小話。
□短期同盟
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『ジジジジッー!!』
すぐ側で大きな鳴き声が聞こえ、十蔵は飛び上がった。
辺りを見回すと障子に一匹の大きな蝉が張り付いている。
「!」
思わず十蔵は息を飲んだ。
十蔵は虫が大嫌いだ。いや、嫌いなどと言う生易しいものじゃない。虫と言う存在自体にとてつもない恐怖を感じている。
《こ、怖い……!》
ただそう強く感じて、爪先から頭の天辺まで緊張して動かなかった。し、動かしたくなかった。
そうして障子に居座っている敵とにらめっこしていると、蝉は今にも飛び立ちそうに羽を小さく震わせた。
はっと十蔵は我に返り、摺り足で立て掛けてあった銃の元へ向かう。音を出さないよう銃を手に取り、蝉に向かって構えた。
静寂が一人と一匹を包む。
「覚悟しろ……」
震える声で呟いたその時、
「何やってんだ十蔵!」
障子を乱暴に開け放ち、甚八が入って来た。
引き金を引く間もなく蝉は飛び立つと、十蔵に向かって突進する。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
叫び声を上げてしゃがみこむ十蔵を見て甚八は笑った。
「馬鹿だな。蝉ごときに何びびってんだよ」
十蔵を驚かし、今度は自分に向かって飛んで来る蝉を上手くひっ掴んだ甚八。
甚八の手の中に閉
じ込められた蝉は激しく暴れたが、次第に大人しくなった。
「……」
「おい」
「…………」
一言も喋らず、ずっとしゃがみ込んでいる十蔵に不気味さを覚えた甚八は、さすがに蝉を逃がしてやろうと外へ出た。
そっと手を開くと、蝉は狂ったように鳴きながら甚八の手を離れた。
また中へ入るが、十蔵はまだうずくまっている。
「おい、蝉は片付けたぜ。まさかお前……泣いてんのか?」
微かに顔を上げた十蔵の目は確かに赤かった。
「泣いてない」
「泣いてるじゃねえか」
「泣いてないべ!」
顔を真っ赤にして立ち上がった十蔵は、艶やかな新緑色の髪を翻してむこうを向いた。
「泣く程怖ぇのか?」
「だから、泣いてな――」
言い終える前に、甚八は十蔵の手から銃を引ったくった。
「おま、何すんだ!返せ!」
「馬鹿野郎!こんなもん虫ごときにぶっ放す奴があるか!」
甚八の雷のような怒鳴り声に身を竦めた十蔵は、今にも泣き出しそうな顔をした。頭を振って涙を堪えると、十蔵も負けじと大声を出す。
「じゃあどうしろって言うんだ!」
「俺に言え!!」
「……へ?」
十蔵は予想外の答えに、声が裏返った。
「知るか!」とか「てめえでなんとかし
ろ!」とか、血も涙も無い事を言われるとばかり思っていた。
「虫が出たら俺に言えっつったんだよ、間抜け! 俺が今みたいに退治してやるから」
「間抜けだって!?……俺を、守ってくれるって事か?」
今度は甚八が顔を赤くして怒った。
「なっ、誰がてめえを守るって言ったんだよ! 銃なんか撃って、壁や障子に穴でも開けてみろ。幸村様に怒られるだけじゃねえ、海野に食事抜きにされるぞ!」
「自分のためって訳か」
「そうだ。俺のためだ。お前のためにこっちまで迷惑すんのはゴメンだぜ」
十蔵は、さっきの蝉の鳴き声を思い出して身震いした。なんのためであろうと、甚八の申し出はとても有難い。十蔵は素直に「わかった、ありがとう」と呟いた。
甚八は一瞬苦い顔をすると、踵を返して再び障子を乱暴に開け放つ。
「? ありが――」
「聞こえてる!お前の素直な礼なんざ聞きたくないんだよ!」
(なんだよ……こいつっ)
むっとする気持ちを抑え、足早に去って行く甚八の後ろ姿を見送った。
十蔵と甚八は犬猿の仲だが、幸村を慕い、命に代えても守ると言う共通の思いを持った仲間だ。
(あいつが虫から守ってくれるなら、俺もあいつを守ってやらなきゃな。あんな
奴だけど、仲間だしね)
間抜けと言われた事で腹を立てていた十蔵は少し冷静になった。
やっぱり仲間だし、出来る事なら仲良くしたい。そう思っているのに、そう思っている事を甚八に知られたくない。きっと甚八は自分を馬鹿にするだろう。その上、心から拒絶されてしまうかもしれない。なにより癪に障る。
だから今までそんな事は一言も言わず、素振りも見せなかった。
(あいつ、本当に助けに来てくれるのかな)
ため息をつき、畳の上に寝転がった。
……天井に大きな蛾がいる。
「ひっ……じ、甚八ぃー!!」
思わず叫ぶと、大きな足音をたてながら誰かがやってきた。
きっと、甚八だ。