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□壁を作ったのは
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「シズちゃん、愛してるよ!」


「死ね!」


俺の横を赤い物体が通り過ぎる。振り向きざまに後方へと目をやると破裂したポストが転がっていた。その周りには宛先が書かれた葉書や封筒が散らばっていて、赤と白のコントラストが映える。あの手紙の中にはもしかしたら誰かの思いの綴られた恋文も混じっているのかもしれない。可哀想な誰か。ついでに死ね、で返された俺の告白も可哀想。まあ、それこそ何百回も言われていたら信じられるわけも無いだろうけれど。

よく見たらもう後ろにシズちゃんはいなかった。今日は上手く撒けたようだった。このまま人間観察を続ける気にもなれないので、早く新宿に帰って仕事を全部終わらたい。波江はもう帰ったのかもしれない。一人でこなす事になる書類の量を思い浮かべると自然に溜め息が零れた。

池袋の駅に着いたらシズちゃんがいた。え、何シズちゃん瞬間移動でもできるわけ。というかあれだけ熱烈な告白をされてまだ、俺の事を追いかけるつもりなんだろうか。自分で言うのもなんだけれど、相当に気持ち悪かったはずだ。本当に酷い、俺はこんなにもシズちゃんの事を愛しているというのに。相手としては天敵から告白されても気持ち悪いだけなのだろうけれど。
シズちゃんが俺の方へ近寄ってきた。足取りは緩やかで、怒声もあげていない。案外穏やかそうな様子に拍子抜けした。油断した俺に向かって伸ばされた肌色の塊。しまった、殴られる。いつまで経っても衝撃は訪れない。固く閉じていた目を恐る恐る開くと、視界一杯に広がるシズちゃんの顔。ふいに頬に生暖かい感触を感じた。伸ばされているのはシズちゃんの腕のようだった。もしかしてシズちゃんは暴力を振るうわけでもなく俺の頬に触れているのかな、
という妄想をするほど俺は落ちぶれてはいない。俺の頭の中では既にスプラッタな光景が満面に繰り広げられている。シズちゃんが口を開いた。


「大丈夫か?」


はぁ?と思わず自分でも苛つく間抜けなトーンが口から漏れそうになった。そんな俺を気にする事も無く、シズちゃん(?)が再度口を開く。


「ごめんな、痛かっただろ」


いや、痛いのは今の君の行動だから、と柄にも無く常識人になりかけるくらいには今のシズちゃん(?)は気持ち悪かった。君は一体誰ですか、と問いたい。目の前のシズちゃんが俺の背中に腕を回した。もう一方の頬に触れていた手も外される。生暖かい感触が無くなって、外気に思わず身震いした。ふいに景色が揺れる。数秒後には安定したけれど、目の前にシズちゃん(?)の顔があるのはいいとして、何で俺の脚は両方とも地面に着いていないのだろうか。


「えっ、え、えっ……え?」


間抜けな声しか出ない俺に、普段のシズちゃんだったら絶対ざまあみろ、と笑うはずだ、どうして目の前のシズちゃん(?)はそんな優しそうな目で笑ってるのだろうか。というより、何で俺は、お姫様抱っこされてるのだろう。思考だけが空回りする横で、物凄い轟音がした。緩くそちらに目を向けると、何故か横たわった自販機が置いてある。その横には、


「…シズ、ちゃん…?」


間抜けな顔のシズちゃん。シズちゃんが使えたのは瞬間移動じゃなくて分身の術のようだった。納得しかけた俺をよそに再度景色が揺れる。シズちゃん(仮)が俺を抱えたままシズちゃんの方へ近づいていく。て俺はこの場合どっちのシズちゃんに(仮)を付けるべきなのだろうか。とりあえず今は最もシズちゃんらしくない方のシズちゃんに(仮)をつけておこう、と密かに思った。


「よお」


シズちゃん(仮)が固まったままのシズちゃんに話しかける。やっぱりこっちのシズちゃんは俺のよく知るシズちゃんだった。見間違うわけが無い。ずっと見てきたんだから、って若干ストーカーじみてるような気がしなくも無かった。


