short2

□alter Ego
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 その歌は、彼女を呼んでいた。何を歌っているか聞き取れなかったが、彼女にはそうとしか感じられなかった。歌は歌劇場から聞こえる。彼女はその歌を追って、来た道を戻り始めた。


 彼女は声の主を探しながら頭に過ぎるのは、先ほど見た「オペラ座の怪人」。


 彼女の心には怖いという気持ちもあったが、それ以上に切望していた。彼女にしかない、特別な運命を。


 「オペラ座の怪人」のヒロインが怪人に惹かれてしまったように、彼女もその声に惹かれていた。



 後から思えば、彼女は約束した恋人との平凡な幸せではなく、危ういが刺激的で情熱的なで恋愛を望んでいた。彼女はその熱に浮かされて、我を失っていた。




 彼女が歌劇場の扉を開けると、舞台上に黒い燕尾服を着て、白い仮面をつけた男性が歌っている。近くに来て、彼女はその男性が何を歌っているのか思い当たった。


 それは紛れもない“The Phantom of the Opera”。“オペラ座の怪人はそこにいる、お前の心の中にいるのだ”と歌っている。



 そこにいるのは、先ほどまでオペラで見ていた実在しないはずの、オペラ座の怪人だった。



 怪人は彼女を見つけるや否や歌を止め、舞台袖へ歩き出す。



「待って!」


 彼女の声は高い天井までよく響いた。怪人が止まる素振りはない。彼女は怪人を追いかける。


「どこにいるの?」


 彼女は駆ける。譜面台に邪魔されながらもオーケストラピットを抜け、指揮者台に上がって客席一面を見渡す。


 怪人の姿が見えないので、彼女が怪人の後を追おうと舞台に目を向けると、そこに一輪の赤い薔薇を見つけた。

 彼女が指揮台から降りて、舞台から薔薇を拾っても、その薔薇は彼女を傷つけることはなかった。しかし薔薇の赤は彼女の気持ちをさらに高ぶらせた。


 その薔薇を見つめていると、彼女の耳にはまた怪人の歌声が聞こえた。怪人は彼女を誘惑しているかのように、3階席から舞台にいる彼女を見下ろしている。


 彼女は怪人を追って、舞台から降りて、3階席まで階段を上る。すると怪人は、もう舞台上に戻って歌っていた。彼女はまた、怪人を追って舞台上へ引き返す。


 そんなことを夜通し繰り返し、彼女が疲れて眠りに落ちると、いつの間にか歌劇場の近くの芝生にいるのだった。


 彼女が昨夜のことが夢ではなかったと断言できるのは、胸に赤い薔薇が刺さっているからだった。



 怪人はなぜ、彼女に向かって歌うのか、何を伝えたいのか、彼女は知りたかった。


 そのためそれから毎日、夜になると歌劇場を訪れている。怪人は初日と同じように、毎日舞台にいて決まって“The Phantom of the Opera”の怪人のパートのみを歌っていた。しかし彼女を見つけると、足早にどこかへ逃げてしまう。



 彼女を夜明け近くになり他人に見つからないようにしているのは怪人なのか、何の目的があってなのか彼女には分からない。知りたいという気持ちは日を追うごとに強くなっていった。



 怪人が彼女の思考に現れるのは、夜だけではなかった。




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