―――――――

□4
1ページ/1ページ


静雄の体調が酷く悪い、ように見える。臨也は一週間に一度静雄が会いにくるほかに、何度か自分からも静雄に会いに来ていた。もう、静雄に干渉できなくなってから半年ほどが経つだろうか。自分があの状態になってから、静雄がよく眠れていないのは臨也も知っている。いくらどんなに憎いとは言っても、実際にあんなことになるとどうしてもい気にせずにはいられないのだろう。少なくとも臨也から見た静雄はそういう男だった。

『臨也』

臨也は目の前に立つ女に視線を送った。生身の頃は何か文字を打たないと話せないのかと思っていたが、この状態になってから彼女が話せることを知った。首の無い女が話しているというのも実にシュールな状況だ。しかし、下手したら今は自分のほうが異質な存在なのかもしれない。彼女の声は臨也以外には聞こえていないようだった。それこそ臨也の声と同じように。

『最近静雄の体調が悪いのはお前も知っているだろう』

『まあね』

気の無い答えを返すと、セルティが若干苛立ったのを感じた。この状態になってから彼女の感情を感じ取りやすくなった。だからなんだという話だが。

『お前がわざとそうしてるのかどうかは分からないが』

セルティがそこで一旦言葉を切った。もしかしたら言うのを躊躇っているのかもしれない。彼女も静雄と同じように心が優しい。それこそ、臨也が苛立つほどに。

『多分お前のせいなんじゃないか、と私は思う』

予想していた答えだった。セルティは臨也の視線から逃げるように目を逸らして、静雄の方を向いた。静雄は眠っている。臨也は、静雄が倒れたと聞いて、新羅の家まで来たところだった。

『彷徨う人間の魂は、他の生きた人間の生気を奪っていくんだ。それが無意識のときもあれば、無意識じゃない時もある』

魂を刈っていくのが役目の彼女だからこそ知っているのだろう。臨也は嘲るように笑った。セルティの首から出る影が若干揺らいだ。

『で、君は結局何を言いたいの?』

嘲笑と共にそう言ってやると、再びセルティは黙り込んだ。きっと罪悪感にでも囚われているのだろう。最初からこうなることが予測できていたのに、言わなかったから。それこそ臨也の推測でしかないのだけれど。セルティが、少しばかり悲しい表情をした、ような気がする。

『お前、静雄を連れて行く気か?』

言った瞬間にセルティが臨也から視線を逸らした。セルティの負の感情、悲しみが、ダイレクトに臨也に伝わってくる。おそらく言いたくなかったのだろう。今回ばかりは多分、臨也が悪いのではないだろうとでも感じているからかもしれない。何と答えよう。普段の自分ならどうしただろうと考えていると、いきなり部屋のドアが開いた。

「セルティ! 帰ってたんだね!」

ドアの向こうから飛び出して抱きついてこようとした新羅を押し退けて、セルティは部屋から出ていった。新羅のことを軽くあしらう気にすらなれなかったようだ。部屋に取り残された新羅と臨也は特に何も話すことが無かった。新羅はセルティを追うことはせず、静雄の様子を見ている。

「なんの話をしてたんだい?」

『あれ、新羅ってば俺に嫉妬してるの?』

「今、そういう話じゃないよ」

臨也はふう、と溜め息をついた。此処にいるのは本当面倒くさい奴ばかりだ、と思った。

『俺がシズちゃんをあの世に連れてこうとしてるんじゃないかって話』

新羅が目を細めた。特に驚いている様子はない。セルティは臨也に話す前に、新羅にも話したのだろう。新羅は頭痛を抑えるように米神を揉んだ。臨也は新羅から視線を逸らして、静雄の方へ向いた。座り込んで触れもしない手を握る真似をする。いつもと逆の立場だ。

「…僕は君にそういうつもりはないって思ってるよ」

『いや? 実際に殺しちゃおうかと思ったよ』

そう軽い声で言うと、新羅は何も答えなかった。だから臨也が話を進めることにした。

『シズちゃんのこと好きだから、他人に渡したくないとも思ったよ』

臨也は静雄の寝顔を見ていた。苦しそうに眉間に皺を寄せている。

『でも、俺は多分もうすぐ死ぬだろうし、死ななかったとしてもこのままもう戻らないかもしれない』

「…臨也」

『だから殺して俺と一緒のものになってもらおうかと思ったんだけど、それじゃ意味無いよね』

いくらたっても掴めない静雄の手に、臨也は未だ触れようと試みていた。すか、すか、と掴み損ねる度に空しくなった。

『俺、消えた方がいいのかもね』

「臨也!!」

耐えかねたように、新羅が叫んだ。臨也がゆっくりと振り返ると、新羅は思ったよりも酷い顔をしていた。もしかしたら初めて見た表情かもしれない。臨也は、ふっ、と微笑むと静雄の方に視線を戻した。