「誰だ手前は…!」


シズちゃんがいつもの調子を取り戻してきた。この場合シズちゃんの怒りは俺とシズちゃん(仮)のどちらに向けられているんだろう。俺はといえばシズちゃん二人に挟まれて声も出せない状況だ。口元が緩まないよう保つために必死だったのだ。好きな人の顔に挟まれてにやけない方が不思議だと思う。


「俺はお前だ、平和島静雄」


シズちゃん(仮)が口を開く。シズちゃんよりは些か理知的な口調だった。さしずめ沸点の高いシズちゃんといったところだ。というよりは俺以外の人に接する時のシズちゃんに近かった。正しくはシズちゃんを苛立たせない人に、だけれども。関係ないのならもう帰りたかった。


「俺帰ってもいいかなぁ」


思うと同時に口に出た。こんなに近くで落ち着いて(?)シズちゃんを見られるのは嬉しいけれど、シズちゃん(仮)の方はどうにも気味が悪い。ふいに腕に痛みが走った。何かの巻きついた痛みは尋常じゃない力で握られる痛みだと、この身体はよく知っていた。


「悪いな。こんな場所で立ち話するのもなんだから、とりあえず家に来いよ」


微妙に返事になっていない言葉を返すあたり、理知的とはいえ元はシズちゃんなのだと理解した。シズちゃんだったら決して言わないだろう言葉は、やはりシズちゃんにとっても不満だったらしい。勝手に言うな、とシズちゃんが言えば、あそこは俺の家でもある、とシズちゃん(仮)が返した。まったく訳が分からない状況に心中で溜め息をついた。

取り敢えずは話が纏まったらしく、シズちゃん二人+俺がシズちゃんの家へと歩き出した。抱えられたままの俺は歩いてないけれども。
シズちゃんは一体どうしてこの格好に対して一度も触れてくれないんだろうか。周りから見たらどのように映っているか想像するだけで頭が痛くなる。頭の痛みの要因の一つに、俺はシズちゃん(仮)に対して警戒を緩めることが出来ない、というものがあった。一見好青年のこの男。だがどうしても警戒心が解けないのは、俺の腕に尋常じゃない痛みを走らせたのが、他でもないシズちゃん(仮)だったからなのだろう。



シズちゃん宅に到着。所在地だけは知っていたけど、実際に立ち入った事は無かった。予想通りそこは煙草くさくて、ところどころ壁が黄色になっている。シズちゃん(仮)が俺を降ろした。安物のパイプベッドの上に着地する。これからの事を思うと自然と溜め息が出た。


「ねえ、これから何をしようって言うのさ」


呆れ気味に問えば、シズちゃんは不快そうに顔を歪めて、シズちゃん(仮)は優しく微笑んだ。やっぱりこの顔はいただけない、とそっぽを向いた。どっちの顔がって、どっちもに決まってる。


「ヤニ買ってくる」


シズちゃんが立ち上がった。どうやらシズちゃんの苛々はニコチン不足のせいでもあったらしい。というか苛立って煙草を大量に吸った結果無くなったのかもしれない。
シズちゃんが立ち去ったドアが閉まる。ドアが外れなくて良かった。さて、家主の不在のこの家ではシズちゃん(仮)と俺が二人きり。何を話していいかも分からない。言葉は俺の武器だというのに、だ。


「ねえ、君は誰なんだい?」


純粋な疑問をぶつけてみた。やっぱりシズちゃん(仮)は笑ったままだった。


「俺は、平和島静雄の感情の一つだ」


訳の分からないSFになりつつある。おまけに出来が悪いようだ。常識的に考えれば頭のおかしいシズちゃんオタクか、SFオタクかのどちらかだろうが、俺にはどうしてもそうは思えなかった。シズちゃん(仮)がパイプベッドに乗り上げた。安っぽい一人用のベッドにはもう既に俺が腰掛けている。容量オーバーにも程がある、と床に降りようとした矢先、またもや腕に痛みが走った。腕を凄い力で掴まれる。その勢いのまま俺はシズちゃん(仮)と共にパイプベッドに転がった。
何のつもり、と睨みつければシズちゃん(仮)が歪んだ笑みを浮かべた。今までの優しい笑い方とはまるで違う冷淡かつ狂った笑い方だった。ぞわりと背筋を寒気が駆け抜ける。手の感覚がなくなるほど握り締められた腕は、横目で見やると赤紫に染まっていた。


