逃走物語り。

□弐 夜
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「ああ、完全にやられてる。そっちはどうだ?」


佐々木と坪内は、305号室にいた。
部屋は当時のまま、散乱としていた。


「やはりな。…そうしてくれ」


佐々木が電話で話している間、坪内がファイルと現場を照らし合わせている。
大きく違ったところがないか、確認を急ぐ。


「無理はするな。…ああ。………わかった、続けてくれ」


電話を切って、スーツの内ポケットに携帯を入れる。

部屋を見渡し、窓のカーテンを開ける。
窓から見えるのは、向かいの佐々木が住むマンション。


「先輩、先輩の言う通り、布で拭き取られてます」


坪内が真剣な面持ちで言う。

やっぱり、とでも言うように、佐々木はため息をついた。


部屋に散らばるガラスの破片や、黒く汚れた部分が事件の大きさを知らせてくれる。

ガラスの中には、明らかに違うガラスが混じっていた。
それをハンカチで拾い、ビニール袋へ入れる。


「なんです?それ」

「…被害者の、愛したものだ」

「……はい?」


被害者は天才科学者、故に愛したものは人間ではなく科学だったのだろう。

同期の関係者からは、人間らしい感情を持たなかったからこそ、天才になれたのだと聞いている。

他所者からすれば、何とも気味の悪い話だ。

人間らしい感情を持たない?
ならば子供の面倒など、どうしていたというのか。
誰もその子供を見たことがないため、子供がいるというのは嘘かもしれない。
それか、子供というのも“あれ”の類いなのかもしれないが。


「よく分かんないっスけど、それ鑑定に回します?」

「いや、取っておく」


それを聞いた坪内は、うえっと嗚咽をわざと洩らした。

事件の証拠を、好んで持つ者などいないからだ。

佐々木も別に、好んでいるわけではない。

ただ十一年も前のものを、今更鑑定に出しても何も出ない。
そう思っただけだ。


部屋を去ろうとする佐々木を、急いで追いかけようと走った坪内。

ふと、先程の電話の相手が気になった。

訊けば、調味料だ、と答えた。

電話の相手が調味料。
坪内の頭の中で、胡椒や塩が踊っていた。




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