アゲハ蝶

□Goodbye Lullaby
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ここにいる間、覚えたことの一つを頭の中で繰り返す。

好きなものは、どんなときでもひたすら大切にすること。

今の自分にできる限りの方法で。










真選組で過ごした時間。

やりたいことがいくつもある毎日。

全部をこなすには時間が足りないけど、順番に、一人でできることはやっておこうと思いながら机に向かった。

筆も硯も山崎さんに借りたもので、とても使いやすくて沢山使っていて。

お世辞にも字がうまいとは言えない自分に、山崎さんは筆の使い方や書き方のコツを丁寧に教えてくれた。

土方さんも教えてくれたことがある。







あれは、まだ夏の匂いがしていた暑い夜。



土方さんの部屋で、書類に捺印していく土方さんの隣に正座する。

小さな筆を手に取り、宛名書きをしようとすれば、筆使いがおかしいだろと指摘されて。

「オマエ、字も書けないのか。」

俯いて頷けば、土方さんは呆れながらも自分の後ろに回り込み、膝を立てて座った。

「筆、持ってみな。」

そもそも持ち方がおかしいだろと言って、土方さんは後ろから自分の筆を持つ手を取り、指使いを直してくれて。

「力抜いてろ。」

慌てて、かちこちに固まった腕の力を抜いてみる。

筆は柔らかく握ったまま。

土方さんは自分の筆を持つ手を握って、筆に墨をつけて練習用の半紙の上に筆を滑らせた。

さらさらと水が流れるみたいに、でもどこかに力強さを秘めた綺麗な書体が浮かび上がる。

土方さんの手も男のひとなのにどこか綺麗で、ごつごつしてるだけじゃなく温かい気がした。



一瞬で書き上がった「北條凛殿」の文字は、堂々としている。

「オマエもこれくらい書けるように練習しとけ。慣れだ、慣れ。」

愛想がないような物の言い方をするけど、よく気がついて、面倒を見てくれて。

最初の頃に比べたら、今は十分すぎるほど筆で文字を書くことにも慣れた。



(慣れていないのは、素直な気持ちを文字にすること。)







深呼吸して、目を閉じる。

自分がここに残していけるものは、そんなに多いわけじゃない。

だからこれは、綺麗に書いておきたかった。

たった一通の、最初で最後の手紙。

真選組の皆に宛てたものだけど、なるべく簡潔に、でも皆が納得いくような内容のものにしなきゃいけない。

自分の綺麗な部分だけを覚えていてもらうように。

そしてやがては、ごく自然に忘れてもらえるように。



書きたい言葉は決まっていたけど、綺麗な書体で書けるように何回か練習をしたあとで清書して。



「…これでいいかな。」



書きあがった手紙をまじまじと見つめる。





(きっと大丈夫だよ。)

…本当に?


(うん、皆優しいからね。)





墨が乾いてから便箋を折り畳み、封筒へと丁寧にしまう。

封筒はなぜか二つ買ってしまった。

集中して筆を持ち、一つは「真選組の皆さんへ」と書く。

失敗してしまったときのために二つ買ったのかと思ったけど、そうじゃないような気がする。

もっと別の意味を込めて。





(別の意味って?)


しゃら、とネックレスが小さく問いかけてくる。





それは多分、無意識のうちに。





ゆっくりと便箋を手に取る。

姿勢をもう一度正して、筆を取って。

つむじが一本の糸でぴんと貼り詰められているような感覚がする。



大切でかけがえのないあのひとに宛てて、気持ちを込めて一気に筆を動かす。

躊躇ったら、止まったら、きっと書けなくなってしまうから。





(泣かないで。)

―わかってる。



涙は出ないから。

まだ、泣けない。







便箋が乾くまでの間、ほんの少しだけ瞼を閉じる。

暗い世界に浮かび上がるのは、ここで体験した色んなこと。

何もできなかった自分に、次々に沢山のことを染み込ませてくれたひとたち。





全部の始まりを自分に与えてくれた、愛しいひと。





土方さん。









  
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