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□くたばれネバーランド
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【くたばれネバーランド】





底なしの強がりが似合う、狡い大人になってやる。










眠りについた世界を月が空高くから見下ろす頃、白く巨大な建物の前にパトカーを停める。

裏口に向かうため外に出ると、温く湿気た夜風が頬をぬるりとなぞらえた。

それはつい数時間前の惨事を思い起こさせて、何とも言えない気分になる。

扉を開けると、誰もいない空間は呼吸するのも躊躇われるほどの静寂に包まれていた。

音のないそこでは、足元の明かりと非常口の蛍光灯だけがやけに眩しい。

待合室に置かれた時計の針は、孤独が似合う時間を指した。

終着点まで、あと少し。

目的地は突き当たりの角にある、真選組御用達の小さな個室。

命と引き換えに、あらゆる欲から隔離された空間だ。

目を瞑ってでも辿り着けそうな位慣れた道のりを、足音が響かないよう注意して歩く。

血生臭い上着をパトカーに脱ぎ捨ててきたおかげで身体はいくらか軽いが、胃の辺りは黒く塗り潰されたかのように重かった。

こういう気分になることは時々あったが、今回は想像していたより遥かに酷い。

人差し指でスカーフを僅かに緩めてみたものの、呼吸は楽にならないままだ。

そうこうしているうちに、部屋のドアが見えてくる。

角にあるここは、多忙な俺達の天国にもなれば墓場にもなりうる場所だ。

立ち止まった俺は、細く長い溜め息を漏らす。

この先に用意された命がどんな状態なのか、現状なら地味な監察から聞いていた。

木霊する声が、俺の背中でひっそりと笑う。

心配するな、よくある話だ。

恐れることなど何もない。





ノックもせずにドアを開けた俺は、ごく自然に部屋の中へと足を踏み入れた。

月明かりが壁の白さをますます引き立たせ、照明の消えた部屋は妙に明るい。

消毒液の匂いは鼻を掠め、背筋をひやりとさせる。

カーテンは開いたままで、鍵もかけていない窓からはお情け程度の隙間風が入り込んでいた。

一歩ずつベッドに近づき、ソイツの顔を遠慮なく睨みつける。

微かに揺れた睫毛を、俺が見逃すわけもなかった。

「何寝たふりしてんでさァ。」

話しかけても反応はないが、コイツが今熟睡しているかどうかなんてすぐにわかる。

額に触れるか触れないかのところまで指を近づけた俺は、滑らかなそこを中指で思いきりはじき飛ばした。

「っ…!痛いじゃないですか、沖田隊長!」

一気に目を見開いたソイツは、仕方なさそうに上半身を起こして額を押さえる。

白い甚兵姿の胸元からは、一層白い包帯が見えていた。

ただでなくても貧相な胸なのに、最早色気も何もない。

冗談混じりでからかってやりたいのに、今夜の俺はなぜかその純白を指摘できなかった。

「俺を騙すなら、もっと上手いことやりなせィ。」

「…バレてました?」

「狸寝入りを本物の狸がしたら、物の喩えにならないですぜ。」

「そうですね…。」

苦笑いを浮かべたコイツに皮肉を言うと、珍しくしおらしい相槌が返ってくる。

いつも笑顔を絶やさず、元気だけが取り柄の一番隊女隊士。

そんな肩書きを持つコイツは、とにかく俺の言うことをちっとも聞きやしない。

へらへらして俺以上に仕事をサボる癖に、現場では誰より先に刀を構える。

剣術に長けているわけでもないのに、どんな相手と向き合っても怯えたりしない。

悪い意味で俺の予想の斜め上をいく、今回もまさにそれだ。

攘夷浪士を取り締まろうとして斬り合いになった最中、全員急所を外して斬った自信があった。

故に、背後の男が刀を持って立ち上がろうとしている姿なんて考えもしなかった。

『沖田隊長!』

