アゲハ蝶

□Goodbye Lullaby
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〜掌を見つめたときに気づく〜










花を愛でる心。

そんな余裕が生まれたのはいつだったか。

煙草を吸う以外の目的で中庭に佇むようになった理由を探そうとして、止める。

何事に対しても理由を求めてしまうのは、俺のよくない癖だ。

理由に背中を押されなければ、自身を肯定することすらできない。



弱い男の成れの果て。










「色もほんのり暖かくて、香りもこんなに印象的で。忘れられなくなりますよ。」



凛は金木犀を見つめながら話す。

だが、その声はいつもより弱々しく頼りない。

コイツの言葉が何を指しているのか、おぼろげながら見えてくる。



金木犀だけじゃない、

「金木犀が羨ましいです。」

金木犀と照らし合わせたのは、おそらくミツバのことで。

「また来年ここで皆に会える。土方さんにも。」

ミツバのこと以上に、凛は何かを隠している気がした。

金木犀の甘い香りが思考を鈍らせる。

今の段階で、俺がコイツに言える言葉は少ない。



「凛…泣くな。」



不安がっていれば、触れてやる。

それより先に、俺が凛を抱きしめたいと思ったら抱きしめる。

コイツに対してそう感じるようになったのはいつからかわからないが、そんなことはどうでもいい。

とめどなく溢れる感情は、間違いなく俺が護りたいものだった。





隊服が、胸の辺りで微かに湿り気を帯びている。

コイツの泣き顔を、涙が零れ落ちる瞬間を見てしまった。

辛そうに、苦しそうに、何か吐き出したいものを無理矢理飲み込むかのように。

その仕草は、転海屋の一件が起こる前夜を思い出す。

あのとき、コイツを抱きしめて。

腕の中で感じた温かみに救われるような思いをしたのは、俺だ。

凛を救おうとして、実際に救われていたのは。





旋毛から毛先まで、凛の髪を丁寧に撫でていく。

撫でるという行為に秘められた効果を俺は知っている。

撫でる方も撫でられる方も安心すると同時に、服従を約束させる。

そんな行為。

わかっていても、コイツの身体を自由にすることもできなければ、手の動きを止める気もない。

俺はどこまでも狡い男だと、自嘲気味な思いさえ芽生えそうになる。





それでも。



「…一度しか言わねェから、聞いてくれ。」

「ひじかたさ…」



コイツのか細い涙声を遮ってでも



「オマエはオマエだ、代わりはいない。」



伝えたい言葉が、ここにある。



「俺が命張ってでも護りたいのは、凛だ。」

「…っ、う」



凛は小さくしゃくりあげた。

俺は腕に力を込めて、一層強く抱きしめる。

息ができないのではと思うほど近づけば、俺の拙い感情が、欠片ほどでもコイツに届く気がして。





「好きだ。」





言ってしまえば簡単な三文字の感情に、ずっと気づかないふりをして。

コイツの不安を消してやることすらできなくて。

凛の過去もまだ見つけ出せないまま、こんなにも愛してしまった。

手放せなくなってしまった。

コイツを失うことを恐れる、そんな弱みもできてしまった。



認めてしまえば単純な思いが、金木犀の香りに飲み込まれていく。

煙草はそっと地面へ落とし、革靴で踏みつけた。

同時に踏みつけたのは、俺のつまらない思想。

強さを求めているうちは幸せになれない、そう頑なに信じていたのを踏みにじった。

強さも幸せも、どちらも欲しがる欲深い生き物へと変化していく俺自身が、正直に言えば怖い。

けれど、もう元には戻れないところまで来た。

あとは俺が腹をくくるだけ。



「ひじかたさん、」

「…記憶が戻ればオマエがどう感じるかはわからねェが、金木犀なんか羨ましがるな。」



凛を抱いたまま、冷たくなってしまった耳元で低く話す。



「なんで…ですか」

「今の時期しか会えないなんて酷な思い、したかねェよ。」



凛は俺に対してどんな感情を抱いているのかも聞かないまま、抱きしめ続ける。

コイツの小さな身体は、金木犀の香りに煙草の匂いと香水で、きっとめちゃめちゃになっているだろう。

そうしてしまったのも、そうまでして凛を引き留めておきたかったのも、俺だ。





やがて凛は唇を震わせるようにして、俺の胸元で言葉を紡ぐ。



「土方さんが、すきです。」

「…上等だ。」



その後は何も話すことなく、ひたすら互いの体温を共有する。

ただそれだけの、この上ない幸せを味わう。





忍び寄る不穏な空気に気づくことなく、繋がっている喜びを噛みしめたまま、夜は静かに更けていった。










〜気づいたときには、もう遅いと〜









   
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