special thanks 2
□The darkest hour is just before the dawn. 最悪の状況は好転の前兆
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不健全な夜が、頭上から全身を侵食する。
夜明けは遠い。
「…んだよ、それ。」
こぼれた言葉が床に転がる午前四時。
新月の晩、薄汚れた町を照らすのはネオンの原色が織り成す光だ。
闇に慣れた俺の目は、煌々と輝く蛍光色の強さについていけない。
煙草を吸わない代わりに低く舌打ちをして、ぼんやりと霞む世界を睨んでは目を凝らす。
解体工事が行われる直前の廃ビルは、黴臭さと埃っぽさが混ざりあって呼吸しにくい。
塵を吸い込み咳き込まわないよう、極力息を殺して壁にもたれかかれば、剥き出しのコンクリートがじわじわと体温を奪っていく。
職業柄、面倒事と向き合わなければならないことはよくあるが、たった今把握した現実はいつも以上に厄介なものだった。
これは仕事だと俺自身に言い聞かせつつ、壁越しに繰り広げられるやりとりを盗み見る。
数メートル先で成されているのは、惑星から持ち込まれた武器の売買、闇取引。
居合わせたのが天人ではないところを見ると、商人の組織的な犯行である可能性が高い。
そして、野郎共の中に一人の女の姿を確認する。
着物姿のソイツは袖をまくりあげた格好で、口元から血を流しながらも連中に鋭い眼差しを向けていた。
普通に考えれば間に割って入ればいいだけの話だが、俺の身体は何故か全く動かない。
否、動かしたくない。
俺は女を知っている。
名前こそ覚えていないものの、顔も声も、うんざりするほどはっきりと。
事件現場に赴き写真を撮って、記事を書くことを生業としている。
現場で初めて会ったときにそう話した女は、気が強そうな目つきをしていて、やけに好戦的な口調だった。
とにかく可愛げがない、それがコイツの第一印象だ。
手渡された名刺もすぐに捨てたので、今となっては女の名前すらわからない。
しかし、女はその後頻繁に真選組の前に現れては写真を撮り、記事を書くようになった。
新聞に真選組の名が載ることも珍しくなくなり、その記事を見る度に苛立ちを覚えたある日。
「俺達はオマエのネタになるために働いてるわけじゃねーんだ、」
俺の口から吐き出されたのは、乱暴な拒絶の言葉だった。
女は職業柄口が上手く、いつも正論を振りかざしては、現場に近寄るなと注意する俺を黙らせてしまう。
そして、このときもそうなるはずだと甘い幻想を抱いていたのだ。
女は俺の予想を裏切り、何も言わずにその場を立ち去った後、それきり姿を見せなくなった。
あれからどれくらいの月日が経ったのか。
久しぶりに見た女の顔は相変わらず勝ち気で、手に負えない目をしている。
この闇取引は俺と近藤さん、総悟に山崎の四人しか知らない話で、おまけに俺以外は突発の別任務で出払っていた。
どうしてこの女がここを嗅ぎつけたのか、そんなつまらないことに気を取られ、つい注意散漫になってしまう。
「アンタたちのことは見逃さないから。」
男共に囲まれた女は、拳銃や刀を向けられているにも関わらず、悪びれもなく一蹴する。
その表情に怯えの色こそ浮かんでいないものの、足は小さく震えていた。
暗がりでよく見えないが、この状況だと顔以外も負傷しているだろう。
オマエも幕府の犬気取りかとか、正義ぶって邪魔するなといった男共の罵声が飛び交う中、決定的な音が空気を切り裂く。
女のカメラを撃とうとした男が下手なりに発砲し、その結果カメラを庇った女の腕に弾が命中したのだ。
「―っ、」
女は片腕を押さえつけながら、数歩後ろへとよろめいた。
「…クソ」
いよいよ見ていられなくなった俺が一歩踏み出すのと同時に、女の声が闇に響く。
「土方は…幕府の犬じゃない、」
絞り出されたのは建前か、はたまた本音か。
続きを聞くより先に女の喉元が裂かれないよう、俺は素早く抜刀しながら連中の前に立ちはだかった。
刀と刀がぶつかり合う音は、神経を研ぎ澄ますのに丁度いい。
そのまま刀を数回滑らせると、辺りはあっという間に赤で汚れる。
一人、二人、その後は数えるのを止めた。
この場から余計な音がなくなるまで、全て斬ってしまえばいい。
話の続きはその後だ。
数分と立たずして廃ビルには静寂が戻り、背後で女が力なく座り込む気配がした。
振り向くと、カメラを手にしたままの女が倒れた男共の顔をじっと見ている。
「撮らねェのか。」
「こんな生々しい惨事、撮っても載せられない。」
無事かと聞くのもおかしい気がして、刀を鞘に収めつつさりげなく問えば、女は掠れた声で答えてカメラを強く握りしめた。
口元は着物の裾で拭ったらしく、少々汚れが残っている。
女は生きていると認識した俺は、隊服の胸ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけた。
紫煙をくぐり一呼吸おいてから、携帯で屯所に応援を要請する。
じきにパトカーが到着し、ここも騒がしくなるだろう。
取引されていた武器はどんなものかと辺りを漁っていると、女は俺にぽつりと尋ねた。
「…どうして、」
助けたのか。
それは俺が知りたいくらいだ。
厄介者扱いをしていたコイツを、どうして。
沈黙を守っていると、女は経緯を端的に話し出した。
ここで今夜闇取引があると自力で調べ、真選組なら情報を流さなくても捜査していると確信していた、と。
「…真選組副長は、こういうときに必ず来る。」
女はそう言って、力なく笑った。
こんな生業をしている以上、命なんてないようなものだと吐き捨てて俯く女は、怪我のせいか普段よりずっとしおらしい。
「そろそろ潮時かもね。」
呆気なく囲まれるなんて引退を覚悟すべきだという話を一方的に喋った後、女は再び押し黙った。
「…買い被りすぎだ、俺は公務をこなしてるだけだぞ。」
「それでも、土方十四郎を追うのが仕事だから。」
女から漂う血の臭いが、俺の思考をくすぶらせるのだろうか。
俺は女の前にしゃがみ込み、胸元のスカーフをほどき、女の腕に結んだ。
「…何してるの?」
「見りゃわかるだろ、行くぞ。」
手を差し出してやっても、女は俺の掌を見据えているだけで手を取ろうとはしない。
溜め息まじりに無理矢理女の手を取って立ち上がらせると、女は露骨に俺を睨んだ。
「俺は本来、追うほうが性に合ってる。だがテメェは特別だ。」
「は…?」
「追わせてやるから、せいぜい死なないように追ってこい。」
馬鹿はオマエか、それとも俺か。
いずれにしても泥沼で、終わりなんざ見えやしない。
「…流石、副長。」
女は一瞬呆気に取られた後、笑いを堪えながら呟いた。
「隊士でもねーのに副長なんて呼ぶな、気色悪ィ。」
俺は煙草の煙を細く長く吐き出しながら、遠くから聞こえてくるサイレンの音に耳を澄ます。
外を眺めれば、地の果ては紫色に染まりつつあった。
その色彩はいつだって、俺を明日へ連れて行く。
「…テメェの名前をもう一回教えてくれ。」
「名前は、」
言われっぱなしは癪に障る。
今度は、俺がコイツの名前を呼ぶ番だ。
不完全な朝が、足元へと忍び寄ってくる。
夜明けは近い。
Fin