アゲハ蝶

□Goodbye Lullaby
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〜夜の帳が降りてくる〜










東の空から闇が密やかに忍び寄る。

遠くから徐々に色を変え、世界を包む。



少し寒いなと思いながら屯所に帰ってきたところで、

「こんな時間まで凛が見廻りしなきゃならないほど、江戸は物騒なんですねィ。」

門のところで沖田さんと鉢合わせた。

「沖田さん、おかえりなさい。」

その顔は飄々としていて、初めて沖田さんにあったときよりずっとしっかりした顔立ちで。

「もう少し武州に泊まらなくてよかったんですか?」

遠慮なく聞いてみれば、

「そんなに何日も仕事サボってたら、姉上に怒られまさァ。」

沖田さんは淡々と答える。



そっと近寄れば、菊の花の香りともう一つ、知っているようで正体がわからない香りがした。

「…いい香りですね。」

「ああ、金木犀ですぜ。武州の家には庭にでっかい金木犀の木がありやすから。」

沖田さんは着物の袖の匂いを嗅いだ。

「きんもくせい、」

うっとりしたくなる言葉の響き。

「橙色の花が咲く木で、確か屯所の中庭にもありまさァ。」

「後で見てみます。」

その香りに惹かれ、思わず自然に答えていた。





甘い花の香りは、沖田さんによく似合う。

甘くて、脆くて、しゃんとしていて。

沖田さんの姿勢も眼差しも、柔らかいのにどこか独特の鋭さを秘めている。





「おはぎ、美味しかったですぜ。姉上も唐辛子をかけまくっておいしそうに食べてやした。」

「よかった…山崎さんも喜びますよ。」

安心しながら答えれば、

「礼ってことで。」

ごそごそと着物の懐からドロップの缶を取り出す沖田さん。

「手、」

条件反射のように両手を出せば、掌に何粒もドロップを出してくれた。

それは色とりどりの宝石みたいな鮮やかさで、心が浮かれる。



「沖田さんはドロップ好きですよね。」

「まァ、これと携帯は持ち歩かないことはねーな。土方コノヤローの煙草みたいなもんですぜ。」

「そうなんですね…ありがとうございます、いただきます。」

無造作に頬張った橙色のドロップは、甘酸っぱい風味を口いっぱいに広げてくれた。



「…おいしい。」

「敬語じゃないですぜ。」

そう指摘されて、急いで言い直そうとすれば

「悪くないでさァ、敬語じゃなくても凛は綺麗な言葉使いをしてやす。」

沖田さんは話しながら自分の手を引き寄せ、掌にあったドロップを一粒、そっと口にする。

沖田さんの唇が自分の掌に触れた瞬間、くすぐったさを感じたけど我慢した。



「…プー助みたいですよ。」

沖田さんの睫毛を見つめながら呟けば、

「ま、夜になれば立場逆転、俺が飼い主になりやすから。」

しれっとした顔でよくわからないことを言いつつ、ドロップを味わい続けている沖田さん。

甘いもの特有の満ち足りた香りが、自分と沖田さんを包んでいくのを感じた。







「今夜の夕飯は?」

「何でしょうね、自分も知らなくて。お腹減りましたか?」

「もう寒いから、早くおでん作ってくだせィ。」

「わかってますから、」

屯所に上がり込みながら、条件反射で返事をしてしまったことに気づく。



(守れない約束をするのは、優しさ故か偽善なのか。)







「凛」

廊下を歩きながら、沖田さんは自分に呼びかける。

「なんですか?」

口の中のドロップは、残り時間を意味するかのように消えかけていた。

「凛は、姉上には似てやせん。」

言葉の意味を正しく受け止めようとして、思わず立ち止まる。

「沖田さん…?」

沖田さんの目は真剣で、嘘をつかない。

「こんなにぼーっとしてやせんし、辛党で、料理だって色々作れまさァ。」

「う…すみません。」

悪口を言われてるのかと思ったけど、

「似てるのは、そのまっすぐさだけ。凛は護ると決めたものは護る。姉上も一緒でィ。」

沖田さんはそう言いながら、ぽん、と自分の肩に手を置いた。



これは、合図だ。





(よろしくの合図、もうお別れなのにね。)









   
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