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□PM12:00
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静雄は重い足取りで家までの道を歩いていた。セルティが用意してくれたというプレゼントすら受け取っていない。口をついて出る溜め息に、憂鬱さが増した。溜め息をつくと幸せが逃げていく。親に何度も言われたことを思い出しながら、静雄は空を仰ぎ見た。
せっかくの誕生日に、何をしているんだ。確かに子供の頃に比べたらそこまで喜ぶものではないかもしれないけれど、決して憂鬱になるような日ではない。ぼんやりとしながら歩いていると、家が見えた。しかし休日の、まだ昼だというのに家に帰るのもどうかと思えて、静雄は家に背を向けた。甘いケーキでも買いに行こう。そう思うと少し気分が晴れた。

「…ん?」

少し違和感を感じて何気なく振り向いただけだったのだが、静雄はそのまま視線を止めてしまった。自分の家のドアの前に何かが置いてある。静雄は視力が良いほうだったが、ここからだと白い塊だということくらいしか分からなかった。正体が分からない以上、放置しておくわけにもいかない。眉を顰めつつそのドアの前に歩いていった。近づくと中々に大きいように思えた。静雄はドアの前で立ち止まるとその塊を見下ろした。

―――――花束?

小さめの花が大量に包まれている。恐る恐る摘み上げると数本ぱらぱらと床に落ちた。枯れている様子もなく、花を包む紙はリボンで飾られている。誰かへの贈り物だろうか。自分は確かに誕生日だったが、花を贈られるような憶えはない。置き間違いだろうか。どうするべきか考えて地面を見下ろすと、静雄は数本の花とともに手紙が落ちていることに気がついた。
自分宛でもない手紙を見ることに若干罪悪感を憶えたが、何か手がかりになるかもしれない。静雄は内心で謝りながらも、四つ折りにされたその紙を開いた。

『シズちゃんへ』

最初の一文に目を留めて、眉を顰めた。手紙に記されている、シズちゃん、という名前と、自分の名前を照らし合わせた。確かに自分と似ているけれど、一度としてシズちゃんなどと呼ばれた憶えはない。
静雄は罪悪感も忘れてその手紙に視線を這わせた。


『シズちゃんへ


 君に手紙を書くのは初めてだね。

 多分今までのペースで行くと君はもう俺の事を完全に忘れていると思う。
 だからこの手紙を見ても気持ち悪いと思うだけかもしれないけど、最後まで見てほしいな。
 
 君と初めて会ったのは高校生の頃だったね。
 今だから言えるけど新羅に君の事を聞いて、俺はまだ君の顔も知らないときから君に興味津々だったよ。
 それなのに君は開口一番「気に入らねえ」とか言うから、ほんと全部無駄になっちゃったよ。
 色々シミュレーションとかしてたのにさ。
 高校時代は楽しかったねえ。
 憶えてたら君は絶対そんなわけないって食いついてくるんだろうけど。

 卒業してから君に冤罪をふっかけて、俺が新宿に移ったりしたからその後ますます関係が悪くなったよね。
 俺としては可愛いイタズラのつもりだったんだけどな。
 折角移ったのにいつの間にか俺の新事務所バレてたときはちょっとビックリしたよ。
 新羅が教えたのかな。

 まあ、それからも色々あったね。
 割愛するけど。
 
 実はこれ書きながら思い出してるんだけどさ、結構俺と君って思い出あったんだねえ。
 初めて会ってからもう十年近くなるんだっけ。
 長いなあ。
 
 さて、このまま書き続けると手紙が凄まじい枚数になりそうだから本題に入ろうか。
 
 俺はちょっと旅に出ることにしたよ。
 仕事もちょうど一段落したしね。
 俺は普段から人間が好きだって言ってたけど、よく考えたら全然色んな人間なんて見られてないなってことに気がついたんだ。
 まあずっと同じ場所にいたからなんだけどさ。
 もしかしたら、君が居るからずっと同じ場所にいたのかもしれないね。
 今更気づいたって意味無いか。

 多分今までの感じからして、明日にはこの手紙のことも忘れてるだろうから読み終わったら捨てたほうがいいよ。
 だったらどうして書いたんだって感じだけどさ、俺なりのけじめなんだよ。
 きっぱり俺も君を忘れるってのは無理だから、せめて関わりを断ち切ろうってね。

