もう1つの世界

□不器用な手
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「…いっ!!」

隣から聞こえた小さな叫びに驚いて包丁を握る手を止める。
見てみれば、アイツは苦痛に歪んだ顔で水道の蛇口を捻っていた。

流れる透明に混じる赤に大体のことは理解できた。

「大丈夫か?」
「あ、あぁ…」
「ちょっと待ってろ」

部屋に行き荷物の中から救急箱を取り出す。
消毒液と絆創膏を持って再び戻った時にはもう水の音は聞こえなかった。

サトシはこちらに気付き、苦笑を浮かべ振り返った。

「…いてぇ」
「そこまで深くはない。大丈夫だ」

差し出された手を取り傷の具合を確かめる。これでよし。
手当てを終えるといきなりため息をつかれた。

「どうした?」
「やっぱりオレって本当に不器用だよなぁって思ってさ」
「不器用というか…単に不慣れなだけだと思うけどなぁ」


あ、落ち込んだ。


「…よし!もう1回やってやるぜ!!」

ガックリと肩を落としていたと思えば突然の立ち直りを見せると再び包丁を握り締める。
だけどその構え方は相変わらず危なっかしい。

「おいおい。それだとまた指切るぞ?」
「大丈夫だって!……どわっ!?」

「…………」


大丈夫ではないな。
見ているこちらが冷や冷やしてしまう。
頑張るのはいいけれどまずはその力加減を調節するべきだと思う。

自分のそれよりもほんの少し小さい手に握られている野菜をそっと奪い取る。

「あっ!」
「これは俺がやるから。サトシは鍋に水を入れてくれ」
「……ちぇっ」

不満げな顔に苦笑を返す。

今までは薪や水の調達役を進んで行っていたサトシが、最近は”作る側”に興味を持ち始めたことには正直、驚いた。
どちらかと言えば食べる専門だろうに。

「……?」

ちらりと横目で様子を見れば、何故か自分の手元に向けられている視線。
どうした?と問えばはっとした顔をして何でもない!と返された。
その仕草を不思議に思いながら再び目線を手元の包丁に移す。


「…る…なぁ」


それは本当に小さな声。
包丁がまな板に当たる音に掻き消されそうなくらい。
確かに聞き間違えなかったそれに作業の手を止めることはなく、けれど次第に笑みが浮かぶ。

わかってしまった。
慣れないことを懸命にやり遂げようとするその真意に。
どうしようもなくボサボサの寝癖がついた頭を撫でたくなった。



『ずるい、なぁ』



「……やってみる、か?」
「え?」

ほら、と刻みかけの野菜を手渡す。
受け取ったその表情には嬉しさと、少しの驚きが見て取れた。

「いいのか?だってさっきは……」
「気が変わった。大丈夫だ。ちゃんと指導してやるよ」
「!?…サンキュ!!」

ゆっくりやっていこう。
失敗したらやり直せばいい。

(それに……)

よし!と隣で気合を入れまくっている姿に口元が緩む。
そうしてほんの少し身を屈めた。




「!?」

触れるか触れないかの感触。
姿勢を戻せばそこには驚きに固まる顔。

「どうした?」
「……やっぱり、ずるいな。タケシは」

照れたように笑うのを見てつられて自分も微笑み返した。

たまには、感情のまま動いてみるのもいいかもしれない。


些細な日常、君の隣で

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