---------

□5
1ページ/1ページ

すん、と嗅ぎ慣れない空気を肺一杯に吸い込んだ。真っ白のコートを身に纏った臨也は、異国の地ニューヨークにいた。見上げた空はこれまた白く、いっそ溶け込んでしまえるほどには雪が積もっている。新しいこの場所で、臨也はまた人間を愛する。それが自分の使命だとすら思っていた。ああ、でも一つ失敗した。正直心の底ではそう思っていた。真っ白い雪に映える、大量の金色。小さく溜め息をついて目をそらしたのだった。

静雄の元から姿を消して、三日。臨也は日本に持っていた全ての事務所を解約して、波江に退職金を押し付けて逃げ出してきた。誰にも今の状況は知らせていない。今まで請け負ってきた契約も全てすっぽかしてしまった。もしかしたら、消されるかもしれないな、と苦笑した。実際のところ、消されても何らおかしくない行動だった。臨也自身もその事をよく分かっている。いつ死ぬかも分からない、これからはそんな人生を送るのだろう。たとえ、今、殺されたとしても臨也は何も悲しくはなかった。

それほど遠くもない昔は、死ぬ事がただ怖かった。けれど今の臨也は、静雄が消えた以上、最早恐怖など存在しなかった。いっそさっさと殺してくれればいい。そうすればきっと彼も喜ぶ事だろう。臨也は白いコートを翻して皮肉げに笑った。

臨也は日本から消えた日、黒いコートを捨てた。臨也はどうしても、折原臨也という存在を消したかったのだ。ぶるり、と冷えた空気に身震いして、臨也は暖かい室内に戻った。

室内に入れば、暇でしかない。まだ秘書も雇っていないため、一人でいるには広すぎる部屋は、どうにも不快感を与えた。臨也は暇が嫌いだった。やる事が無ければ、知らず知らずのうちに浮かんでしまう、男の姿が常に臨也を悩ませた。一体今はどうしているのだろう。仲間は増えたのだろうか。幸せで、いるのだろうか。暇さえあれば浮かぶ男と離れて、一ヶ月が過ぎていた。一ヶ月の間、一日たりとも静雄の事を考えない日は無かった。けれど不思議と、会いたい、とは思わなかった。会ったところで一体何になるのだろう。お互いにメリットは無いというのに。ふいに何かが冷えた。冷えたのは自身の感情だと理解しながらも、身震いせずにはいられなかった。もう一生会う事のないだろう男の事を、離れてから臨也は一度も調べた事は無かった。今何をしているのだろう、と思えば、情報屋の臨也に調べられないはずは無かった。ただ知りたくないだけだった。臨也は、もう静雄の事に関して、一切の惰性も許す気は無かった。

テレビの電源ボタンを押して、流れるままに見ていた。眠気に誘われるまま、革張りのソファに身を委ねる。テレビの内容はハリウッド映画のようだった。流れる三原色構成の光の中、臨也はふいに知った顔を見つけた。その顔を見た瞬間、衝動的に腕が動いてテレビの電源ボタンを押した。真っ暗になった画面の中では、目を見開いた臨也の顔が映る。徐々に落ち着きを取り戻した臨也は、自嘲の笑みを浮かべて呟いた。


「こんな所でも人気なんだね。……羽島幽平」






日本の池袋。臨也が静雄の元から去って一ヶ月が過ぎた。ドレッドヘアーの男――――田中トムは妙な様子の後輩に溜め息をついていた。

一ヶ月前、妙に上機嫌になっていたと思ったら、徐々に機嫌が悪くなりだした。実際に今月の器物の弁償代は、いつもの月の二倍を超えた。妙に苛ついた様子を見せていた静雄は、最近では更に輪をかけて変わりだした。呼びかけても返事が無かったり、仕事に度々遅れるようになった。心此処に在らず、といった状態でさすがにトムも心配になりだした頃だった。

――――やはりこれを使うしかないか。

トムは数日前商店街の福引で二等を当てた。本当は一等の大型テレビが欲しかったが、二等でも何ら問題のない豪華な商品だった。


「静雄、静雄!」


「! はい、何すか!」


二度目の呼びかけでようやく反応した静雄に、トムが笑いかけた。


「お前最近なんか疲れてんだろ? これでもやるから元気出せよ、な?」


トムは静雄の肩を叩くと、そのまま去っていってしまった。悪いから、と返す事も出来ずに、上司に心配させていた事実に打ちのめされた。元気が無いつもりなどなかった。はあ、と溜め息をついてトムに半ば強引に押し付けられたものを見た。それはどうやら何かの紙のようだった。静雄はそれに目を通した後、はあ、と溜め息をついた。貰った以上誰かにやる事も出来ないし、どうするんだ、と。静雄はもう一度溜め息混じりに手の中の紙を見た。そこに記されていたのは、




―――――二泊三日旅行券。行き先、ニューヨーク。







end

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