 書いてる途中に気がついたんだけど、そういえば君今日誕生日だったよね。
 だからその花はプレゼントだよ。
 思い出してから急いで買ってきたんだ。

 誕生日おめでとう、シズちゃん。

 君も一つ大人になったんだから、俺がいなくても他人に酷い暴力を振るっちゃ駄目だよ?
 ちゃんといい人見つけて、幸せにならないと。
 なんか俺が君に、幸せになって、とか柄じゃなさすぎるね。
 まあ、不幸になるなら俺のせいでなってほしかっただけだから、居なくなる今はもう、そうとしか言えないかな。
 
 終わらせ方が分からなくて結局ずるずる長くなっちゃったね。
 正直、これを書き終わるのが怖いのかもしれない。
 まあ、ここにもけじめつけないと駄目だよね。

 あ、そういえば、手紙書いてる途中に君の誕生日思い出したっていうの嘘なんだ、ごめんね。
 本当はずっと憶えてた。
 まあ、どうでもいいよね、こんなこと。
 
 じゃあ、バイバイ。


 折原臨也より』


読み終わって、ぱさり、とその手紙を落とした。その手紙を読んで、色々思ったことはあるはずだった。
急な脱力感にみまわれて、静雄はドアに凭れかかったままずるずると座り込んだ。先程落としたばかりの手紙を拾った。何も考えられない頭のままその手紙を再び開く。その手紙にほんの一つだけ染みがあった。静雄は、考えるまでもなくその染みの正体が分かった。きっとそうだと思った。
顔も知らない人間の、涙の跡をそっとなぞる。そこから莫大な量の感情が流れ込んできたような気がして、静雄は手紙の跡から指を離そうとした。離せなかった。これが書いた人間の感情なのか、それとも自分の感情なのか、静雄には分からない。

「いざや、」

前に呟いても何とも思わなかった言葉を再度口に出した。これ以上踏み込んではいけない。自分はおかしくない。そう思いながらこの花束と手紙を捨ててしまえばいい。花束を強く握ると、小さな花が一つ一つ零れて静雄を埋め尽くそうとした。それでもまだ大きな花束の中に顔を埋めた。微かに甘い匂いが静雄の鼻腔を撫でる。じわり、じわり、と静雄の心の中に染みこんでいく。この匂いに包まれてもう一度あの手紙を見直したいと思ったけれど、今は駄目だと分かっている。
今この手紙を見たら、きっと染みを増やしてしまう。

「…ッ、」

胸の奥からこみ上げてくる衝動を無理やり抑えつけると、喉が引き攣れて痛んだ。顔を埋めていた花がどんどん濡れていくのを頬で感じた。握り締めた花束から尚も小さな花が零れて静雄を囲んでいく。それが、まるで何処かの誰かのように思えて。

――――なあ、なんで泣いてんだ俺?

心の中のどこか冷静な自分が問いかける。そんなの誰に聞いたって分からない。静雄は今、顔も知らない誰かを思って泣いていた。
明日になったら、本当に忘れてしまうのかもしれない。それでも無かったことにしようとは、思えなかった。こんな結末きっと自分は望んでいない。

「…いざや…!」

静雄は跳ねるように立ち上がって、行く宛ても無く走り出した。何輪かの花と手紙を無造作にポケットに詰め込みながら、静雄は誰より速く池袋を駆ける。駆けて、どうすればいいのかは分からない。それでも、何とかなる気がした。いつだってそうだった筈だった。
周りの人間が、全速力で駆ける静雄を呆然と見ている。それも静雄には気にならなかった。そんなもの、見えていないからだ。矢のような速さで色とりどりの景色が流れていく。冷たい風が強く身体に当たっても静雄はその足を止めなかった。
それでも、見つからない。当然の話だけれども静雄はいつまでたっても臨也を見つけられなかった。ついに、足を止めた。少しだけ息が上がる。それにも構わずに、静雄は咆哮のように叫んだ。

「臨也!!」

コンクリートの壁が揺れるほどに大きな声だった。切実な叫びだった。返事が来ないと、もう頭の何処かで理解している。静雄は、目を瞑って、もう一度叫ぼうと息を吸い込んだ。

―――――シズちゃん?

