月下の君

□03
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入口を通された後、五人は先導する僧の案内に従って長い廊下を進んでいた。

建っている場所に反して広い院内に八戒達は自然と視線を巡らすが、疲れていることもあってか璃桜はその顔すらも上げようとしない。

やがて一枚の扉へと突き当たると、僧は一礼をして恭しくそれを押し開けた。


「こちらでございます」


その言葉と共に五人がようやく揃って視線を向ければ、そこには何人もの僧たちがずらりと並んで立っている。

最奥に座していた老僧がその顔を持ち上げると、部屋に足を踏み入れた三蔵の姿を視界にとらえるとゆっくりと口を開いた。


「――これは三蔵法師殿。この様な古寺にようこそおこし下さいました」

「・・・歓迎いたみいる」

最高僧を前にして感動を隠せない口調の老僧に対し、三蔵の言葉はあくまで義務的だ。

そこから数歩下がった場所では僧達の様子から、彼らにとって『三蔵』という地位の高さを感じ、
半信半疑な悟空と悟浄が小声で八戒へと疑問を投げかける。

けれども璃桜はここに来てさえも一言も発さず、ただ視線を床へと向けるだけだ。

足取りは寺院に辿り着く前より幾分かしっかりしているのに、一体どうしたのかと、八戒の説明を聞き終った悟空がそっとその顔を覗き込む。


「なぁなぁ璃桜、大丈夫か?さっきからほとんどしゃべってないけど、そんなに疲れてんの?」

「・・・あ?あぁ、大丈夫。ただ、こういう場所は・・・そんなに、好きじゃないだけだ」


突然の悟空の行動に一瞬目を丸くした彼であったが、言葉を探すように数秒視線を泳がせるとゆっくりとその表情を緩ませた。

その時ふと、三蔵と老僧の会話が二人の耳に届く。

会話の内容はいつしか生前この寺院を訪れたという彼の師匠の話へと移っており、悟空は自分の知らぬ話にすぐに興味を失って八戒達へ向き直る。

だからこそ、『光明』という名が聞こえた時、璃桜が一瞬身体を強張らせたことには気付かない。

そんな彼の表情を察した訳では無いだろうが、懐かしそうな声音で話を続けていた老僧の言葉を、欠片も感慨を見せない三蔵の声が遮った。


「――そんなことより、この石林を一日で越えるのは難儀ゆえ、一晩の宿を借りたいのだが」

「ええ!それはもちろん、喜んで!――ただ・・・」

「何か?」

ようやく本来の目的であった今晩の宿について、話を切り出せたまではよかったのだが、それに応える僧の言葉はどこか歯切れが悪い。

チラリと三蔵の後方に佇む四人に目をやって、何かを言いよどむように口を閉じる。

それに目敏く気付いた八戒が言葉を掛けるが、その更に後ろでは璃桜がこの後の展開など予想が付くと言わんばかりに呆れた表情を浮かべていた。


「・・・あーあ、やっぱり面倒臭いことになった」


そのままポツリと呟かれた言葉は、小さすぎて傍にいた悟浄の耳でもよく聞き取れない。

聞き返そうかと口を開きかけた時、それより数瞬早く三蔵の前に居た若い僧が言葉を続けた。


「ここは神聖なる寺院内でして、本来ならば部外者をお通しする訳には・・・。
そちらの方々は、仏道に帰依する方の様にはとても・・・」


言葉を濁してはいるが、確かに僧が言いたいことは最もだ。

そもそも、いくらそうは見えないとは言っても実際に最高僧である三蔵は別として、他の四人が仏教徒に見えるはずもない。

最初から分かっていたような璃桜は特に何の反応も示さないが、気の短い悟浄はふざけるな、といきり立つ。

それを八戒が宥めるも三蔵の言葉が更に油を注ぐ、といった悪循環が続くも、ようはこの寺院の僧達は信仰心――悟浄に言わせれば警戒心――が高いのだ。

ここを今晩の宿にするのは無理そうだ、と早々に判断を下した璃桜はさっさと立ち去ろうと踵を返しかけたのだが、

僧が投げかけた次の言葉に何を思ったのか足を止めた。


「――この方々はお弟子さんですか?」

「――いや、げ」

「申し遅れました。私此度玄奘三蔵様の旅の御伴の任を頂きました、璃桜にございます」


三蔵の言葉を遮るようにして口を開いた璃桜は、誰かに止める隙を与える間もなく老僧の前に進み出て膝を折る。

その所作は流れるように滑らかで、嘘だと分かりきっている四人でさえ一瞬納得してしまいそうな程自然体だ。

先程まで出来るだけ影を顰めようとしていた様からは想像出来ないその姿に一同は目が釘づけられるが、彼はそんなこと気にも留めない。

ただただ丁寧に老僧に向けて頭を下げ、次の言葉を待っている。

例え見た目が「らしく」なくとも、彼の言動は僧達の納得を得るには十分すぎる物だった。


「そ、そういえば玄奘様が伴を連れて旅をしていると、話を聞いたことがありました。
いやはや、貴方のことでしたか」


呆気に取られていた一同の中で我に返ったのは老僧が最も早く、三蔵達が否定の言葉を口にするより先に慌てたように言葉を返す。

その言葉に何故か違和感を覚える三蔵であったが、その正体を探る前にようやく事態を飲み込んだ周囲のざわめきによって掻き消される。

仏教徒にはとても見えない璃桜の姿は、僧達に「三蔵様を守りやすくするために動きやすいから」と判断されたらしく、
彼に投げかけられる言葉に疑いの様子は微塵も見られない。

掛けられる言葉に軽く会釈を返しながら彼が元の場所に戻って来る頃になってようやく、三人の頭は現在の状況へと追いついた。


「え・・・っと、璃桜?今のは、一体・・・」

「ところで三蔵様、この御三方はお弟子さんですか?」


八戒が戸惑いながらも口を開くが、それは残りの三人へ目を向けた僧の言葉によって遮られ
た。

璃桜に勝るとも劣らない仏教徒には不釣り合いな容姿に、向けられた視線は穏やかではない。

それでもはっきりと疑いの言葉をぶつけないのは、璃桜という例外があったばかりだからだろう。

この言葉に三蔵は一体何と返すのか。

様々な意味で皆の視線が集まる中、三蔵は特に考え込むことなくあっさりと次の言葉を言い切った。


「――いや、下僕だ」


一瞬にして残りの四人の間の空気が凍るも、僧達は納得したように笑顔で相槌を打つばかりで、こちらの様子には気付かない。

我に返って三蔵へと殴りかかろうとする悟空と悟浄を二人が急いで押し留めていると、
ようやく僧は三蔵一行全員を寺院に泊めることに許可を出したのであった。


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