【不死者の王のお話】 生命の根源を吸う。 それは深紅の液体か。 はたまた別の体液か。 どちらにしても、奪うことには変わりなく。 月は甘い蜜のような色をして、その光を惜しげもなく降り注ぐ。 風は冷たく、少し乾燥していて、埃っぽい香りがする。 こんな絵に描いたような夜を、窓ガラス越しに温かい紅茶を飲みながら見ていた。 色気もなくマグカップいっぱいに並々と注がれた紅茶は、ティーパックで淹れたお手軽なものだ。 一人の夜に丁度いい。 そして、この夜の時間を、安上がりな幸せを、最近無遠慮に邪魔するヤツがいた。 耳につくのは、窓ガラスに黒いモノがぶつかる音。 おそらくコウモリだろう。 毎年、この時期になると窓ガラスに体当たりしてくる。 部屋の中に入れろとでも言いたげに。 「…コウモリ避けのネットでも買うべきなのかな。」 そう呟きながら部屋の明かりを消して窓を開け、ベランダへと出てみる。 スウェットの上にパーカーを羽織り、冷え対策は完璧だ。 「どこから飛んでくるんだろう…。」 コウモリを探して空を見上げた瞬間。 「おい、オマエ、」 誰もいないはずのベランダで、声がした。 「…は?」 これが幽霊ってヤツだろうか。 幽霊だったらまだいい。 不審者だったらどうしようか。 一瞬で不安は身体中に伝染し、慌てて部屋に戻ろうとすれば、しっかりと肩を掴まれる。 「…っ、」 振り向きながら叫びたかったけれど、大きくて冷たい掌で口を塞がれ、そのままガラスに押しつけられた。 絶対に不審者か強盗だ。 殺される。 咄嗟に目を閉じたけど、いつまで経っても何も起こらない。 おそるおそる目を開ければ、男が私の口を塞いでいた。 暗くてよく見えないけど、服はタキシードのようなフォーマルなもの。 黒マントに、漆黒の髪。 煙草臭くて、何より目つきがおかしい。 不審者よりよっぽど不審な雰囲気だ。 「声、出すな。大人しくしろ。」 相手がどう出るかわからない以上抵抗するつもりはなかったけれど、耳元で低く囁く声は、少し掠れていて甘い気がした。 不審者じゃなければ、いい男に見えたかもしれないとなんとなく思う。 私が一度だけ頷いたのを確認してから、男はその手を緩めた。 「…オマエ、吸血鬼って信じるか?」 挨拶も何もなしに、男は更に不審な発言を続ける。 まるで自分が吸血鬼だとでも言いたげに。 「…信じません。」 無愛想に遠慮なく答えると、 「だよな。俺もだ。」 男はそういって、煙草に火をつけ人前で躊躇いなく煙草の煙を吐き出した。 「生前に犯罪を犯したり、神や信仰に反する行為をするとなれるらしいぞ。」 紫煙は風に流されて、細く長く流れていく。 「…人の家で煙草吸って副流煙出して、しかも不法侵入じゃないですか。」 私は落ち着きを取り戻してきたせいで、言いたいことを言いたいだけ口にした。 早く出て行ってもらいたい一心で。 「吸うモン吸ったらな。」 他人の部屋に侵入しようとした挙げ句煙草を最後まで吸わせろだなんて、コイツは絶対に頭がおかしい。 見れば見るほど綺麗な顔立ちしてるのに勿体ないと思いながら 「わかりました、吸ったら出てってください。」 と、なるべく穏便に事を済ませようとする。 そう言ったのが、間違いだった。 途端にソイツは私の両手首を押さえつけ、煙草をベランダに落とし革靴で消して、私の唇に口づけた。 「んっ…」 次第に深い口づけになってきたので舌を噛んでやろうかと思ったけれど、どういうわけか力が入らない。 百戦錬磨の舌使いというか、やたらキスがうまい気がする。 最近の不審者は凄いな、と頭の片隅でぼんやりと感心した。 「力抜いてろよ。」 「…っえ、」 男は私の首筋に、かぷりと歯を立てて噛みつく。 針が刺さったような痛みを一瞬感じたが、すぐに力が抜けて自力で立っていられないほどになった。 やがて、男は顔を離して真顔で礼を言う。 「ごっそさん。うまかった。」 「あ…」 もしかして、もしかしなくても。 コイツは。 「また来るから、ちゃんと一発で窓開けろ。」 そう言い残して、ベランダから飛び降りる。 慌てて下を見たが、誰もいない。 「夢だといいな…」 あんな不審者に毎回会っていたら、頭も身体もおかしくなりそうで。 月は相変わらず光を注ぎ、世界は闇の中で薄明るく輝く。 煙草臭さと、瞳孔の開いた目。 それでもいいから会いたいと思う私は、もうとっくにおかしいのかもしれない。 to be continued… |