「お前は知らないんだろうなぁ…。俺が普段どんな目でお前を見てるかなんてよぉ」


妙にシズちゃんに近くなった口調が俺の寒気を悪化させる。伸し掛かるシズちゃん(仮)をどかそうとしても、当然腕は動かない。ふいに腕が持ち上げられて、片方の手で両腕が握られた。どこから取り出したのか、真っ赤な紐で一纏めにされた腕を縛られた。目の前の男の意図がまったく持って読み取れない。これでも人の心理を読み解くのは特技の筈だった。ひやりとしたシーツの冷たさが今はただ不安を増長させた。


「…っ! え…」


黒いインナーが捲くられた。本格的に危うい状況に冷や汗を流しつつ、頭の回転は止めない。コートの袖口に入れたナイフを取り出そうとしたが、いつまで経ってもその慣れた感触に触れられない。当然だ。コートなら部屋の隅に放られている。
露になった胸に噛み付かれた。意図せず喉が震えて、引き攣った声が出る。本物のシズちゃん相手だったら有り得ないような行動に、内心失望した。俺はこんな事をするシズちゃんを好きになったわけではない。


「やめて、ッ…くれない…」


出来るだけ冷めた雰囲気を装って睨みつけた。笑ったままのシズちゃん(仮)がただただ憎らしい。俺が好きになったシズちゃんを、こんな事で汚すのはどうにも許せなかった。ちらり、と俺の胸に顔をうずめたままの男が俺を見上げた。


「でも、いいんだろ? 思ったより敏感なんだな」


そう言って、赤くなった乳頭を見せ付けるように舐めたシズちゃん(仮)に、目の前が真っ赤になった。沸き立つような怒りと絶望に襲われて、ぐらりと視界が揺れる感覚と共に、耳に乾いた金属音が鳴った。気をそらすように金属音の方へ顔を向けると、閉まっていた筈の玄関の扉が、何故か開いていた。


「…何してんだよ、お前ら」


開いた扉から差し込む光が、金色の髪に反射して眩しい。その髪の持ち主がシズちゃん(仮)では無い事は、現在進行形で胸に触れる舌が証明していた。シズちゃんにとって自分の顔の男が天敵を犯そうとしている光景は、まさに最悪なものだろう。若干の同情を覚えつつも、屈辱に唇を緩く噛んだ。そういう事かよ、とシズちゃんが言う。何が、と聞き返したかったが、少なくとも穏やかな雰囲気ではなかった。シズちゃんがパイプベッドに近づいてくる。もしかしたら殺されるのかもしれないとすら思った。肌色の塊が迫る。肌色の塊―――シズちゃんの手が俺の髪を掴んだ。そのまま勢いよく頭だけ持ち上げられて、悲鳴も出ない。きっと髪は数本抜けているだろう。


「好き好き言ってたのはそういう事やりたかったからかよ?」


思考が止まった。意味の分からない言葉を発するシズちゃんは、目がギラついている。


「誰とでもヤるってのは本当なんだな。俺の顔してりゃいいんだろ? お前はよ」


縛られたままの指先が震える。シズちゃんはやはり、人間の言語を話せないのかもしれなかった。鉄錆びの味が口内に広がる。噛み締めていた唇から血が漏れたらしい。この乾燥するばかりの時期にも唇は綺麗に保っていたというのに。

俺にはいつも噂が流れていた。自分が目立っている事は分かっているから、さして驚いたわけでもなかった。流したければ流せばいい、自分に支障が無ければそれでいい。まさかシズちゃんが信じるとは思っていなかったけれど。自分の優秀な頭脳がこのときばかりは憎らしい。こんな答えを弾き出して欲しいわけではなかった。


「意味が分からないよ、…シズちゃん」


俺がかろうじて出した言葉に、シズちゃんは、俺の頭を勢いよく落とすという反応を返した。脳が揺さぶられる感覚が、酷い吐き気を呼んだ。捲くられたままのインナーに手をかけられる。反射的にその手を押さえようとしたが、当然ながら手首から伸びる紐が軋むだけだった。悲鳴のような音をあげて黒いインナーが引き裂かれる。ざあ、と血の気が引く音が耳の奥で響く。頭の痛みが最高に酷くて、いっそ意識を飛ばしてしまいたかった。






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