『ねえシズちゃん』

俺、どうしたらいいんだろうね。

返事は返ってこない。臨也はずっと静雄の顔を見つめていた。暫くそうしていると、頬に冷たいものを感じた。懐かしい感触だ。一粒一粒零れ落ちるその滴は、いくら降り積もっても、静雄の手を濡らせない。







夢を見た。

静雄は目を瞑ったまま開けているような、不思議な感覚を体験していた。いや、確かにその目にはしっかりと景色が映っているのだが、そのどれもが酷く不明瞭で見えにくい。しばらくその世界の中を彷徨っていたが、静雄はすぐにこれが夢であることを悟った。
ふいに、誰かの気配を感じた。

「やあ」

先程まで気付かなかったけれど、臨也が隣に立っていた。臨也は静雄の視線を感じたのか、にこりと微笑んでみせた。普段の憎たらしい笑みとは随分違う。そういえば普段の笑みすら、長い間見ていなかった。今、臨也には意識が無いはずなのだから。
微かに暖かいものが静雄の手に触れた。見てみれば臨也が静雄の手を握っている。静雄は一瞬硬直したけれど、すぐに視線を正面に戻した。しかし振り払いはしなかった。何故だか、気持ち悪いとは思わなかった。

「今日はどこに行く?」

「今日は、って」

今日はも何も、自分たちが揃って何処かに出かけたことなど一度として無いだろう。そう思ったが、横目で見た臨也の顔がどこか楽しそうだったので、静雄は何も言えなかった。とりとめのない話ばかりする臨也に、静雄は適当な返事を返す。それがただ心地よく感じた。

「遊園地とかどう?」

「ああ?」

大の男二人が遊園地なんて、いくらなんでも痛すぎる。さすがにそれはないだろう、とすら、静雄は言うことができなかった。静雄は、ただ、臨也の笑顔をずっと見ていたいと思った。普段なら絶対に浮かばない考えだ。それでも、この世界にいると、おかしいという思いすら酷く曖昧になった。そうして、静雄は暫く臨也の笑顔に見惚れていた。

「遊園地とか、どんなアトラクションが好き?」

「…コーヒーカップとか」

「へえ、俺は遊園地行ったことないから色々見てまわりたいんだよね」

「俺もガキの頃ぶりかもしんねえ」

「そっかー」

随分と長く、ふわふわした世界を歩いていた。不明瞭な景色の中で、臨也だけがはっきりと静雄の目に映る。時折、ちらりと横目で臨也の様子を窺ったが、臨也は変わらず楽しそうにしていた。静雄は、それを確認してから視線を前に戻す。その繰り返しだった。

「俺達さ、もう出会ってから随分経つよね」

「ああ」

静雄は、臨也の顔ばかり見ていたから、話の流れが分からなかった。とにかく曖昧な返事を返すと、臨也は少し笑みを深くした。

「ずっと傍にいたんだよね」

静雄は、そのとき返事が出来なかった。臨也が急に目を伏せたので、静雄は少し不安になった。口元は先程までと同じように笑みを浮かべていたけれど、どうにも違和感は拭い去れなかった。
ふ、と臨也が細い息を漏らす。小さく吐き出された息は白く曇った。

「もっと、君と色んな場所に行けばよかった」

「…臨也?」

「遊園地とか、映画館とか、山とか、海とか、もっと君と色々見たかった」


色んな場所に、今から一緒に行けばいいだろう。


一緒に色々見ればいいだろう。


静雄は、後になってその言葉を口に出さなかったことを、酷く後悔する。その時はただ、臨也の腕を引っ張って、足を止めることしか静雄にはできなかった。臨也が悲しそうな笑顔を浮かべた。その笑顔をどうしても見たくなくて、目を瞑ろうかとすら思った。臨也の口から、また白い息が漏れる。

「ああ、ごめんね。俺はもう行かないと駄目かもしれない」

「遊園地は、どうすんだよ」

責めるようにそう問うと、臨也は困ったようにごめんねと言った。そんな言葉が欲しかったわけじゃない。どうして分かってくれないんだろう。壊れそうなほどに臨也の細い腕を握り締めていた、筈だった。いつの間にか臨也の腕は静雄の手からすり抜けていた。静雄は反射的にもう一度掴もうとしたけれど、どうしても掴めない。無様に、待ってくれ、と叫んだけれど、臨也はただごめんと繰り返すばかりで静雄の手をとってはくれない。

「臨也!」

泣き声のように叫んだ名前に、返事は、













next

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