を育てたから?」

率直な俺の質問に対して、彼女は頷きながら照れ笑いを浮かべた。

「浴衣は持ってなかったので、奮発して買っちゃいました。柄も迷ったんですけど、やっぱりこれかなって」

「よく似合ってる」

「ありがとうございます。…朝顔を育てるなんて小学生のとき以来で」

「俺も一緒。この仕事するまで縁がなかったな」

「でも、いいですね。情緒がありますし、あんなに小さい種や芽がどんどん大きくなるのも観察していて楽しかったです」

「地味だけどいい花だよ、可愛いし逞しいし」

どこか自虐的な気分になりながら、浴衣の裾を汚さないようにして朝顔の苗の前でしゃがみ込んでみる。

蕾を無遠慮にまじまじと眺めてみても、花は当分咲きそうにない。

「毎日朝寝坊しないで誰よりも早く起きてる。皆勤賞をあげたくならない?」

そう言って、立ったままの君を見上げたときだった。

彼女は俯きながらそっと手を伸ばし、朝顔の蕾に触れる。

華奢な指が蕾を撫でるのは、園児を宥めるときと同じ仕草だ。

「地味じゃないです」

「そうかな?」

「朝顔が初めて咲いたとき、皆であんなに喜んだじゃないですか。人を笑顔にできる花が地味なんてことはありません」

穏やかな物言いは妙に凛としていて、説得力がある。

新米保育士としてこの保育園にやってきたばかりの頃は自信なさそうな表情が目立っていた彼女も、数ヶ月で随分成長した。

その育ちっぷりに感心していると、朝顔と俺を交互に見比べた彼女は目を細めてはにかんだ。

「山崎先生は朝顔に似てますよ」

意味深な眼差しは、園児がこっそりと内緒話を打ち明けるときに似たあどけなさを秘めている。

「毎朝誰よりも早く出勤して、花や木に水をあげてるって知ってます」

「…本当?」

「これでも一応保育士ですから」

俺を真似た口ぶりに、心臓が飛び跳ねた。

打ち明け話を持ちかけられてしまったら、期待せずにはいられないのが男の性だ。

「…朝顔、好きなんだ」

平凡な社交辞令の返事に、僅かながら下心を込める。

俺の狡さを知ってか知らずか、君はいつもの口調で答えてくれた。

「勿論です」

反則だ。

そうとしか言いようがないほど、嬉しそうな顔をして。

「ごめん…」

「どうしました?」

「マヨネーズに当たったかも」

「え、大丈夫ですか?」

「なんてね」

俺の顔を覗き込もうとした彼女の手を取れば、あっという間に距離はなくなる。

我ながらあざといと思う反面、朝顔がまだ咲いてなくて助かったと安心してしまった。

たとえ花にだって、耳まで熱い今の俺の顔は見せられない。





「山崎先生?」

浴衣が汚れるのも気にしない。

膝をついて抱き締めてしまえば、夜明けなんてすぐそこだ。

続きは君だけが知る、秘密の話。



「俺もだよ」







花に綴ったラブレター


   
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