アゲハ蝶
□Goodbye Lullaby
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〜繋がれば繋がるほど、離れがたく〜
涙を流した分だけ顔を洗って、汗をかいた分だけ身体を洗う。
身を清めるという表現が今夜ほど自分に似合うことはないだろう。
屯所の広い大浴場も、がらんとした脱衣所も、なんだか寒々しくて悲しくなる。
もう夜中だ。
土方さんの包帯を取り替えてあげてからこっそり屯所を出ようと決めて、濡れた髪を乾かしてから浴衣に着替えた。
昨日までと同じ流れ。
何もおかしいところはない。
お迎えは何時に、という約束はしていないけれど、あんまり遅くなったら悪いなとぼんやり思う。
脱衣所の時計は、日付が変わる時間を指していた。
早くしなきゃと思いながら手鏡を覗き込む。
人差し指で唇に触れれば、中庭での出来事がはっきりと思い出されて。
土方さんが触れたこの唇も、抱きしめてくれたこの身体も、今なら大切にできる気がする。
この先どうなったとしても、真選組の皆に仲間だと思ってもらえなくても。
たった一度、愛してもらえればそれでいい。
一度も愛されないよりは、きっと。
(―今なら答えが出そうだね。)
うん。
土方さんに拾ってもらえて、ここに置いてもらえてよかった。
自分は、幸せだったよ。
廊下をぺたぺたと素足で歩く。
板張りの床に触れた足の裏は、ついさっきまで熱いお湯に浸かっていたのにひんやりと冷たくなりかけていた。
これからどんどん寒くなる。
冬が来る。
皆が風邪を引かなければいいなと考えたりしながら、土方さんの部屋の前まで来た。
「土方さん、いらっしゃいますか?」
「ああ。」
短い返事だけど、このときの声で土方さんの大体の感情がわかるようになってしまった。
今は仕事も落ち着いていて多少ゆとりがあるときの声。
安心して、障子を開ける。
「失礼します。包帯、巻きますね。」
部屋に備え付けてある救急箱を手に取り、包帯と薬品の準備をして土方さんの隊服に手をかける。
土方さんの身体はしなやかで、傷痕が沢山残っていた。
テロのとき、自分を庇ってできた火傷の痕が消えますようにと願いながら、薄く赤紫色に変色した背中の隅に薬を塗る。
明日から包帯を巻いてあげられないけど、土方さんは器用だし、元々一人で色んなことをするヤツなんだと近藤さんが言っていた。
大丈夫。
自分がいなくても、この世界は歪まない。
『好きだ。』
あの言葉があれば、これからも生きていける。
「土方さん」
「何だ?」
包帯を巻く手の動きは止めずに、さりげなく話しかけてみる。
「火傷も怪我も、早く治るといいですね。」
「…そうだな。」
暗に指し示したのは、自分が土方さんの近くにいるからこそできてしまった火傷や怪我。
自分のせいでと謝っても、土方さんはその言葉をを受け入れてくれることはなかった。
気にするなと言われるだけ。
当たり前だけど痛みを共有することができなくて、悔しくて。
せめて土方さんに護られた分だけでも、土方さんを護ってあげたくて。
真選組で働く以上、この傷が治る頃にはまた別のところが傷ついているだろう。
その傷口に、自分は触れられないけど。
「早く治りますように。」
思わず声にしてしまえば
「大丈夫だから、気にするんじゃねェ。」
くしゃっと、勢いよく頭を撫でられた。
「次はオマエの番な。」
土方さんは、手際よく傷口に薬を塗ってくれる。
「傷痕、消えてきたな。またそのうち怪我もするだろうが…」
「大丈夫です、頑張れますから。」
真選組にいられるのは、今日までだから。
言えない言葉は、おなかの中にしまい込むように深く呼吸した。
真っ白な包帯をくるくると自分の身体に巻く途中で、土方さんが問いかける。
「…凛がしたいようにしていいからな。」
「え?」
「俺のことは考えなくていい。凛の好きなようにしてくれ。俺ァ、オマエが笑えるならそれでいい。」
「…はい。」
そう、したいようにする。
(―したくないことがあるの?)
ひとつだけ。
皆の邪魔は、したくないんだ。