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□狂喜の沙汰
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※ヤンデレ注意





かしゃり。乾いた音を立てて携帯のメモリに愛しい男の顔を刻む。臨也はメロディーが流れるタイプの撮影音を好まなかった。恍惚とした顔を浮かべた臨也は画面の中の静雄に口付けた。他人が見れば美しい、と表現の出来るような笑みだった。手馴れたように携帯を操作して、小声であ、と漏らした。顔を顰めてため息をつく。


「あーあ、また容量オーバーだ」


困ったように、一番古い写真を選び出すと名残惜しそうに口付けて削除した。また新しい携帯買おうかな、などと考えながら池袋の町を緩やかに歩いた。口元では笑みを浮かべていたが内心穏やかではなかった。
すう、と眼光を鋭くして静雄の上司――――田中トムを睨みつけた。臨也は静雄が上司相手に顔を緩ませることが気に食わなかった。自分には一度も見せたことの無い表情をいとも簡単に引き出すその男が憎らしくて仕方が無いのだ。苛立ち混じりに自分の肌に深く爪を食い込ませた。こんなにも近くにいるのに何故静雄は自分に気が付かない?苛立ちは増すばかりだった。自分がトムを殺せば静雄はきっと見せたことが無いほどの深い憎しみを露にするだろう。そのとき静雄が浮かべるだろう表情を予想して、臨也は艶っぽい吐息を漏らしたのだった。
――――今はまだいい。今は――――。
臨也は意味深に口元を歪めて、その場を後にした。池袋の駅の改札に定期を押し当てる。口元は依然笑みを模ったままだった。足を弾ませて電車に詰め込まれた人間の集団の中に身を躍らせる。楽しげなステップ、表情と裏腹に、追ってこない静雄に数ミリの悲しみを覚えながら。



深夜、臨也は池袋の町を一人歩いていた。唇を潤すように舌で舐めて、足取りを軽くした。もうすぐで愛しの男に会える。そう考えるだけで臨也の気持ちは天にも舞い上がるようだった。足の先は静雄のアパートの方へと向いている。いつものように静雄の寝顔を見つめて、彼に必要の無いものを廃棄しに行くのだ。臨也はぞくり、とその身を震わせて、静雄へと思いを馳せた。
軋んだ音を立てて古びたドアを開けた。鍵など臨也にかかればどうとでもなる。そんな事はどうでも良かった。電気はついていない。静雄はとうに寝静まったようだ。寝ているときの静雄は自分だけのものに出来る。臨也は正常な者には出せない空気を身に纏いながら、静雄の部屋へと立ち入った。息を潜めて一歩一歩踏みしめて静雄のもとへと近寄る。布団の中には予想通り静雄がいた。口元を綻ばせて静雄の寝顔を見つめる。異常者に似つかわしくない笑みだった。
数分して、臨也はゆらりと立ち上がると彼が日ごろ常に身に纏っているバーテンの制服の方へと向かった。乱雑にハンガーにかけられているそれを手にとって、皺を伸ばして出来るだけ綺麗に再びハンガーにかけ直した。彼の忌々しい弟に貰ったものなど引き裂いてやりたかったが、貰って嬉しそうにしている静雄を思えば出来なかった。だからせめてもの仕返しとして臨也は毎日欠かさず綺麗にハンガーにかけた。
臨也が静雄の家へと訪れてから三十分ほど経った。出来るものなら一晩中静雄の寝顔を見つめていたかったが、そういう訳にもいかないので断腸の思いで静雄の家を後にする事にした。臨也は静雄の家を出るとき決まって虚しいという気持ちに襲われた。
臨也は自分が世間一般で言うストーカーだと自覚していた。それでも構わなかった。そうでもしないと穏やかな顔の静雄なんて目にする事は出来ない。静雄と自分が優しく共存できる瞬間がほしかったのだ。例えそれが静雄にとって望まぬものだったとしても。朝が来れば静雄はたくさんの仲間に囲まれて自分は一人になる。そのこと自体は構わなかった。静雄が喜ぶのは自分にとっても喜ばしいことだからだ。ただ、日に日に静雄の中から自分の存在が薄れていくことが怖かった。静雄に近づくものは忌々しかったが、それが静雄の喜びなら仕方が無いのだ。ただ自分がそれを割り切れる程優しくなれなかったというだけの話だった。
例えば今静雄に恋人が出来たとして、臨也は祝福する事が出来るのだろうか。否、きっと酷い嫉妬に襲われることだろう。けれど自分が静雄と付き合いたいわけではなかった。静雄を幸せに出来ない自分などがどうして静雄と結ばれるだろう。子供も産めない、他人にも祝われない、何より笑顔も引き出せない。誰よりも忌々しいのは自分だった。今は静雄に近づく者へと憎しみを向けてしまう。今はそれでいいのだ。いつか自分が静雄を心から祝福できる時を夢見て、今はただ。






ぱたん。軽い音を立てて臨也が静雄の家から立ち去った。瞬間、静雄は布団から跳ね起きると戸棚のもとへと駆け寄った。その上においてあった小型のビデオカメラを手にして布団にそれを置いた。本棚の影、トイレのドアの隙間、テレビやカーテンの後ろ、十箇所以上にも及ぶ場所に取り付けたビデオカメラを取り外して、一つ一つ再生する。今日は本棚の影にあったカメラが一番綺麗に映し出せていた。物憂げな表情の臨也を見ると、下半身に血流の流れる感覚がした。
静雄は常から臨也が自分のもとへと訪れていることを知っていた。今日の昼間、池袋に来て自分の写真を撮っていた事も。無機質な自分に口付ける臨也は、静雄にとって酷く官能的だった。わざと気づいていない振りをしてやれば、麗しい憂い顔を見せた。昼間も夜中もだ。画面に映る憂い顔の臨也は普段どおり綺麗だったが、静雄は不満だった。こんな画面では臨也の美しさを表せない。ぴしり、とカメラが割れた。薄給を貯めて買ったというのに、今月これで何個めか。


「チッ」


静雄は暗い部屋に響き渡るような舌打ちをつくと、ひびが入って映らなくなったカメラを投げ捨てた。
静雄はこの夜中のひと時を愛していた。普段見せない憂い顔を見せる臨也は酷く官能的だった。汚してしまいたくなる。決して自分以外のものに目を向けない臨也に、静雄は愛情というより、もっと歪んでいて汚れているドロドロと絡みつくような感情を向けていた。それこそ高校生のとき初めて出会ったその時から。
静雄は、静雄の部屋に立ち入った時の臨也とよく似た空気を身に纏っていた。静雄は自分の息が荒立つのを自覚しながら、臨也の事を思い浮かべた。静雄のことが好きで好きでたまらない臨也。誰の愛も知らない臨也。誰にも汚されていない臨也――――。静雄は狂気めいた笑みを浮かべて、ティッシュの箱を引き寄せた。今はまだいい、今はまだ。今は動くときではないのだ。瞼の裏で泣き喚く臨也を想像しながら、静雄は箱の中から一枚ティッシュを手に取った。

傍らで壊れたカメラが寂しく鳴いた。












end

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