第一弾<book>

□ローレーンベゴニア【碧っち。】
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喜ぶべきなのか。
それとも、哀しむべきなのか。

「おーい。そろそろ起きねぇと風邪引くぞー?」

木の幹に背中を預けたまま、ぴたりと閉じられた瞼。
すーすーと規則正しく響いてくる息遣いは、決して乱れる事なく。
今、ここで何かが起きても気付かないんじゃないかとさえ、思えてしまう。

「起きろって。ルーシィ」

気持ち良さそうな木陰だ、と笑った彼女に確かに同意したのはオレで。
少し休んでいこうという発案に、乗ったのもオレだ。
でも、ほぼ真上にいたハズの太陽が地平線でオレンジ色に輝いている今、まだ“少し”に満たないという事はいくら何でもないだろう。
気配に気付くかと、わざと間近から見つめてみても微動だにする事なく、静かな呼吸が続くだけ。

「あー…、どうすっかなぁ」

いくらもう暑い季節だとはいえ、こんな高台にいればそれなりに空気は冷えてくる。
更にそこへきて彼女の“あの”服装だ。
全身冷やしてくれと言わんばかりの露出面積を全て覆えるようなものは、生憎持ち合わせていない。

ならば、起こすしかないと分かってはいるのだが。

「できねぇよなー…」

ルーシィへと手を伸ばし、触れる寸前で拳を作る。
二度三度、手を開いて握り締めて肩へと僅かに近付いて、でも触れられなくて。
躊躇い空を舞い続ける己の手のひらに気付いて、苦笑しながら引き戻した。

仲間が風邪を引きそうだから起こすだけだ、と。
呪文のように何度自分に言い聞かせてみても、効果はなくて。

「頼むから起きてくれって」

触れられぬまま刻一刻と過ぎていく時間と、暗くなっていく風景に気持ちだけは焦り続けて。
それでも触れられない自分に、深々とため息がこぼれ落ちる。

オレがルーシィの事を好きだと、彼女は知らない。
まさかチームメイトがそんな感情を抱いているなど、思いもしないのだろう。
だから、こんな無防備のまま全てを晒せるんだ。

傍にいる人物が、一番信頼してはならないのだと気付きもしないで――…。

「おい。起きろよ」

とん、とルーシィが背中を預けている大木へ腕を突いて、体を沈める。
触れそうな距離まで迫ったその肩口から漂う甘い香りに眩暈がして。
崩れ落ちそうな境界線と、食い止めようと噛み締めた唇と。
じわりと口内に鉄の味が広がるのを知りながら、ぎりりと更に力を込め歯を突き立てる。

今すぐ立ち止まれと、警告音が鳴り響く。
吐きそうな程ズキズキと痛みを発する頭を手で押さえ込んで。
それでも、手繰り寄せられる力には勝てなくて。

「ルーシィ」

金糸の間から姿を見せている耳朶へ、唇を寄せて。
より彼女の奥底へ、最深くまで響くようにとトーンを落とす。

「―…襲っちまうぞ?」



「………んー…」
「―――っ!」

何かに突き飛ばされたかのように体を起こし、無言のまま彼女を見つめる。
微かに声が聞こえたものの起きた訳ではないとすぐに気付き、ふっと肩の力を抜いた。

もし、聞かれてしまったら。
きっと彼女は二度と気を許してはくれないだろう。

「くっ、くくくっ、…はっ!ふっ、くくっ」

腹を抱え、笑い続ける。
どうして溢れ続けるのか、その理由はオレにも分からなかった。






ローレーンベゴニア






ふわりと冷たい風が頬を撫で、思わずびくっと体が揺れる。
重い瞼をゆっくりと持ち上げれば、空はすでに青でも赤でもなく。
間もなく夜が訪れる前兆の、深いグレー。

「え?あ、あれ?」

日の高い時間から記憶が飛んで、慌てて周囲を見渡す。
すると、薄暗い世界の中にぽつりとより黒い影がひとつ。

「グレイ?」
「あぁ、…やっと起きたのか」

くるりと踵を返し、こちらへと歩み寄ってくるその上半身は相変わらずの素肌で。
癖だとか訳の分からない事を言わずにきちんとしなさいと。
仲間として、ビシッと言ってやろうと体を起こしかけて、…ふと気付いた。

ずっしりと何かが圧し掛かっている、自分の体。

「早く帰るぞ。日が暮れる」

ばさりとジャケットを取り上げて、肩に担ぐ。
途端に服の間から入り込んできた冷気に、ぞわっと全身が粟立った。

「寒い…!」
「そりゃ、こんな時間になりゃーなぁ?」
「何で起こさないのよ!」
「どっかの誰かさんが口開けてあまりにも幸せそうな顔してたもんで」
「口開けてなんかないっ」
「いや、実に幸せそうにかぱーっと」
「絶対に嘘!」

とっ掴まえてやろうと差し出した手は、一瞬先に駆け出したグレイのせいで空を切り。
そのまま走り去るグレイの背中を見失わないようにと、追い掛ける。

「あの顔はねーよなぁ」
「な、なによっ!どんな顔は知らないけど、失礼な事言わないで!」
「まぁ、でも一応女なんだから。あんな無防備な顔して寝てると、襲われるぞ?」
「無防備なんかじゃ…!で、でも、大丈夫だって知ってるもんっ」
「あぁ?何だか随分と自信有り気だな」

あからさまにペースが落ちた背中へ追い越しざまに、ぱん、と手を打ち付け前へと回り込む。
立場が逆転した私へ、ひょいと器用に片眉だけを上げ視線を向けて。
少しだけ、楽しそうとも取れるそんな表情を浮かべるグレイに、もっと笑顔になって欲しいとそう思って。

「守っててくれるんでしょ?」
「誰が?」
「もちろん、グレイが」

グレイに対する絶対的な信頼。
そして、私にとってより間近なところに貴方はいるんだと。

グレイへの思いは仲間だけじゃないと、不器用で遠まわしだけど伝えたくて。

仲間としか思われていなくても、仲間との信頼関係を何よりも尊ぶグレイだから、きっと喜んでくれると。
覚悟していても痛みと酸欠を訴える肺を、服の上から握り締めて最大限の笑顔を浮かべる。

見上げた顔は、もう明かりの無い中ではどんな表情を浮かべているのか見えなかったけれど。

「…そうだな。」

穏やかな声と共に、優しく頭へと置かれた大きな手。
そして、再び肩に掛けられたグレイのジャケットの温もりに、自然と胸の痛みは融けていった。




End
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ローレーンベゴニア
花言葉:「片想い」

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