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□声が
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静雄は新羅からはっきりと告げられても驚かなかった。落ち着いているというよりは訳が分からなかったのである。最後に臨也に会ったのはそう遠くもない。その時の臨也は確かに静雄の声を聞いて、多すぎる言葉を返していた。そういえば今日は臨也の声を一度も聞いていない。

「喋る事もできねえのか」

その問いには新羅が代わりに頷いた。静雄は新羅と臨也の顔を交互に見たが、これがおかしい光景とは思えなかった。新羅は立ったままソファの背もたれに寄りかかった。

「朝起きたらいきなり耳が聞こえなくなってたらしいよ。けど臨也の耳に異常は見当たらなかった。僕は心因性のものなんじゃないかと思ってる」

淡々と状況について語る新羅はしっかりとした医者のように見えた。眼鏡の奥に潜んだ目が探るように静雄を見ている。静雄はどことなく居心地が悪かった。しかし次の瞬間には新羅は普段通りの笑顔を見せていた。

「耳が聞こえないのに1人で生活させるのも危険だろ? だから静雄君が臨也の面倒を見たらどうかな!」

先程までの真剣な様子もなりを潜めて、新羅はただ純粋に面白いものを見ているような態度だった。友人の不幸を楽しんでいるわけではない、と思う。なんで俺が、と言いたかったがそれに返される言葉は分かっていた。

君は臨也の恋人だろ?

そう言われて終わりだ。実際には恋人だとはっきり言い切れる関係ではないのだが、新羅は恋人だと思い込んでいるらしい。何故か嫌というわけではなかった。それが静雄にとって不思議でならなかった。

「臨也にはもう説明してあるから、早く行きなよ」

それ以上話は無いようで、新羅は臨也を立ち上がらせて静雄の隣まで歩かせた。臨也が静雄を見つめた。話そうとする様子はなかった。そういえばこいつは今喋れないんだ、と分かりきっていたはずの事を再認識した。静雄も新羅に聞くべきことが浮かばなかったので素直に立ち去ることにした。もう臨也は先に玄関で靴を履いている。静雄も靴を履こうとしたが新羅に引き止められた。臨也に気づかれたくない話のようで、新羅はちらりと臨也の動向を窺っていた。
そんな事しなくても臨也には聴こえないのに、と思った。

「僕はね、多分これは君にしか解決できないと思ってる」

そう言った新羅の顔は酷く真剣で、静雄は冗談ではないのだと理解した。ただそれは買い被りすぎではないかと思った。自分はそこまで臨也に影響を与えることなどできない。逆もまた然りだと思っている。所詮はその程度の存在だ。
新羅の言葉を聞かなかったことにして靴を履いた。先に靴を履き終えた臨也が静雄を待っていた。背後で閉まるドアの音を聞く。静雄が歩き出すと後から臨也が着いてきた。もしかしたら不安なのかもしれない。この男には酷く似合わない言葉だったが、耳が聞こえない、話せない、となればさすがに不安くらいは感じるだろう。静雄は臨也の人間らしい面が見たいと思っていた。

「おい」

これからどうするかと相談しようとしてついそのまま問いかけてしまった。聴こえていないと分かっていても、普段どおりに接しようとしてしまう。臨也はコートから携帯を手にとって弄り始めた。その様子に静雄は少しだけ苛立った。仕方の無いことだと分かっていてもだ。気づかせるために肩を叩こうとしたら臨也が携帯の画面を突きつけてきた。

『なに?』

臨也の打った文字が表示されていた。メールの作成画面のようだ。その手があったか、と思って静雄も携帯を開こうとした。しかしその前に臨也に携帯を突きつけられる。

『俺ある程度読唇術の心得があるから、短い言葉だったらそのまま喋っていいよ』

読唇術とは字のとおり唇の動きから言葉の内容を読み取るということだろう。臨也は昔から色々なことを試したがる人間だった。今回はそれに助けられたのだろう。それでも不便なことに変わりがないとは思うが少しばかり気が楽になった。臨也に自分の言葉は通じている。そう思えたからだ。

