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□AM9:00
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誕生日おめでとう、と仕事仲間に言われるまで、静雄は自分が今日誕生日であることを忘れていた。

「いや、お前も随分大人になったものだなあ」

静雄の学生時代を知る上司が、歯を見せて笑う。正直いい年して祝われるのは照れくさかったが、悪い気はしなかった。安物ではあったが、仕事仲間の一人一人がプレゼントを用意してくれていた。職業の内容は関係なく、情に厚い職場だ。だからこそ静雄はこの仕事を続けていたいと思えた。社長はプレゼントとして、今日は静雄を休みにする、と言った。静雄は別に仕事を休んですることも無かったが、ありがたく受け取ることにした。

静雄は家に居るよりは、外の空気に触れているほうが好きだ。特にやることは無くても、ただ歩いているだけで気分が良くなる。旅行なども好きだが、社会人になってからはあまり行く機会が無い。静雄は騒がしい都会よりも、のどかな田舎のほうが好きだった。いつか年をとったなら、誰も静雄のことを知らない田舎で穏やかに過ごしたいという願いがあった。誰にも言ったことはなかったが。
とん、と肩を叩かれた。

『誕生日おめでとう』

画面に表示された文字を見て、静雄は緩やかに笑みを浮かべた。

「ありがとな、セルティ」

彼女は珍しくもバイクに跨っていなかった。ライダースーツとヘルメットはそのままなので、些か違和感がある。それでも静雄はさして気にすることもなく、彼女が次の文を打ち終わるのを待っていた。

『プレゼントを用意したんだが、家に置いてきてしまった…もし暇だったら着いてきてくれないか?』

「ああ、分かった」

ここで、わざわざ取りに行かなくてもいい、と言ってもきっと彼女は引き下がらないだろう。セルティもまた静雄と同じく情に厚い性質だった。自分よりいくらか背丈の低いセルティの横を歩いた。人の目が少しばかり気になったが、一々突っかかる気も起こらない。時折不躾すぎる視線や陰口のせいで額に血管が浮き上がりかけたが、隣に他人がいる事を思い出して抑えた。
セルティが何かを思い出したように一瞬立ち止まる。セルティは振り返る静雄に向かって、何でもないというように手を振って、再び歩みを進めながら文字を打った。

『そういえば、臨也と何かあったのか?』

セルティの差し出した文を見て、静雄は首を傾げた。その反応を見て、セルティはすぐにまた手を動かしていた。

『前に、私たちの家に臨也と二人で来てたじゃないか』

静雄は今度こそわけが分からなくなって、歩みを止めてしまった。つられてセルティも立ち止まる。彼女の家はもう近い。そこで話の続きをした方がいいか、とセルティが考えていると、静雄は唐突にセルティの手の中の画面を指差した。

「それ、誰だ?」

彼女は、何気なく静雄の指先に示された文字を見た。次に、自分の打ち間違い、変換ミスを疑った。しかし、どうにも間違っているようには見えない。静雄の指が示す、臨也、という字は、セルティの記憶の限りではこれが正しいはずだった。静雄の性格上有り得ないとは理解しつつも、もしかして何かの皮肉か、と疑いながら静雄の顔を覗き込んだ。
静雄は本当に、何も分かっていない顔をしていた。焦りのせいで、セルティの文字を打つ指の動きが速くなる。

『折原臨也だぞ? お前の高校時代からのライバルじゃないか』

ライバルという言葉で片付けていいのか少々疑問の残る関係性ではあったが、上手い表現の仕方が分からなかった。難しい関係性だった。

「いや、だから分からねえよ。誰だよ、そいつ」

もしかして人間違いをしているんじゃないだろうか、と静雄は訝しげにセルティを見た。静雄の記憶の限りではそんな人間がいた憶えはない。失礼だとは思いつつも、セルティが錯乱している可能性を疑っていた。少なくともセルティが冗談を言って、静雄を貶めようとしているようには見えない。

『新羅のところに行こう』

静雄がそこに表示された文字を見終える前に、セルティは静雄の腕を掴んで歩き出した。焦っているのだと、表情が見えなくとも分かる。セルティは新羅のもとに着くまで一文字も打とうとしなかった。

「やあお帰りセルティ! …あれ、静雄くんも一緒かい?」

新羅はセルティの隣にいる静雄を見て目を丸くした。そのあとみるからに不満げな雰囲気を見せたので、静雄は眉間に皺を寄せた。セルティの手前殴るわけにはいかないので抑える。彼女の言うプレゼントを受け取ったらすぐに帰ったほうがいいだろう。曲がりなりにも恋人たちの時間を奪うわけにはいかない。セルティは何やら新羅に画面を見せていた。新羅の顔が険しくなる。あまり良い内容ではなかったのだろう。

「静雄、君いざやの事を忘れちゃったのかい?」

話の流れからして、いざや、というのは先程セルティの言っていた、臨也、という人間のことだろう。臨也と書いていざやと読むのか。新羅たちに聞こえないように、いざや、と声に出してみたが、やはり憶えはなかった。

「だから、それ誰なんだよ」

新羅もその人間を知っていると言う。それだけでなく、静雄が忘れているのだとも。高校時代からのライバルだとセルティは言っていたが、やはり静雄の記憶には無い。ただの同窓生なら忘れてしまっても仕方ないと思うのだが、二人の反応を見る限りそうとは思えない。
まるで、知らない静雄がおかしいとでも言うように、新羅とセルティは険しい雰囲気を浮かべる。静雄は何がおかしいんだと怒鳴ってしまいたかった。怖かったのかもしれない。

「それ、本気で言ってるんだよね?」

「…お前こそ、正気なのかよ」

どちらも依然として譲れない。新羅の眼鏡の奥の目も、今日は酷く真剣だった。

「ちょっとだけ、診させてくれないかな。頭を打ったのかもしれない」

いつもの軽口とは違う。新羅は本気で言っているのだと静雄にも分かった。尚更それが静雄をぞっとさせた。まるで、自分一人が別の世界にいるようで。

「わけわかんねえって言ってんだろ!」

新羅とセルティが軽く肩を震わせたのを見て、静雄は自己嫌悪に陥った。友人まで脅す気はなかった筈だ。

「悪い、帰る」

静雄が新羅とセルティに背を向ける。新羅の悔しげな顔も、セルティの手の中に示された文字も、静雄には見えなかった。新羅は、セルティの言葉を見て、唇を噛む。

『まるで、臨也の存在が消えてしまったみたいじゃないか』

いくらなんでも、あんまりだ。セルティの文を見終わった後、新羅も、その通りだ、と呟いた。



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