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□表裏
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擦り剥いてじくじくと痛む傷口に消毒液をかけた。かけすぎた消毒液を拭うために脱脂綿で傷口を軽く叩く。それだけで脱脂綿は赤くなった。思ったよりも血が出ている。絆創膏では覆いきれない大きさの傷だったのでガーゼで塞いだ。そんな処置を、あと三箇所ほど施さなくてはならない。
臨也は自分に傷を与えた男と同じ家にいた。もう半年ほど前から臨也の帰る場所は其処になっていた。
手当てが終わって、臨也は何となく鏡の前に立った。インナーの袖と裾を捲り上げれば骨の浮いた薄い身体が露わになる。その身体は見事に痣と傷だらけで、臨也は呆れたように溜め息をついた。

もう少し手加減してくれたっていいのに。

恨み言が頭の中に浮かんで尚更気分が重くなった。袖と裾を伸ばして傷を隠した。この身体のせいで蒸し暑い夏場だって、最低でも長袖を着ていないといけない。それでも隠せない場合はコートだ。外に出なければいいとは分かっているけれど、職業上そうもいかない。
かん、かん、と階段を上る足音が聞こえた。ドアの外だ。いつも通りの時間だったので、驚くわけでもない。臨也は床に散らばったガーゼ、包帯、湿布を乱雑にしまいこんで玄関に立った。

「ただいま」

「おかえり」

最上級の笑みを浮かべて静雄を迎えた。靴を脱いでリビングに向かう静雄の後を追った。静雄がソファに腰掛けてサングラスを外す。そして臨也に隣に座るように促した。臨也は静雄から拳二つ分ほど離れた場所に腰掛けた。他愛のない話をしようとしたのに、すぐさま引き寄せられる。その勢いで静雄の膝に乗り上げたが何も言われなかった。それどころか、その状況を良しとしている節が見られた。
だったら最初から膝に乗れと言えばよかったのに、と少し思ったが、それで何の躊躇いも無く従うことは自分には出来るまいと思い直した。

「触るぞ」

その言葉と同時にインナーが捲り上げられた。押さえつける間もなく素肌が晒される。その瞬間、静雄が痛ましい表情をした。傷を与えられた臨也よりもよっぽど辛そうな顔をしている。臨也はその顔が好きではない。だからこそどんなに痛くても笑わなければならなかった。

「気にしないでよ、これも約束のうちなんだからさ」

でももう少し手加減してくれると嬉しいな、と付け加えると静雄は素直に一つ頷いた。ガーゼや痣に一つ一つ口づけをされる。何だかむず痒くて笑い出しそうになってしまった。しかし丹念に傷に口づけをしていく静雄の顔は酷く悲しげで、臨也は笑うことが出来なかった。代わりに静雄の痛んだ金髪をくしゃりと撫でた。

外では恋人だという事を悟られないように喧嘩をする。それが静雄と臨也の中の約束だった。
その甲斐あってか二人が恋人だという事を知る人物は存在しない。臨也は別に誰に露見しようと特に問題はないのだが、静雄が嫌だと言って憚らなかった。静雄は意外にも人の目を気にする性質の男だ。男と、ましてや折原臨也と付き合っているだなんて知られたくないに決まっているだろう。静雄は生まれつき強大な力を持っていて、そのせいで周りの人間に敬遠されていた。だからこそこれ以上「普通」から遠ざかるのが怖いのだろう。全て臨也の推測だが間違ってはいないはずだ。
昔、付き合い始めの頃静雄に問いかけたことを思い出した。あの頃の自分は確か非常に浮かれていた。


