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□溶けて解けてぐちゃぐちゃになれば、いつか一つになれるでしょうか
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模範的な恋人同士とは一体何なのかと、時折臨也は考える。少女漫画の様に砂糖菓子のような非現実なものなのか、あるいは何処にでもあるようなドラマチックでもなんでもないものなのか。考えを深めるほどに分からなくなる。結局は個人で抱いてるイメージによって変わるのだろうという結論になった。だとしたら、静雄の思う恋人とは何なのだろう。臨也のイメージで言えば、どこか夢見がちな空想じみた恋愛を考えているような気がする。それなら何故静雄は自分と付き合ったのだろう。必ず至る矛盾点は、いくら考えても解く事はできなかった。
ある日ふっと夢が覚めた様に別れると言われてしまったら、きっと臨也はもうどうすることも出来ない。しかしそれほどまでに静雄を愛しているのかと問われたら、きっと違うと答えるだろう。臨也は静雄の事を確かに愛していたが、また違う問題なのだ。臨也は静雄が離れることを酷く恐れている。静雄と恋仲になる少し前、臨也はなんとなくある事について考えていたことがあった。どうしてそんな事を考えたのか全く覚えていない。

静雄がいなかったら自分はどうなるのだろう。
 
もし初めから出会っていなかったらという前提なら、自分の人生は変わっていないと断言できた。この性格から何から全て、殆ど静雄に会う前から定まっていた。パルクールに関しては確かに静雄と戦う事を覚えてから始めたものだったので、もしかしたらそれは無くなっていたかもしれない。それでも大した変化をもたらすとは思えなかった。
でも、もし静雄を知った今、静雄が消えてしまったら。臨也はそれを考えると思考が止まってしまった。喉と心臓の間あたりに何かがつっかえた様に息をすることが苦しくなる。失うことが怖いのだと、臨也はその時気が付いてしまった。認めたくない事実だったが、何度考えてもそうとしか思えなかった。他の愛する人類が消えてしまったとしても、そう仮定したとしても、苦しくはならない。
臨也はあえて客観視して考えてみる事にした。自分は静雄を愛してしまったのかと、そう思った。今まで嫌いに向いていたベクトルがまるっきり反対方向の好きに勢いはそのままで伸びてしまう。そんな事があり得るのかと疑いを持った。臨也は何事も答えを求めなければ気がすまないタイプだった。
臨也は実験と言ってしまうには少し温かみのありすぎる賭けをした。何の変哲もない殺し合いをしていた時に、なんでもないように言った。

「好きだよ」

素っ気無く言ったのは臨也の分かりにくい照れ隠しだった。正面から真剣な告白をするのは初めてだった。静雄は一瞬フリーズして、それから回れ右をして車のようなスピードで走り去る。その間は一分ほどもなかったが、臨也には酷く長く感じられた。静雄はそれから三日池袋に顔を出さなかった。仕事も休んだらしい。これは気持ち悪がらせてしまったか、と実は嘘だったのだと言う用意をした四日目に、静雄は臨也のマンションに訪れた。訪問というよりは強襲だった。インターホンを鳴らすという事を一度もしないまま、ロビーのドアのガラスを叩き割り、玄関のドアを蹴り破る。その時ばかりは臨也も動揺を禁じえなかった。さすがにそこまで肝は据わっていない。
静雄が臨也の前に立つ。臨也は動作が遅れた時点でもう覚悟を決めて、殴られる覚悟をしていた。もろに喰らえば死にかねないので、衝撃を逸らす準備をしていたのだ。そんな事が静雄相手にも通用するかどうかは分からなかったが。いつまでたっても静雄に攻撃の様子が見られない。臨也は好機と見て逃げる用意をした。

「お前と付き合う」

は、と間抜けな声を出す臨也を置いて静雄はそのまま破られたドアから走って出て行ってしまった。多分今行ったら壊したドアのせいで大騒ぎになるよ、と関係のない事を呟きたくなる。結局臨也は玄関のドアが壊される音を聞きつけた他の住人が現れるまで指先一本も動かせなかった。

今思えば随分と頓狂な話だと、臨也は少しだけ苦笑した。同時にありえないほどに幸せを感じたことを覚えている。やはり臨也は静雄を愛していた。それでも、愛しているから失う事が怖いのではなかった。砂糖菓子のように甘いものなんかではなく、それは毒のように臨也を蝕んだ。中毒性があまりに強すぎた。
臨也は死ぬ事が怖い。小説の終わりから臨也はその後を想像したりする事がある。しかし死は別だった。死後の世界を除けばもうその後に続きは無い。小説では残された人々に焦点を当てて続きが始まるかもしれない。しかしそれは小説の中だけで、現実では残された人がどうなろうと、本人が死んでしまっているのではもう続きは無いのだ。今思えばそれが怖くて、死後の世界という空想ができたのではないかと臨也は思う。ある事を切欠に死後の世界は在る、とは言ったものの、曖昧すぎて恐怖は拭えなかった。
その臨也が、思ったのだ。静雄が居なくてはきっと自分は死んでしまうのだと。別に悲恋が好きな乙女のような気持ちではない。あくまで客観的に、自分のデータを集めた上でそう判断したのだ。

静雄は模範的な恋人像を抱いている節がある。直接言われたわけではないが、態度や言葉の端々から窺うことができた。きっと臨也はそれから外れてしまっている。そこまでシビアに考えていたのだ。模範的な恋人同士が、嘘をつくだろうか。嘘をつくのは臨也だと思われがちだ。実際に臨也は呼吸をするように嘘をつくことが出来る。それでも臨也は、付き合って初めて静雄が嘘をつけるのだと知った。
今日だって、そうだ。仕事に行くといって外に出たが、臨也は静雄が誰かと遊びに行くのだと知っている。浮気ではない。お互いに分かっているけれど、静雄は正直に話すと面倒臭くなると思っているのだ。要するに臨也は、静雄にとって面倒臭い人間だった。自覚はしている。臨也は静雄と少しでも離れることが苦痛だった。失うのが怖いと自覚したときからか、付き合い始めたときからか、いつの間にか臨也は静雄の傍から離れられなくなっていた。それが静雄にとって面倒臭くてならないのだろう。
さっさと切ってしまえばいいのに。
他人事のようにそう思うが、一年ほど経った今でも静雄は別れるとは言わない。臨也にとってはそれが幸福でもあり、不幸だった。時を重ねるたびに駄目になっていく自分を見ている。いつかは離れる日が来ると分かっているのに、症状は尚酷くなるばかりだ。
捨てられない努力をするべきなのか、離れられる努力をするべきなのか、答えは未だ分からない。考えるたびに深みに嵌って沈んでいく。いっそこのまま溺れて、水になってしまいたかった。そして静雄に飲み干されれば、もう悩む事だって無い。でも自分はきっと酷い味がするのだろうと思って、どこまでも客観視する自分に思わず笑ってしまった。

臨也は静雄とキスをした事も、手を繋いだこともない。模範的とは到底言えない事は重々承知している。少なくとも臨也は。物理的にも、精神的にも、繋がった事が無いという事実は、一つになってしまいたいという臨也の衝動を尚強めた。





end

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