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□箱庭
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静雄は今日も此処に居た。
静雄の着替えと臨也の着替えが置ききれなくなって衣装ケースを何個か買った。家の中を見られるわけにはいかないので、基本全て臨也が直接持ち帰る。かなり大変ではあったがその事にすら幸せを感じた。今日はもう食事も歯磨きも済ませていたが、静雄はまだ眠っていなかった。煙草を吸うためにベランダに出ている。窓を開け放しているので少し寒い。臨也は開いていない方の窓に寄りかかっていた。窓の外に向かって鎖が伸びている。目で辿っていくとその先は当然静雄に繋がれていた。

「…星が綺麗だな」

珍しく静雄から話しかけてきた。静雄は近頃日常話を臨也に持ちかけるようになった。退屈だが臨也しか話す相手がいないからだろう。それでも少しずつ心を許されているようで嬉しかった。実際はもう監禁してしまった時点で遥か遠くに離れてしまったのだろうが。

「そうだね、今日はすごく綺麗なんじゃないかな」

星が零れ落ちそうだ。都会には随分珍しい。星と静雄の図は意外にも絵になる。臨也はそんな事を考えて見ていたのだが、静雄は気付いていないようだった。煙草はあまり好きではなかったが、静雄の煙草の香りに落ち着くようになった。それでもあまり近くで香ると噎せ返ってしまう。窓を挟んだこの距離が丁度よかった。足先が風に当たって酷く冷えるので靴下を取りに行こうと立ち上がった。

「どこ行くんだよ」

今までリビングの柵に寄りかかって夜空を見上げていた静雄が臨也をはっきり見ていた。少しと言わず、かなり動揺したが、臨也は微塵もその様子を見せなかった。

「寒いから靴下履こうと思って」

いつも通りの笑顔でそう言うと、静雄は煙草を灰皿で潰して部屋の中に入ってきた。少し驚きながら窓を閉める静雄を見る。気遣われたように思えたのだ。いきなり腕を掴まれた。本当だ、冷てえな。そう吐き出す唇に口付けたくて仕方がなかった。実際にはそんな勇気は存在しない。

「冷たいでしょ?」

臨也は苦笑しながら静雄の手を緩く解いた。静雄の顔を見られずにエアコンのリモコンの方へ向かう。暖房のスイッチをつけた。静雄はベッドの上に座っていた。こっちに来いと目が語っている。臨也は寝る時間が遅い割に早寝早起きの静雄よりも早く起きている。しかし臨也が寝過ごして静雄の方が早く起きたときがあった。もう十一月も半ばに入るというのに床に毛布一枚で寝る臨也に驚愕したらしい。それから静雄と臨也は同じベッドで寝るようになった。幸いダブルベッドだったので二人が寝られるスペースはあったが、臨也は毎日死ぬ思いだった。
ベッドに腰掛けた。足先に静雄を繋ぐ鎖がある。

「ねえ、ヒントをあげようか」

そう言うと静雄は怪訝そうに臨也を見た。意味の伝わらない言い方は相変わらずだ。とても笑えるような気分じゃなかったが、臨也はいつも通りの笑みを口元に貼り付けた。静雄はこの笑い方が嫌いだと言う。

「鍵の場所を俺に聞くのはルール違反じゃないよ」

何でもないように告げると静雄の眉間に皺が寄った。臨也は鍵の場所を聞かれても嘘をつく気は無い。静雄が鍵の場所を聞くかどうかは五割ずつほどだと思っていた。静雄の目からは何も読み取れない。不意に静雄が臨也の腕を掴んだ。驚いて反射的に腕を引こうとしたが、それはできなかった。
口づけをされたのだ。臨也からではない、静雄からだ。噛み付くような口付けだった。臨也としては嬉しいことだが、意味が分からないので喜べなかった。

「…何とか言えよ」

呆けた臨也に静雄が言う。臨也は静雄に好きと伝えていない。しかし臨也の想いはとうに静雄に露呈していた。臨也もそれを知っている。それでも、気付かないふりをして何事も無かったようにしてくれるのだと思っていた。

「…苦い」

静雄は臨也のことを好きではない。少なくとも臨也はそう思っている。肩を押されて、身体がベッドにぶつかった。笑って静雄の腕から抜け出そうと思ったが、熱の篭った視線を向けられて素の表情が出てしまう。パーカーに手をかけられて、臨也は終わりが見えた気がした。



