special thanks 1
□僕の体でただひとつ、未だまともな部分が君を愛す
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頭が白く染まる程憂えて、全てを諦めかけた世界で。
埃っぽくて安っぽい、護りたかった何かの夢を見る。
真夜中、万事屋の布団の中で。
今まさに眠りについた、その瞬間。
「銀ちゃん」
甘い声がした。
振り向いても、姿はない。
近い過去の、影を見る。
「流石銀ちゃん、今日もやらかしてくれたね−?」
一日最前線で戦いどろどろになって帰れば、必ず俺を出迎えるその姿。
「…うるせー。」
身体は疲労困憊の極みだというのに、ゆっくり寝かせてはくれない声。
「毎日洗濯大変なんだけど。早く脱いで。」
そう言って、俺の羽織に手をかける。
「うるせーって、」
その手を振り払おうとすれば、
「銀ちゃんに赤とか黒は似合わないよ。血は、似合わない。」
ふいに真っ直ぐな目で、俺を見る。
古寺で生活する攘夷志士達の面倒を見て、いつも忙しそうに動き回るソイツは、誰よりもよく俺のことを見ていた。
勘と目が、変にいい女だった。
「銀ちゃん、またごはん食べてない。」
血の臭いが染みつく身体に吐き気を覚え、屋根の上で居眠りをしていれば、
「…食ったけど。」
必ず屋根まで登ってきて、俺の上に飛び乗って。
「嘘。明日のために、食べなきゃ駄目だよ。」
メシを食えだの、ケガを見せろだのとわめく。
「後で食う。」
「今、ここで食べて。食べるまで動かないから。」
差し出される握り飯はいつもやたらしょっぱくて、甘党の俺にとっては拷問だった。
「…オマエさ、何で俺のこと『白夜叉』って言わないわけ?」
「何それ。言ってほしいの?」
ケガの手当ては、決まって夜中。
俺が手負いだとわかれば皆の士気に関わると言って、人目につかないよう手当てをする。
「別に。」
「呼んでほしいくせに。銀ちゃんは、そんなに格好良くないから。『銀ちゃん』で十分。」
そして、俺の頭をわしゃわしゃと触る。
言葉も仕草も、気遣いなんてないに等しいのに、どこか優しさを感じては密かに安心した。
「オマエとかテメェとか、ちゃんとした名前で呼んでほしいのはこっちの方だって。」
はい出来た、と呟き、まくった袖を丁寧に元に戻す。
白い包帯を念入りに巻いてもらった右腕は、不思議と痛みを感じなくなった。
つい数時間前も、いつものように手当てをしてもらっていて。
暗い部屋に蝋燭の明かりが、弱々しく俺達を照らしていた。
間者が『白夜叉』を狙うには、ちょうどよかった。
ずぶり、と鈍い音がして、俺の腹が刀で貫かれる。
痛みが走ったが、音と比例しない痛みだな、なんて呑気に構えて刀を抜いた。
一太刀で間者を斬り倒し、溜め息をつく。
それと同時に、倒れこんでいるソイツの姿が視界の隅に映った。
「…っおい!」
抱きかかえれば、生暖かい血が俺の着流しを汚していく。
「あ、銀ちゃん、」
庇ったのかと問えば、小さな呼吸が、ひゅ、と音を立てて漏れる。
「だいじょうぶ…?」
その声には、僅かな悲しみが混ざっていて。
カウントダウンの音はゆっくりと
「…何も言うんじゃねぇ、助けるから、」
心臓を柔らかく支配し
「いえない、よ。ありがと、銀ちゃん」
俺の頬に触ろうと手を伸ばしながら、ソイツはそれきり動かなくなった。
あれだけ一緒にいたのに、別れは本当に一瞬で。
「…っ、ふざけんな」
命はあっけなく散ると、この身をもって知っていたのに。
死と隣り合わせの生活だと、意識しないときはないのに。
最後まで俺の名前を呼んだ、大切な、かけがえのない、これは。
「…絶対、名前なんか呼んでやらねぇ。」
冷たくなったその唇に、力任せに口づける。
握り飯を食った後でもないのに、どういうわけか、口の中は塩辛かった。
終わりも始まりも止められないまま、俺はゆるゆると立ち上がる。
夜明けが、近づいていた。
焼けるような朝焼けなんて、久しぶりに見た気がする。
ああ、どうかこの世界を全て焼いてしまってくれと願って。
ぎゅっと目を瞑れば、次の瞬間にはありきたりな目覚めが待っていた。
もう、普通のヒトみたいに普通の生活をしているけど。
戦う上で必要なものは全て、あの日々に置いてきてしまった気がするけど。
布団の中で、ごそごそと着流しの袖をめくる。
あのとき、包帯を巻いてもらった右腕には、傷一つ残っていない。
これがアイツの答えなのだろうと思いながら、右腕を左腕で撫で続ける。
「―…。」
気が狂いそうな日々の中、俺の名前を呼んで現実に引き止めてくれたアイツの名前。
口にすれば綺麗に、夜の闇に、俺の中に吸い込まれる。
「…ありがとよ。」
柄にもなく、右腕に口づけをして瞼を閉じる。
唇に触れた皮膚は、アイツの熱を帯びたまま、この世界に溶け込んでいった。
Fin