第一弾<book>

□はなをおくろう【稲荷ギンガ様】
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 ふと視界の隅を横切った鮮やかなパステルイエロー。
 ぽつりぽつりと道端に点在する水溜りを避けながら何気なく見上げた視線の先。
 女の子が好きそうなディスプレイの片隅に、大きなバケツに自然のままで盛られた金絲の束。

 雨上がりの澄み切った空に向かって伸びる、そのきらきらした金絲雀色の枝に眼を奪われた。


 ほんのそれだけ、他に理由なんてない。


 『贈りものですか?』と訊ねた店員に、一瞬考えるそぶりを見せた後、緩く頭を振る。
 自分のために購入するものではないが、かといって『贈りもの』程大がかりなものでもない。
 そんな彼の様子に何もかもわかったような笑顔を浮かべた店員の手で、丁寧に新聞紙で包まれていく黄色の残像を眺めながら、心の中の振幅が自分の預かり知らぬところでゆらゆら揺れるのを感じて、彼はむぅと小さく眉を寄せた。
 しかしそれもほんの一瞬のことで、瑞々しい枝葉を新聞紙の先からのぞかせた包みが、『ありがとうございました』という言葉とともに差し出される。

 店員の手から、古新聞に包まれた黄色い花房を、彼は無造作に肩に担ぎ上げた。
 枝ぶりの整った、切り花というより『花枝』であるそれは、歩を進める度にほわんと甘やかな香が立ち昇る。蜂蜜色した繊細な絹糸を縒り合せて作ったかのような小振りな花房は、数個ごとに小さく丸い毬のようなコロニーを作り、またそのコロニーが数個重なり合ってたらりと元枝から垂れ下がっていた。

 どう見ても花束向きではない花にそこまで気を魅かれたのかは定かではない。しかしまるで船の軌跡のように微かに香のラインを残すその花の色が、彼女の髪を思い起こさせたから。


 いつもはきゅっと引き締められ、皮肉気な笑みを浮かべている口唇をほんの少し撓ませて、彼はギルドの正面扉を押し開いた。
 その途端、いつもテーブル席にたむろする奴らが真ん丸に瞳を見開いて、こちらの方へ視線を送るのに頓着することもせず、金色の光が揺れるカウンタへずんずんと突き進んでいく。

 その後ろには彼の表情に似合わぬ甘い香。

「おい、これ。」
 脇目も振らず目標地点に到達すると、彼は担いでいた花房をずずいと一人の少女の眼の前に押し出した。差し出された勢いに花房が揺れ、ほわりと強く香る。
「お前にやるよ。」
 そして更に突き付ければ、黄色のふわふわした花の中に埋もれる榛色の瞳がきょとんと見開き、おろおろと視線が彷徨った後、へにょりと眉尻が下げられた。
 その途方に暮れた表情に、彼の眉根が不機嫌そうに顰められる。

 押し付けたは良いが伸ばされない手に、落ち着きない瞳に。
 もとよりほんの気まぐれ。

 困ったような彼女の反応に、今や完全なる自己満足の塊となった産物を、彼女の腕の中に無理矢理押し込んで、彼はくるりと踵を返した。
 一歩一歩遠ざかる彼の背中と、腕の中に落とされた金絲雀色の花房の間できょときょとと視線を交錯させた後、彼女は花房をぎゅっと抱き締め口唇を開く。

「あ、あの…!!」
 焦ったようにかけられた声に、彼女へ花房を押し付けた彼が肩越しに振り返る。頬だけでなく耳朶までも紅く染めた彼女がぱくぱくと口を開けたり閉じたりした後、ほわりと腕の中の花房と同じく甘く微笑んだ。
「ありがとう、グレイ。とても綺麗ね。」
 ゆるりと瞼を伏せて、花の香を吸い込む彼女に、グレイと呼ばれた彼は、眦の端に小さく笑みを浮かべる。
「どういたしまして。似合ってんぜ?」
 そんな気障な台詞をさらりと返すと、彼は今度こそ振り返らずにギルドの扉をくぐり外へと歩み去った。



『ウル、これ…雪の間に咲いてたぜ? 男は花なんていらねーから、ウルにやるよ。』
『はぁ? マセガキが何言ってるんだよ。でもな、女の子に花を贈るときはな、ちゃんとその花言葉とかも考えないとダメなんだぞ?』
『は、な…ことば?』
『そう、花言葉。まあお前みたいなチビにはまだわかんねーだろうけどな。』
『ガキ扱いするな!!』
『あはははは、悪い悪い。綺麗な花だな、ありがたく受け取るよ。』

 そう会話を交わしながら、薄い氷のケースに大切そうに閉じ込められた名も知らぬ花。
 それはウルの家の棚でずっと、解けぬ氷の中に咲き誇っていた。
 今はもうその花は何処にもないけれど。


 花を贈ろう。

 理由なんていらない。
 意味なんていらない。
 ほんのひととき、貴女の視界に残る。
 そして永遠、貴女の心に残る。

 君によく似た花を贈ろう。

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