アゲハ蝶
□Goodbye Lullaby
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〜深く暗いところで、甘い蜜が呼んでいる〜
いつも通りの一日が始まる前に、わかってよかったと思うことがある。
今日が最後だということ。
毎日を大切に噛みしめながら生活してるつもりだったけど、本当なら今日が最後なんて前もってわかるものじゃないから。
事故に遭うかもしれない。
災害があるかもしれない。
真選組なら、テロや斬り合いで殉職するかもしれない。
言い出せばきりがないけれど、少なくとも自分は、普通のひとよりも命を落とす可能性が高いところで暮らしている。
そう理解したときから、尚更丁寧に生活したくなった。
いつ、どんな形で最後を迎えたとしても、色んなことを忘れないように。
元いた場所に、記憶だけは持って帰れるように。
土方さんから今日の予定を確認すれば、本当にありふれた一日の内容になっていて少しほっとする。
見廻り、資料整理、会議に向けての書類作成。
合間を縫って近藤さんや山崎さんのお手伝い。
何か突発的な事件が起きなければ無事に一日が終わるはずで。
一つでも多くの感覚を自分の中にちゃんと残そうと思いながら、ぺたぺたと廊下を歩く。
中庭のほうを見れば、紅葉の時期を迎えた木々が秋の雰囲気に浸らせてくれた。
冬はすぐそこまで来ている。
足音も立てずひっそりと、じわじわと、世界を侵食しながら。
「失礼します。近藤さん、いらっしゃいますか?」
近藤さんの部屋の前で、書類の束を抱えたまま立ち止まる。
声をかけても近藤さんの返事はなかった。
「近藤さん…?」
そっと障子を開けてみれば、誰もいない。
「…失礼します。」
書類を置くだけなら勝手に部屋に入って構わないと近藤さんに言われたのを思い出して、そろそろと部屋に入り障子を閉める。
ここで何回、近藤さんと二人で仕事をしただろうか。
「…沖田さんがここで寝てたこともあったな。」
しゃがみこんで、片手で畳に触れながら思い出してみる。
真選組のひとたちは皆寝顔が幸せそうで、その表情を眺めているだけで嬉しくなった。
土方さんは眉を寄せてしかめっ面で寝ていることもあるけれど、そんなときはどんな夢を見てるんだろう、沖田さんと言い合う夢かなとか。
沖田さんは、実はアイマスクなしじゃ眠れない位周りに神経を張り巡らせているとか、寝たふりが誰よりも上手だとか。
自分は四ヶ月もここにいた。
短い間だったけど、色んなことがわかるようになって。
知らないこともまだたくさんあるだろうし、時間をかければわかることもあるかもしれないけれど、これ以上皆と一緒にいるのは許されない。
『時間と信頼、その二つで血よりも濃い関係を作ることだってできる。少なくとも、俺ァそう信じてる。』
近藤さんの言葉は、今までの経験から生まれたものなんだろう。
「自分にはどっちもなかったよ、近藤さん。」
小さく呟きながら、書類の山から近藤さんの好きな人の写真を抜き取って一ヵ所にまとめ、書類も簡単に整理する。
多少綺麗な状態になってから、持ってきた書類をあわせて机の上に置く。
書類が窓から入ってくるすきま風で飛ばされないようにと文鎮を載せれば、書類の端だけがぱらぱらとはためいた。
ひんやりとした空気は、確実に時間の流れを意識させる。
(寂しい?)
―うん、寂しいよ。
(悲しそうな顔してる。)
寂しいし、悲しいし。
ほんとはね、ちょっと怖いのもあるよ。
これから帰る場所がどういう場所か、まだはっきりとは思い出せないし。
でも、真選組が追いかけている指名手配犯と仲がよかっただろう自分がここにずっといた場合。
皆に迷惑がかかるし、何より自分を拾ってくれた土方さんが困ってしまいそうで。
ミツバさんのときだって、それで大変なことになってたから。
(違うよ、怖い以上の感情があるでしょ?今の君なら、絶対に。)
それは気づかなかったことにして。
自分も、今日だけは気づかないふりをするから。
〜蜜の味がする、底なし沼から〜