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□御題
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がちゃり、という音と共に厚みを持ったドアが押し開けられた。
岸谷新羅が音のなった方へ目を向けると、そこには中学生の頃からの付き合いの友人がいた。何の用か、と訊ねる意味も無い。傷だらけの臨也と、新羅が裏世界専門とはいえ医者を名乗っている事実を見れば、用件は明白だった。
新羅は他人が見れば、柔らかな笑顔をもって臨也のもとへと向かった。新羅のいたリビングからでは、臨也がよく見えなかったからだ。
近くで見れば、臨也は出血こそ派手だが、怪我自体は大した事の無い代物だと見受けられた。新羅は臨也をリビングに上げて、中央に置かれたソファに座るよう促した。臨也はさして気遣う様子もなく、ソファに腰掛ける。そっぽを向いた臨也に苦笑しながら、新羅が話しかけた。


「今日はまた、何があったんだい?」


臨也は、新羅の問いに小さく溜め息をついた。彼の元来持ち合わせていた眉目秀麗な顔立ちのおかげで、その仕草すら絵画のような美しさがあった。傷だらけではあったが、それこそ芸術といわれようとも何ら遜色はなかった。臨也はその美しい顔に、嫌悪感と苛立ちを満面に浮かべて、新羅を見据えた。


「見れば分かるだろ」


吐き捨てるようにして出された言葉から、新羅は相当臨也が苛立っている事を察した。彼のトレードマークともいえる黒いコートを脱いで薄手の黒いインナーが現れる。インナーの端から覗く傷を見ようとして、ある一点に目を留めた。新羅は、何か見てはいけない物を見てしまったような気がして、思わず溜め息をついた。臨也の耳にもしっかりと息漏れの音は伝わっていたようだったが、特に反応を見せる訳でもなく、宙に視線を彷徨わせていた。新羅はそんな臨也を好都合とばかりに治療をただ黙々と進めた。幸い怪我は大した事はなかったため治療は短時間で済んだ。


「終わったよ」


「…ああ」


臨也はどこか上の空のようだった。新羅はそんな臨也を特に追い出そうとする訳でもなく、相手の出方を窺っていた。やがて臨也に行動を起こす意思が無いことを悟ると、新羅は自ら話しかけた。


「分からないな、君たちの喧嘩する理由が」


「……? それこそ意味が分からないな、俺達は昔からこうだった筈だけど」


不可解そうに眉を顰めた臨也は、苛立ったように革張りのソファに爪を立てた。新羅はその行動に対して特に咎める事はせず、顔に笑みを貼り付けたままだった。眼鏡に光が反射して、臨也からは新羅の表情は読み取れない。


「だから何故昔と同じままなのかが分からないんだよ」


新たな言葉を付け加えた新羅に、臨也は己の爪にかかる負担を増大させるばかりだった。眉間に皺を寄せた表情は、主に彼の天敵、静雄と相対するときに見せるものだった。頭の回転が速い臨也にしては珍しく、本当に分かっていないようだった。尤も、新羅には臨也の表情から本当に分かっていないのかを見抜く術は持っていなかったのだが。見るからに不機嫌なオーラを漂わせる臨也には、常とは違う人間らしさがあった。新羅は溜め息混じりの笑い声を漏らすと、だって、と言って臨也の意識を向けさせた。


「君たちは付き合っているんだろう?」


「…………」


新羅の確信めいた問いに、臨也は沈黙でもって答える。冷めたような光を湛えた瞳が新羅を睨み据えても、新羅はさして動揺することもなかった。臨也は爪にかけた負担をとくと同時にその手で紅茶の入った陶器を持ち上げた。冷えた紅茶を傾け、喉を潤したようだった。


「…まあね。これが恋人に対する態度ならの話だけど」


紅茶と同じ温度の声音を紡ぐとともに、臨也は己の身体の有様を見下ろした。臨也の視線を辿った新羅は、何ともいえないような表情を浮かべて何度目ともつかぬ溜め息をついた。臨也はそれが不快だとでも言わんばかりに顔を歪めて、手に持っていた陶器を乱雑にソーサーに乗せた。新羅は苦笑を漏らして臨也を見ると、自分を見据える瞳がどこか蔑んだ瞳のような気がしてならなかった。


「君が自分の身体の惨状に対して語っているのだったら、むしろただの喧嘩相手には出来ない行為だったんじゃないかな?」


悪戯心を瞳に浮かべて、極めて明るく訊ねた。新羅のあまりに楽しげな様子に、臨也は眉間の皺を増やすとともに苛立ちを冷ますように緩く首を振った。臨也は新羅の問いの意味が既に理解できているようだった。陶器を離して手持ち無沙汰になった指は再びソファにその身を食い込ませた。臨也は自分の首筋に手をやって、触れる絆創膏の感触に溜め息をついた。余計な気を回すな、といいたげにかり、と絆創膏と素肌の隙間に爪を割り込ませた。
剥がれかけた絆創膏の隙間から覗く赤い斑点、所謂キスマークはこの場にいる二人の頭痛を悪化させるばかりだった。


「…さあね、化物の考える事は俺には分からないよ」


理解する気も無いけど、と吐き捨てて、絆創膏を剥がした。剥がれた絆創膏を人差し指と親指で丸めて、脱脂綿の捨ててあった屑籠に放った。血の染み込んだ赤い脱脂綿が臨也の瞳に映る。その脱脂綿と同じ色をした瞳は何の感慨も抱いていないようだった。新羅は同窓生の冷ややかな視線に目を留めて、その先を追った。新羅は銀色のプレートに乗った脱脂綿を一つ手にとって、臨也に笑いかけた。


「君たちは、赤い糸で結ばれているのかもね」


余裕といえる笑みを浮かべて臨也に向き直る。臨也は新羅の言葉に酷く不快そうに顔を歪めて、新羅の指先を見た。新羅は屑籠の真上にまで指を移動させて、その指先を離した。落ちていく赤い脱脂綿は血を含んで常より重く、そのため落下速度も速い。臨也は脱脂綿が屑籠に入って見えなくなったのを確認すると、コートを手に立ち上がった。


「もう帰るのかい?」


「ああ」


コートを羽織れば傷は見えない。充分隠し通せているようだった。何てことは無い、今までもそうしてきたのだ、と心中で呟きながら、臨也は小さく返事を返した。新羅は、きっと静雄のもとへ行くのだろうと思った。確信めいたものではない、ただの直感だ。新羅は臨也が玄関に辿り着いたのを見た。ふいに黒い背中が立ち止まる。臨也が振り向いて、言った。


「その赤色は、きっと血の色なんだろうね」


臨也は仕返しのように笑って、再び足を進めた。玄関のドアが閉まって臨也が見えなくなる。新羅は一本取られた、というように笑うとリビングに戻って後片付けをした。新羅が屑籠に目をやる。
赤い脱脂綿が嘲笑ったような気がした。








end

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