黒河探偵事務所

□memory【前編】
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 翌日。




「……クロさん大丈夫ですか?」

「え、なにが?」

「なんか、すっごく辛そうな顔してます」

「そっか……表情に出てたか」



 パチンと両手で軽く頬を叩く。

 実は浮気調査というのは、黒河が最も苦手とする依頼なのだ。


 愛は、人を変えてしまう。

 恋愛というものは幸せであり、時として酷く残酷である。
 例えば2人を愛し、溺れてしまう。それで、血が流れた事は少なくはない。

 善悪の見境がつかなくなり、堕ちてしまうのだ。




「怖いね」

「え?」

「ううん、なんでもない」

「そうですか?」

「さあ、頑張らなきゃね」

「はいっ」



 気合いを入れて、深呼吸。
 調査に出ようとして立ち上がった瞬間――。



「黒河ァー」



 ズルリ。



「く、クロさんっ!」

「……もう……なんだよ」



 ドアには佐川が立っていて、なにやら難しい顔をしている。



「何? これから仕事なんだけど」

「いや……あのよ」



 ドアも開けっぱなしで、ツカツカと中に入り黒河の正面に立つ佐川。

 思わず黒河が後退りしてしまう程の距離で、眉間に皺を寄せている。



「……なんだい?」

「客……」

「え、お客さん?」

「いや、うーん……客? うん、客」

「なんだよそれ」

「まあいいや、面倒くせぇ。中に入れていいか?」

「うん、是非……」



様子がおかしい佐川に、玲と顔を見合わせて首を傾げる。

 すると佐川はドアの方を向き、手招きをして声を掛けた。



「おーい、いいってよ。入ってこい」

「ばっ……! お客さんになんてクチ叩いてんの!?」



 しかし返事はない。

 佐川はふう、とため息を吐き、ドアへ向かって歩いていった。
 扉から顔だけを出して、なにやら声を掛けている。



「おい、来いよ」

「いいって言ってんだろ? ほら!」

「チッ……ほら、行くぞ」



 佐川の声だけが響く。
 少々乱暴な言葉遣いで客を入れようとする佐川。
 黒河が注意しようとした瞬間、佐川はドアの外に出ていってしまった。



「……アイツ、なにしてんだろ?」

「さあ……」



 すると、佐川がスタスタとまた中に入ってきた。
 お客というのは、大人ではなく佐川の手に繋がれながらヒョコヒョコ付いてくる……。



「……子供?」

「事務所の前でウロウロしててよ。入りたいけど入りづらいって言うから。……ほら挨拶っ」

「こ、こんにちは……」



 佐川の腰辺りだろうか。
 その幼い女の子は、佐川の手をしっかりと握っていた。



「お客さんって……キミかい?」



 コクリ。



「依頼かい……?」



 コクリ。




「……わかった。まず、座って?」



 頷くばかりのその子を、ソファへ座らせる。



「ジュースがいいかしら?」

「あっ……ありがとうございます」



 変わったお客が来たもんだ。


 
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