もう1つの世界

□溢れて溢れて止まらない
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カサリ、カサリ……


背後から足音が聞こえる。
ゆっくりとこちらに歩み寄る音が。

誰が、なんて。
そんなことを考えなくてもわかってしまうのはこれまでの付き合いの長さ故なのだろうか。
走れば、今なら、逃げられるかもしれない。
一瞬だけそんな考えが過った。


「サトシ」


自分に投げかけられている声。
わかっていながら、けれど振り返ることが出来なかった。……立ち上がることも。


(――あぁ、ムリだ)


その、声を聞いて。
どうせなら責めてくれればいいのに、なんて思った。
その方がずっとずっと…楽なのに。


「………」

チラリ、と視線を声の方に向ける。
目に入ったのは自分が想像していたのとは若干違っていた。

見えたのは木の幹と、右半分の後ろ頭と、
自分のよりも遥かに逞しい背中。


「………」

「………」


(頼むから何か言ってくれよ…)


自分達の間を沈黙が流れることはこれまでにも何度かあった。
でも、それは別に居心地の悪いものではなくて。むしろ、安心できるそれだった。

でも、今は……。







「…ゴメン」

「………」


もう、耐えきれなかった。

前を向いてそう小さく呟いた。
本当に小さく。

悪いと思ってる。
いつもいつも心配かけて。
無茶ばかりして……その度に怪我までして。


でも。



「……助けたかったんだ」

崖から落ちそうになっていた小さな体。
それを庇い、代わりに自分が怪我を負ったことに後悔なんてしていない。
だって、助けることができたのだから。

地面に叩きつけられた自分の体。
その至る所で激痛が走った。
けれど、庇ってくれた感謝からか嬉しそうに、そして心配そうにペロペロと頬を舐めてくるその愛らしい姿にサトシは満足した。心からほっとした。


「………」

だけど、そう思っていたのは自分だけだったらしい。
サトシがその違和感に気付いたのは。

ケガの治療の間、タケシは一言も喋らなかった。
てきぱきと手だけを動かす。
その眉間に皺が寄っていたわけでもないし、
包帯を巻く力加減が強かったとかいうわけでもない。


ただ、何も、言ってくれなかった。



『終わったぞ』

その彼が漸く口を開いたのは治療が終わると同時だった。
はっとして顔を上げれば交わる視線。


『……あ』

『……』


”ありがとう”
そう、言おうと思ったのに。

どうしてだろう。
出かかった言葉を飲み込み、逃げるように外へと飛び出したのだった。






「助けたかったんだ」

「……そうか」

小さく零れたそれはたぶん溜息で。
そう思ったら心がギシリと音を立てた。
背中に静かでそれでいて真っ直ぐな視線を感じた。

「!?」

その気配が近づいたと思った同時に頭に置かれた優しい手。
グシャリと帽子ごと少し強く、置かれた手。


「わかってるよ」

「…え?」

「ちゃんと、わかってるから」


言葉にならない声が自分の口から零れ落ちた。
目の前が滲むのは目にゴミが入ったからだと思い込むことにしよう。

涙なんて、見せたくなかった。


「……ありがと」

視線を合わせれば、困ったように笑う顔がそこにあった。
振り返って伝えた言葉。
ほんの少し、震えた声になってしまったけど。

未だ、見上げなければならない身長差。
もしかしたらずっとそうなのかな、なんて頭の片隅で考えた。
だけどもう、それでもいいかな…なんて思っていたりもする。

ゆっくりと差し伸ばされたその手を拒む理由なんてものは無い。

強く掴んで、立ち上がった。


「戻るぞ」

「あぁ」


……きっと自分はまた同じことを繰り返す。
止まらない、止められない感情に突き動かされて。

それでも、自分のことを待っていてくれる仲間達がいる。
こうして、自分のことを引き上げて受け止めてくれる人がいる。

ちゃんとわかってるから。
だから……。


(――ゴメンな、タケシ…)


その背に小さく呟いた。


(守れない約束と知りながら)

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