短編小説
□流れる時の中で
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テーブルの上に置かれた一冊の古い本。
その本の持ち主は眼鏡を外し、それを本の横に置くとギシリと鈍い音を立てる古椅子の背持たれに寄りかかり、目を瞑った。
「ミシェル」
「ん、何だいオフィーリア」
「疲れた?」
「少しね。ちゃんと休むから心配ないよ」
ミシェルと呼ばれた青年はオッドアイの瞳を優しく緩めるとオフィーリアという少女の豊かな黒髪を撫でた。
「うん…」
少女はふわりと宙に浮かび、青年の寝顔を伺うように覗き込む。
人のいない図書館はいつも以上に静まりかえり、聞こえるのは時計と呼吸の音だけ
「…オフィーリア」
「なぁに、ミシェル」
少しの静寂を破り口を開いた青年の眼は少女を捕えた。
真っ直ぐな視線は先程と違い、寂しげに細められていて
オフィーリアはミシェルの言葉を何も言わずに待った。
「あの人は今日も来ると思うかい?」
彼の言う『あの人』には心あたりがあった。
オフィーリアは思い当たるその人物を思い浮かべると表情を変えず、ゆっくりと首を横に振った。
「…わからない。でも、来てほしいわ」
━ミシェルが待っている人だもの
「そうだね…僕もだよ」
そう言ってミシェルは微笑を浮かべると壁に掛った時計にチラリと視線をやり、時間を確認した。
来るならおそらくそろそろだろう
「オフィーリア、最近たまに思うんだ。…もしも僕が彼と同じ人間だったら…と」
オッドアイの瞳は何処か遠くを眺めている。
「僕は少しの間しか彼と同じ時を生きる事が出来ないから」
「…えぇ、そうね…」
「僕は彼よりずっと長生きをする」
それはミシェルの体に流れる魔法使いの血の為
普通ならば理解してもらう事すら叶わない
「話さないの?あの人なら分かってくれるかも…」
「そうだね…でも僕は臆病なんだよ」
寂しげに微笑むミシェルの表情にオフィーリアは首を傾けた。
優しく微笑むとミシェルは再び眼を瞑る。
「また少し寝るから…もしも彼が来たら起こしてくれないか?」
「えぇ、わかった」
そう言って浮かんだまま、オフィーリアはミシェルの旁にまでやってきた。
ありがとう、と呟くように言うとミシェルの意識はスゥ、と吸い込まれるように消えていった
「おやすみなさい…」
旁の少女は青年が眠るのを確認すると視線を窓の外に向けた。
窓から見える樹の枝には新緑の若葉が芽吹き、陽射しの中で輝いている。
その色はある人物を彷彿とさせるような色
人と距離をとっていたミシェルがその人と会ってから変わりつつあるのは明らかだ
オフィーリアにはそれが良い事なのか、そうでないのかは判断出来なかった
彼女は変わる事を恐れて、自分の時を止めてしまったのだから
だが変わりつつあるミシェルを見ていると、その変化は悪いものではない気がするのだ
カチ、カチ、と時を進める針の音
少女は窓の外を眺め、来るかも分からない人を待ちながら流れる時の音を静かに聞いていた。
終わり