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「…………シズちゃん?」





「臨也、」





呆然としたように吐き出した言葉に、返事が返ってきた。一瞬お互いに独り言を言ったのだろう、と臨也は思っていた。あまりに慣れすぎていたから。返事の無い生活を、当たり前なのだと思うようにしていたから。
目を開けた瞬間の光景が今も目に焼きついている。まあ、数秒前のことなのだけれど、はっきりと静雄が自分の事を見ていたような気がして。そして、今も見られているような気がして。身体全体が冷たく感じた。ただ、手だけが酷く暖かかった。無意識に視線を移す。きっと、ずっと昔から、触れたいと思っていた手が、臨也の手を握っていた。

「嘘だ」

口に出すつもりは無かったけど勝手に言葉が零れた。もっと何か言いたいことがあったはずだった。それでも未だに信じられずにいる自分ばかりが言葉を発そうとする。もしかして今見ているこの光景もただの夢なのだろうか。それともこれが地獄なのだろうか。

「嘘じゃねえ」

死ね、と臨也を罵る声が、低く小さい返事を返す。縋るように視線を上げると、目が合った。静雄もまた、縋るような目で臨也を見ていた。初めて見るような表情だった。いや、きっと前にも見た。それは死体だった頃の臨也を見ていたときの表情によく似ていた。臨也はその視線を感じたせいか、苦しいほどの胸の締め付けを感じていた。

昇華しようとしていた、諦めようとしていた、あの感情が再び焦げ付くように燻りだす。

静雄が握っていた手を勢いよく引っ張った。臨也にとっては覚えのある感覚だった。臨也は、あの時のように、逆らうことなく身を委ねた。昔より軽くなったように感じる自分の身体が、自分よりずっと逞しい静雄の身体にぶつかる。すり抜けない。すり抜けなかった。

「何だよ、ちゃんと掴めんじゃねえか…」

もご、と肩の辺りで何かが動く。おそらく静雄の口元が当たっていたのだろう。静雄の腕は臨也を壊すでもなく、ただただ臨也を抱き締め続ける。その腕はひどく暖かかった。ずっと欲しいと思っていた。あの時だって、静雄に手を握られている、死体の自分が羨ましくて仕方がなかった。
臨也は、静雄の肩越しに自分の手を見た。そして、おそるおそる静雄の背中に腕を回す。少しだけ驚いたように跳ねる背中の感覚も、体温も、肌触りも、全て感じている。静雄に、触れている。触れられている。

「…嘘だ」

「嘘じゃねえ」

「……うん」

返事がちゃんと返ってくる。臨也は、きっと情けない表情をしているだろう顔を、静雄の肩口に埋めた。詰まっていた息を一つだけ大きく吐き出すと、静雄の金髪が揺れた。いつまでもこうしていたい。陳腐な言葉だけれど、本当にそう思っていた。それ以外には何も考えられなかった。

「臨也」

ぐい、と身体を引き離される。それが惜しくてたまらなかった。静雄が臨也の頬に手を伸ばした。少しだけ白い頬を擦って離れたその手は、何と、濡れている。臨也はそれを見てそっと自分の頬に触れた。生暖かいものが触れる。なるほど、これは確かに涙だ。
でも、恥ずかしくはなかった。静雄の頬にも同じものが伝っていたから。臨也は微かに口元に笑みを結んだ。きっと情けない顔だ。あまりにも人間らしくて、緩みきった顔。だって目の前の静雄がそんな顔をしているのだから、きっと自分だって同じ顔をしているのだろうと思った。

昇華しようとしていた、諦めようとしていた、あの感情が再び焦げ付くように燻りだす。臨也はそれを否定することはしなかった。否定したくなかった。

「好きだよ」

どんな返事が返ってくるだろう。臨也は再び頬に触れた手の感触を感じながら考えた。臨也の涙がしとどに静雄の手を濡らしていく。それでも、静雄は臨也の頬から手を離そうとはしなかった。これは硬直してしまっているのだろうか。それとも、期待してしまってもいいのだろうか。


良い答えであってほしい。


返事が返ってきてほしい。


臨也は、ふ、と普段通りでもなく自嘲しているわけでもない笑みを浮かべた。あの幽霊のときではきっと願えなかったことを、臨也は今願っている。臨也は静雄の答えを今か今かと待ち構えながら涙に濡れる目を瞑った。








end

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