星蘭の秘密の部屋

□Prayer ― 正義の叫びと平和の祈り ―
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「またここにいたのか」

突然聞こえた声に、ライチェスは身構えた。
が、すぐに力を抜いて、ほっとしたように笑みを浮かべる。
そこにいたのは、ライチェスにとって見慣れた人物だったからだ。

「ワイズか。驚かせるのはやめてくれ」

「驚かせるつもりはなかった」

そう言って笑うのは、ライチェスより年上の天使、ワイズ。

彼の事をライチェスは慕っている。
そうまるで師のように、あるいは父のように。

「気をつけろよ。ぼんやりしていたら後ろからやられるぞ」

ふざけるような口調でワイズが言ったのは、おそらくライチェスを元気づけるため。
彼がこの場所にいるのは、決まって落ち込んだ時だと、ワイズは知っている。
案の定、ライチェスは力なく笑っただけだった。
そんな彼の様子を見てからワイズは溜息をつくと、短い赤毛を掻いて、言う。

「少しは……慣れたらどうだ」

「慣れることができたら、苦労はしない。お前も、そうだろう?」

ライチェスはターコイズブルーの瞳でワイズをとらえた。
その瞳には、微かな苦痛、憎しみ、悲しみが入り乱れていた。
それを見てワイズは、すまない、といった。

「確かにそうだ。誰かの命を奪うことに慣れることなど、あってはいけない。
 だが……このままお前が、自分を責め続けていたら、お前自身が壊れてしまう気がするんだ」

真剣な、ワインレッドの瞳。
まっすぐにライチェスを見つめる、ワイズ。
……視線を逸らしたのは、ライチェスの方だった。

「……壊れてしまった方が、楽かもしれない」

ライチェスは、俯いて、くぐもった声で言った。


―― 彼自身も知っている。


ワイズが、自分の事を心配してそう言ってくれていることも、ワイズの言う通り、ある程度は割り切らねばならないことも。

悪魔との戦いは、命を懸けた戦いだ。
命を奪うか、奪われるか。
温厚そうなワイズでも、多くの悪魔を手にかけている。

……そして、ライチェス自身も。

ワイズは、顔を上げようとしないライチェスを見ながら、独り言のような小さな声で呟いた。

「お前は、俺たちの中で一番天使に向いていないな。いい意味で、だが。
 だが、お前はその分苦しむ。俺は、それを見るのが正直辛いよ」

ワイズの呟きに、ライチェスは顔をあげた。
その顔には、困ったような、嬉しいような微笑みが浮かんでいた。
その表情を消して、ライチェスは自らの手を見る。

先ほど、自分の剣でつけた傷は、消えていた。
この泉の水には、傷を治す力がある。

しかし、この泉の力も、深く傷ついたライチェスの心を癒すことは、出来ない。

「悪魔と闘うたびに、俺は、あいつらと同じになって行く気がするんだ」

あいつら、というのは……ライチェスの家族を殺した悪魔たちの事だ。
その言葉を聞いて、ワイズは顔を歪める。

ライチェスは俯いたまま、震える声でつぶやいた。

「俺は……怖いんだ。あいつらと同じように、なにも思わずに命を奪うようになってしまうことが」

ライチェスは痕が付くほど強く自分の手に爪を食いこませた。
彼の瞳には何かが揺れている。
それが、哀しみか、憎しみか、ライチェス自身にもわからない。

ワイズは大きな手をライチェスの頭に置いた。
まだ泉の水で濡れている髪をなでると、ワイズは力強い声で言う。

「お前はやつらとは違う。そして、他の天使とも違う。
 いいか?言っておく。ライチェス、お前は間違ってなんかいない。
 周りのやつらが間違っているんだ。
 お前は、そのままの自分でいろよ。無理に変わろうとしなくていい……」

ライチェスは、頷きも首を振りもしなかった。
ターコイズ色の瞳で、ワイズの葡萄色の瞳を見つめただけ。

ワイズは一つ溜息をついてから、そっと微笑んだ。

「……じゃあ、俺はもう行く。あまり油断するなよ。ここも、完全に安全ではない」

「わかっている。……身をもって、知っている」

ライチェスは虚ろに泉のほとりの一点を見つめた。
その表情に、ワイズはもう一度顔を歪めた。

ライチェスの瞳に映っているのはおそらく、この泉で命を奪われた彼の幼い妹、ジャスティの姿だろう。
父を失い、母を失い、たった一人残された七歳の妹を目の前で殺された時、ライチェスはまだ十歳だった。


―― 強く、なりたいんだ。



ワイズは、泣くまいと歯を食いしばりながら自分にそう言ったライチェスの姿を、今でも鮮明に憶えていた。




 
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