俺が振り返るより先に声が飛び、後ろを向けばコイツの背中が視界を占める。

瞬時に状況を理解した俺は反射的に男を斬り捨て、地面に崩れ落ちる寸前のソイツの腕を掴んだ。

血の染みを目立たせない隊服は深く切り裂かれていて、そこから先のことはよく覚えていない。

駆けつけた応援部隊は、ソイツをあっという間に病院へと運んでしまう。

事後処理が残された現場を離れるわけにもいかず、俺は冷静を装ってひたすら働き続けた。



否、そうでもしなければ気が狂いそうだった。







「沖田隊長、」

「…何でさァ」

「申し訳ありませんでした。」

低い声で詫びたソイツは、丁寧に頭を下げる。

掛け布団を握りしめた手は小さく震え、現場で窮地に立たされたときよりもずっと心細げだった。

俺が何を嫌っているのかは理解しているつもりなのだろう。

折角しらばっくれてやろうと考えていたのに、謝罪の一言で全て台無しにしてくれるなんてコイツらしい。

呆れながらもどこかほっとした俺は、舌打ちを噛み殺した。

コイツは俺に怒られると思ったのか、枕元の棚に置かれていたビニール袋の中身を手探りで漁り始める。

かさかさと乾いた音が病室を波立たせ、華奢な手は見慣れた物を取り出した。

「これ、どうぞ。」

屯所の冷蔵庫に鎮座する、コイツと俺が好む物。

どこでも買える安っぽいプリンは生活臭に溢れていて、無機質なこの部屋に似合わない。

「…何でこんなモン、」

「売店にはそれくらいしか売ってなくて。…今日は沖田隊長の日ですから。」

俺の日。

カレンダーすらないこの部屋でそれを確認できるのは、携帯電話の画面くらいだ。

「…そんなんじゃ足りやせん。」

絞り出した声がソイツの耳に届くよりも早く、俺の手は細い背中を捕まえる。

胸の辺りに半ば無理矢理引き寄せると、温かな吐息がスカーフに絡みついた。

「今日だけは、逃がしてやらねェ。」

「たい、ちょう…?」

もごもごと唇を動かしたコイツは、苦しいですと言いながらもされるがままになっている。

コイツは一体、俺が何に対して腹を立てていると思っているのだろう。

なりふり構わず俺を庇ったことか、それとも今日を満足に祝えないことか。

どちらも違うなんてきっと一生わからないかもしれないが、そのほうが俺にとっても都合がいい。



コイツが俺以外の誰かに傷つけられるのがこんなにも不快だなんて、知りたくもなかったのに。

こんな感情を抱くのが大人だとしても、俺は大人になりたいのだろうか。







ソイツからプリンを奪い、そっと身体を離しながら掌の中のプラスチック容器を睨みつける。

俺の顔色を窺うコイツは、いつ怒鳴られるのかときゅっと目を瞑っていた。

「こんなに安く済ませようなんて甘いですぜ。」

「え?」

「早く退院しなせィ、アンタの財布を空にしてやりまさァ。」

想定外の言葉だったのか、ぱっと目を開いたコイツの視線から逃げるように、俺は部屋を後にする。

追いかけてこないのはわかっていたが、廊下を急ぎ足で歩くと、裏口から外に出る頃には掌がじんわりと汗ばんでいた。

パトカーの運転席に乗り込み、改めてプリンを見ると、そこには二週間先の賞味期限が印字されている。

「…そんなに日持ちしそーにねぇや。」

額にプリンの容器を押し当てると、固いそれは微かな冷たさを持ってはいたものの、すぐに体温と馴染んでしまった。



持ちそうにない。

プリンも俺も、ぐずぐずに溶け始めている。

どうしようもなく手遅れなところまで。







この思いが腐ってしまう前に、早く大人になってしまおう。

密かにそう決意した俺は、パトカーへと乗り込み、急かすようにドアを閉めた。










Fin



Happy Birthday to Sadist!!



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