「どっちの家で生活するんだ」

静雄は臨也が読み取りやすいようになるべくゆっくりと発音した。どうしたら伝わりやすいのかはよく分からなかったが、伝えようとは確かにしていた。臨也は静雄の口の動きを目で追っていた。静雄が話し終わってから少し時間が経った後、臨也は再び携帯を弄り始めた。

『本当に新羅の言ったとおりに俺の面倒みる気なの?』

「…どういう意味だ」

静雄は臨也の携帯の画面を見た後、つい普通に話してしまった。伝わったかどうかは分からない。伝わらなかったらもう一度問う気だった。

『迷惑じゃないの』

妙にしおらしい言葉だった。本当に気弱になっているのだろうか。そう考えると静雄は相手が臨也であっても少し同情を覚えてしまった。

「変なこと気にしてんじゃねえよ、らしくねえ」

『そう』

耳が聞こえない、声の出せない臨也は酷く大人しく静かだった。当然の話だが、静雄は不謹慎にも嬉しいと思ってしまった。静雄は臨也の言葉があまり好きではない。口を開けば苛立つことばかり言って、長い付き合いとはいえそれに慣れることはなかった。そんな静雄からすれば静かで大人しい臨也は新鮮で楽に思えた。こんな臨也なら面倒見るのも悪くないとすら思えた。仮にも恋人のような関係だ。認めたくはないが臨也の好きなとこだってある。そんな臨也から最もと言っていいくらい嫌いなところが無くなったのだ。少しくらい嬉しいと思うのも無理はない。

『シズちゃん?』

自分を見つめる赤い瞳に考えを見透かされたような気がした。ずっと見られていると本当に心が読まれそうだと思って、目を逸らした。



静雄はひとまず臨也を自分の家に連れてきた。臨也は静雄の部屋を珍しいものでも見るようにいろいろな場所に視線を飛ばしていた。そういえば臨也がここに来たのは初めてかもしれない。二人が会うときは大体臨也の部屋だったように思える。臨也は昔から「シズちゃんの家行きたいなあ」と冗談めかして言うだけで、本当に訪ねてきたことは一度もなかった。電話やメールがくる事は数え切れないほどあったけれども。

『シズちゃんの部屋汚い(笑)』

「手前、追い出されてえのか!」

聴こえないうえに話せないという状況にもう慣れたようだった。臨也は結局何があっても臨也のままだ。これなら自分が仕事休んでまで世話する必要なんて無かったんじゃないのか。いつまで続くとも分からないのだし。そこまで考えて、ふと思った。

――――こいつ、いつまでこのままなんだ?

一生このまま、なんてこともあり得ないわけではない。臨也は安物のベッドに腰掛けてテレビを見ていた。テレビには字幕が表示されている。正直、臨也の世話をするのはそこまで面倒ではない。減らず口を叩かないなら尚更だ。それでも静雄は漠然とした不安を感じていた。臨也が無駄なことを話したり、余計なことを聞いたりしないのは良いことのはずだった。

『どうかした?』

くい、と臨也に袖を引かれていた。静雄が振り向いても臨也は口を動かそうとしない。当然だ、必要が無いのだから。

「別に、どうもしねえよ」

『嘘だね』

臨也は口の動きを読むことも携帯に文章を打つことも速くなっていた。まるで普通の会話をしているようだった。だからこそ臨也の声が聞こえないことに違和感を感じた。嫌な笑みを浮かべる顔もそのままなのに、そこだけがどうしてもおかしく思えた。

『君、ひどい顔してる』

臨也は以前よりも静雄を見ているような気がした。静雄が引き込まれるように臨也の瞳を覗き込む。その中に映った静雄は確かに酷い顔をしていた。


『ねえ、どうかしたの?』

どうもしない、と先程のように返せなかった。話しているのに臨也の唇は動かない。静雄はなんとなくその唇をこじ開けたい衝動に駆られた。別に、臨也は必要がないから閉じているだけで他の意図は無いのだろう。理解はしているのだ。



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