その瞬間、静雄は目を見開いた。風の音で掻き消されてしまってもおかしくないような小さな声。その声は確かに静雄に届いた。声の主が姿を見せる気配は無い。もしかしたらただの呟きだったのかもしれない。それでも関係ない。
静雄は声の聞こえたほうに顔を向けた。人が多く、先程の静雄の叫びのせいで殆どが静雄のほうを向いている。当然、その中で顔も知らない人間を見つけられるはずもない。それでも静雄はその方向に目を凝らした。そして、すぐに視線を留めて歩き出した。

「臨也」

静雄が見ている人間は、逃げようとしない。どうせ分かっていないとでも思っているのだろう。静雄は目を逸らさずに歩みを進めた。視線が重なる。静雄は、目を逸らさなかった。

シズちゃん。

確かに、その口が声もなくそう呟いた。それを見た静雄が走り出すのと同時に、その人間は逃げ出す。逃がしてなるものか。静雄が腕が千切れるほどの勢いで伸ばした手は、その人間の、臨也の、細い腕を確かに掴んだ。

「臨也!」

「…シズ、ちゃん」

やっと見つけた。これが、あの、臨也だ。あんな手紙を寄越した、静雄のことをきっと深く想っている、臨也だ。静雄の手の中にある黒いファーコートに包まれた手が震えた気がした。静雄の手が震えているのかもしれない。

「…臨也」

臨也。いざや。一度口に出すと零れるようにその名前が呟かれていく。
高校時代に初めて出会って、気に入らない、と言った。卒業してから、罠で冤罪をかけられて、仕返しをしようとしたら臨也はもう池袋にいなくて少し疎遠になった。臨也がどこに逃げたのか、色んな人間に問いかけてようやく見つけた臨也の事務所。静雄がその中に入ったことはない。いや、違う。静雄はその事務所の内装を知っている。黒いテーブルと白い花を見た。一体、いつ?
握られた手が痛いと臨也が呻く。静雄は前にもその腕を握り締めた覚えがある。一体、何を思い出そうとしているのか。それすら分からないのに静雄は必死に目の前の人間を脳内で描いていた。シズちゃんと呟くその唇を視線でなぞる。実際に触れた憶えもあるはずだ。いつ、どこで。

ポケットから白い花が零れ落ちる。臨也の黒いコートを滑りながら、地面に触れる。臨也に白い花は何ともアンバランスだ。それでも異様に似合っている。少なくとも静雄にはそう思えた。

「なあ、お前の好きな色はなんだ?」

目の前の人間がすっと目を細めた。

「…黒」

臨也は静雄の目を見てそう言った。目を逸らそうとする気配は無い。しかし静雄は知っている。

「嘘だな?」

臨也は、大きい嘘をつくときは絶対に人の目を見る。
下手に目を逸らしたりすると反対に疑われると言っていた。他でもない臨也本人がだ。静雄はゆっくりと笑みを浮かべた。一輪の花を摘んで、臨也の胸に押し付ける。

「お前の好きな色は、白だ」

疑問系ではない。はっきりと静雄は断定した。臨也の目が、静雄にしか分からない程度で見開かれる。静雄はこの顔を知っている。臨也が本当に驚いたときに見せるこの顔をだ。静雄は臨也という人間を知っていた。

好きな食べ物、好きな場所、嫌いなもの、家族構成。意外と酒に強いこと。
好きな人が、いること。

「なあ、まだ好きな奴はいるか?」

静雄が問うと、臨也は今度こそ泣きそうな顔をした。そう見えただけだ。臨也は泣いていない。しかし、その喉が微かにひくりと震えたのを見逃しはしなかった。

「…いるよ、そいつのこと一度も忘れたことなんてない」

臨也の口元が俄かに釣りあがった。静雄は思わず苦笑する。臨也らしい反応だ、とそう思った。
不意に臨也の口元から笑みが消えた。

「…ねえ、俺浮気なんてしたことないよ。一度も」

「知ってる」

そうだ、知っている。臨也はその性格に反して一途だった。あの時、臨也は静雄の言葉をどんな気持ちで聞いていたのだろう。静雄は、それを聞く気にはなれなかった。
臨也が恐る恐るといった様子で、思い出したの、と呟いた。問いかけになっているのか、いないのか、分からない言い方だった。静雄は答えない。どう答えるべきか分からないのだ。先程まで、確かに自分は臨也を知らないと信じきっていた。だからこそ、今正しいと思っているこの記憶が正しいのか、他にも忘れている記憶があるのか、静雄に確かめる術は無い。
忘れていることがあるなら、また一から知り直すほかにない。

「臨也」

この名前を、忘れないように。

「好きだ」

記憶を無くしてまで臨也に告げたこの言葉に偽りは無い。これから先、忘れることはないように願った。臨也が薄く笑って目を閉じた。




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