土鍋を買った。もう寒さも勢いを増して冬だなあ、としみじみ感じる頃である。静雄も鍋は好きらしい。野菜を切っている臨也の隣に静雄は立っていた。臨也は随分料理が上手になった。簡単なパスタですら満足に作れなかった頃に比べれば天と地の差だ。白菜を刻む手はもう大分こなれている。もう少しで完成しそうだ。

「シズちゃんお皿用意してー」

そう言うと静雄は何も答えずに食器を取りに向かった。食卓テーブルの真ん中には既に鍋敷きが置いてある。臨也は刻んだ白菜を鍋に入れた。その間に冷蔵庫からポン酢を取り出す。静雄が皿を用意し終わった頃を見計らって、臨也は鍋つかみを手にはめて鍋をつかんだ。鍋敷きの上に鍋を置く。蓋を開けるとむわあと熱気が立ち上がった。紅葉おろしを自分の取り皿に入れて、上からポン酢をかける。

「いただきます」

静雄の声に少し遅れて臨也もいただきます、と言った。静雄は手錠が軋んで食べにくそうだが、もう慣れたのだと言う。静雄は鶏肉を真っ先に自分の取り皿に入れていた。

「うめえ」

静雄は臨也の料理をはっきり美味しいと言うようになった。臨也は妙に照れくさく思いながら豆腐を口に運んだ。
臨也が食べ終わった後も、静雄は箸を勧めている。食べるのが遅いというわけではなく、臨也が少食なだけだ。もっと食べろと言われてもとうに腹は膨れているのである。臨也は自分の使った食器を洗い場まで運んで、直接バスルームに向かった。脱衣所で服を脱ぐ。胸元に冷たい金属の感触は触れたままだ。湯の中に沈むと、痺れた様に身体の末端から温まる。廊下から足音がした。静雄も食べ終わったらしい。
食器を洗うべく風呂から上がった。臨也と入れ違いで静雄が脱衣所に入ってきた。臨也はパーカーを上から被って着ると、洗い場に向かった。手ごと泡だって食器の汚れが取れていく。臨也はこの瞬間が好きだった。付箋だらけのレシピ本がシンクの上に乗ったままだった。食器を洗い終わって泡を濯いだ手でレシピ本を本棚に入れる。本棚はそれで完全に埋まってしまった。次の本棚を買わなくてはいけない。

「上がったんだ」

「おう」

静雄は烏の行水と言えるくらいに風呂の時間が短い。臨也はベッドに腰掛けた静雄の隣に座った。足枷の鎖が足先に当たって冷たい。静雄は今日はベランダには出ないようだ。寝る前に煙草を吸う日は周期的に訪れるのだと、臨也は静雄と一緒にいるようになって初めて知った。知った事はどんどん増えて、今ではもう許容量を超えている。日記でもつけておけばよかったと今更ながらに思った。監禁日記というタイトルは少し趣味が悪いかな、と考える。
考え事をしていたせいで黙ったままでいると腕を掴まれた。静雄の方を見ると、顔が触れる寸前だった。目を閉じると、唇同士が触れる。今日は苦くなかった。そんな事を思っていると舌が中に入りこんだ。まさに噛み付くような口付けだ。歯列を割って口付けは深くなっていく。苦しいと感じ始めた頃に唇が離れた。

「くるしかった」

「嫌だったか?」

素直に感想を告げると意地の悪い返しをされた。

「嫌じゃないけど」

静雄が笑った。それがまた純粋な笑みだったので、胸がなんだか熱くなる。悟られないように横を向くと鎖が目に入った。それを咎めるように静雄は臨也を押し倒した。パーカーを捲り上げられて、素肌に冷えた空気が触れる。

「今日も行かないの?」

「ああ」

いつも通りのやりとりだ。静雄を見つけた日から常に肌身離さず服の下で首に提げていた鍵を静雄はもう何度も見ている。それでもゲームは終わらない。再び静雄の顔が迫ってきて臨也は目を閉じた。少し眠気が近づいてきたが、ここで寝てしまうのは勿体無い。少し皮膚をつねって覚醒しようとしたら、口付けをされた。
もう十一月も終わろうとしている。少し町の様子を調べてみたが通報された気配はまだない。静雄はまだ誰にも発見はされていないようだ。クリスマスまであと一月ほどになる。それまで静雄はこの箱庭の中に居てくれるだろうか。




end

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