アゲハ蝶
□Tomorrow
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瞼の上が、うっすらと明るい。
身体の重さを感じながら、目を開ける。
空気が、朝独特の湿気と緑の香りを秘めていて。
上半身だけ起こせば、見慣れた自分の部屋が広がる。
きちんと敷かれた布団の中に、身体はすっぽりと収まっていた。
掛け布団から、微かに煙草の匂いがする。
土方さんの、匂い。
昨日の夜中、土方さんが帰ってきて手当てをしてあげて。
抱きしめてもらって。
ひどく落ち込んで乾ききった心が、徐々に潤うような感覚だけ覚えている。
起き上がり、ぺたぺたと素足で土方さんの部屋の前まで行く。
土方さんの気配はない。
「…仕事しなきゃ」
ふと我に返って、慌てて準備をする。
おなかが減っていたので、まずはきっちりと朝ごはん。
食堂の隅のテーブルで、手をあわせていただきますを言う。
今日は鯵の干物定食。
炊きたての白いごはん、わかめとねぎのお味噌汁、胡瓜と茄子のぬか漬け、納豆、小松菜と油揚げと人参の煮びたし。
鯵の干物には、大根おろしが添えてある。
よく噛んで残さず食べれば、身体の隅々まで栄養は巡り、血が作られる音がした。
(生きていくために、食べることは必要不可欠でしょ。)
―銀さんも言ってたし、あの人も言ってたよね。
(…そうだね。あのひとのこと、覚えてるの?)
覚えてないよ。
なんとなくそう思うだけ。
(覚えてればよかったのにね。)
…そうかな?
自分、あのひとから逃げてきたんじゃないのかな?
(…さぁ?)
ごはんは一口分だけ残して、包み紙にこっそりと包む。
食器を片付けて中庭に出れば、毎日やってくる雀の鳴き声が聞こえた。
お米の残り粒をあげるうちに、いつも中庭に来てくれるようになった小さな雀。
しゃがみこんで包み紙を取り出し、雀にごはん粒をあげる。
「毎日暑いよね…でも、おなかが減ったらちゃんと食べなきゃだめだよ。」
雀はちょんちょんとはねながら、ごはん粒を一粒、嘴にくわえた。
「絵に描いたようなサボり方してやすねィ。」
不意に後ろから声をかけられ、驚いたのか雀は素早く飛んでいってしまう。
「沖田さん」
振り向きつつ名前を呼べば、沖田さんはチューペットをかじりながらどんどん近づいてきた。
「凛に、頼みたいことがありまさァ。」
「何ですか?」
「今から出かけやす。ついてきてくだせィ。」
残りのチューペットを自分に差し出す沖田さんは、いつになく真面目な顔をしている。
拒否権は、きっとない。
行き先や目的は聞けない雰囲気だった。
「…いいですよ、準備してきます。ちょっと待っててもらえますか?」
それでもそう答えたのは、相手が沖田さんだからだ。
沖田さんは、肝心なところではいつも自分を護ろうとしてくれた。
普段ちょっとした意地悪をされても、悪態をつかれても、そんなの全然気にならない位真剣に。
沖田さんのまっすぐな心に、少しでもお礼がしたかったのかもしれない。
「門の横にパトカーを用意しておきやすから。」
そう言って自分に手を差し出すのは、沖田さんなりの「ありがとう」の合図。
手をとって立ち上がり、軽く頭を下げ、自分の部屋へと小走りで駆け出す。
銃と脇差しを持てばいいかと思いながら、ふと刀が目についた。
一回も使ったことのない刀はどうだろう。
自分にこんな大きな刀が使いこなせるとも思えないし、恐らく必要ないはずだ。
部屋に入り、銃と脇差しを手に取ったあと、ふと机の上の置き手紙が目に入る。
読んでみれば、走り書きでも綺麗な字で、一目で書いてくれたひとがわかった。
『北條さんへ この前、使い方を説明した携帯電話です。今日はこれを必ず持ち歩いてください。 山崎』
一緒に置かれていたのは、黒くてつやつやした携帯電話。
何日か前、山崎さんに使い方を教わりながら「もうすぐ北條さんの分も届くから、楽しみにしててね。」と言われたのを思い出した。
携帯電話はころんとした形で、掌の上に収まる。
パチンと音をたてつつ画面を開けば、既に電源は入っていた。
「山崎さん、ありがとう。」
後でお礼を言わなきゃと思いながら、携帯電話を隊服のポケットにしまいこんで、足早に部屋を出る。
〜外の世界に、飛んでいけると信じて〜