『ねえ、付き合い始めたこと誰かに言っていい?』

『は? やめとけよ、俺は嫌だからな』

『…あっそ』


静雄の事を理解しているつもりでも、傷つかずにはいられなかった。あの後少し言いすぎたと謝られたけれどそれが尚更辛い。
臨也は好きなら好きと、大声で叫ぶような性格だった。この男は自分だけのものなのだと主張したかった。それでも勝手に言いふらしたらただの自己満足にしかならないうえに静雄が別れると言い出してしまうかもしれない。ゆえに臨也は口をつぐんでいた。
静雄は、知られて周りの人が離れていくのが怖いんだと言っていた。じゃあその代わりに俺が離れていってもいいの、とはさすがに言えなかった。静雄には大切なものがありすぎる。それは臨也よりも優先するべきもので、大事なものなんだろう。それが悲しくないわけではなかったけれど、別に構わなかった。大嫌いで殺したい相手というところから恋人になれたというだけで奇跡だと思う。それが嬉しくて、何でもやってやろうという気になった。

見える傷の全てに口付け終えた静雄は最後にその口で臨也の唇を塞いだ。少しばかり血の味がした。外での喧嘩による怪我が酷くなると比例して静雄が優しくなる。それが臨也にとってのご褒美のようなものだった。触れるだけの口付けを何度も交わす。外での静雄とはまるで別人のようだと思った。二人で外に出かけたことや、デートをしたことは無かったけれど、家の中でDVDを見ることはできるし何気なく甘い日常を送ることは出来る。

「好きだ」

それに、臨也の好きな低い声で愛を囁いてくれる。その他に何かを望むなんて傲慢だろうと自分を押さえつけた。確かに臨也と付き合うという事は静雄の倫理観に反しているのだろう。それでも限定条件付きとはいえ愛してくれたということが何より幸せだった。臨也は静雄が大のつくほど好きだった。静雄がしたように、臨也は静雄の体に口付けていく。例えば喉仏が綺麗に浮いた喉とか、自分より何周りか大きい節張った手だとか。静雄の身体には傷がなかったので、臨也は自分が好きな箇所に口付けた。心なしか静雄の顔が赤くなった気がする。純粋に愛しかった。

「シズちゃん、愛してるよ」

赤くなった顔に口付けをした。途端に抱き寄せられて深い口づけをされる。盲目的に臨也を見つめる静雄の目と視線がぶつかった。今自分は静雄の全てを手に入れている。そう考えるだけで臨也は酷い優越感に浸れた。確か今まで静雄は女の子を含め誰とも付き合ったことがない。壊してしまうかもしれないと思ったのだろう。臨也は高校の頃から静雄が好きだったので静雄の情報なら肉親を除けば誰よりも知っていると自負していた。気持ちが悪いと言われたっていい。
必死に口づけをする顔も、普段よりずっと優しく抱き締める腕も、臨也の身体を這う手も、全て自分のものだと思いたかった。他の誰かに渡す気もない。少なくとも今は。

「おい、何考え事してんだ」

少し不機嫌そうに臨也を見ていた。余所見をしていると思ったのだろう。

「シズちゃんのこと考えてたんだよ」

にこりと笑ってそう言うと静雄はまだ不満そうな様子ではあったが、一応納得したような姿勢は見せてくれた。誤魔化すように頭を撫でると、子ども扱いすんな、と言われた。怒っているのではない。おそらく照れているのだろう。ソファの上に引き倒されて、視界には静雄と背後に天井が映っている。傷のない首元を吸われた。考えが足りない。これで外に出たら誰に付けられたのか聞かれるに決まっているのに。臨也は嘘でも静雄以外の誰かと付き合っているなどと言いたくなかった。

「続きはご飯食べたらしよう?」

服の中に手を入れられた辺りで、なるべく柔らかに静雄を止めた。静雄は不服そうな顔をしていた。それでも臨也が約束を守るだろうと判断したらしく、渋々身体を起こした。臨也とて静雄と抱き合うのは満更でもない。それどころか心の奥では望んですらいた。

離れがたいと言うように静雄が臨也の頬を撫でた。その手は酷く優しい。ずっとこのままでいたいと思った。標識だって、ナイフだって、飛ばない。ここだけは二人でいても平和でいられる。愛し合っていられる。


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