―――――――

□遭遇
1ページ/1ページ

冬は日が落ちるのが早い。大窓から見える外は暗くて、ビル達の光が妙に明るく輝いていた。臨也は包丁を握る手を少し休めて背後を振り返った。すぐ傍に静雄が立っていて、臨也の手元を見つめている。臨也の握った包丁は静雄には向かわず、まな板の上に横たわる野菜に落ちた。
どうしてこんな事をしているのだろう。
臨也は何度目とも知れない溜め息をついた。お前の作った飯が食いたい。そんな静雄の言葉にただ従っている自分に嫌気が差した。半ばやけに振り下ろした包丁によって野菜が真っ二つになった。もしかしたらその下のまな板にまで傷がついているかもしれない。何度包丁を食材に向かって振り下ろしても、むず痒いような、不愉快な気持ちは消えなかった。さっさとこんな非日常終わってしまえばいい。そう思った。

「お前、料理出来たんだな」

出来上がった料理を見て、静雄が驚いたようにそう言った。すん、と鼻を鳴らしている。匂いをかいでいるようだった。臨也はその光景を、エプロンを外しながら見ていた。

「恋人のくせに、そんなことも知らないの」

そう言うと静雄は少し困ったような顔をして黙り込んだ。今回ばかりはからかうために言ったわけではない。なんで言ったのだろう。自分のことがよく分からなくなっていた。誤魔化すように、はやく食べるよう静雄を急かした。弾かれたように顔を上げる静雄に少し驚いたけど、静雄はそれ以上に驚いていたようだった。

「わ…悪いな、いただきます」

焦りつつも律儀に食事の挨拶をするあたり静雄らしいと思った。でも、おかしい。明らかに挙動不審だ。臨也の視線に気付いているのかいないのか、静雄は料理を口に運んで美味いと言った。

「…いただきます」

おそらく静雄は何かを隠している。疑いつつも臨也は自分が作った料理を食べた。確かに、なかなか上手に作れていた。
静雄は先程の焦りをもう忘れたのか、純粋に食事を楽しんでいた。その目がどこか子供のように輝いていて、臨也は思わず口の端に笑みを浮かべてしまった。気付かれないようにそっと持ち上げていた食器で口元を隠した。白米の上に乗せた野菜炒めを食べる。クリスマス仕様の食事など作っていない。必要がないからだ。
異質な空間にいう気分だった。静雄といるのに、喧嘩をしないどころか一緒にご飯を食べている。そういえばこんなに長く静雄を見つめたことは無かったかもしれない。自覚すると急に恥ずかしく思えて、目を逸らした。

「ごちそうさま」

静雄は食べるのが速かった。それでも臨也は少ししか自分の分を盛り付けていなかったので、間もなく臨也も食べ終わった。食器を片付けようと立ち上がると、洗面所に向かう静雄が見えた。静雄の歯ブラシは無いはずだから、口でも濯ぐのだろう。そういえばいつまでここにいるつもりなのだろう。食器を盥に沈めながらふと考えた。仮にも今は恋人だ。泊まられたとしてもおかしくはない、のかもしれない。そうしたら自分はどうなるのだろう。その先を考えるのが怖くて無理やり思考を飛ばした。
歯を磨こうと洗面所に向かった。静雄はいない。おそらくリビングに向かったのだろう。歯を磨きながら何となく正面の鏡を見た。随分と変な顔をしている。鏡の中の自分は随分と人間らしい表情だった。

「臨也」

ソファに座っていた静雄は洗面所から戻った臨也をすぐに見つけた。ここに座れ、と静雄が自身の隣を指差している。ここで逆らっても良いことは無いと理解していたので、大人しく静雄の隣に座った。やる事が無い。この部屋には暇を潰せるようなものが置いていなかった。静雄と話すことも、恋人でない臨也には思い浮かばない。普段ならなんでも話せるのに。何も浮かばない自分の頭を恨めしく思った。
静雄も何も話さなかった。ただ、それを良しとしている様子ではない。臨也と同様に話す事が浮かばないように見える。こんな状態でよく恋人になんかやってられたね、と臨也は不貞腐れたように思った。

やっぱりパラレルワールドでも何でも、上手くいく筈がない。

自分の中での結論だった。どれだけ設定を捻じ曲げたって恋愛なんて出来るわけない。決め付けではない。臨也がひしひしと感じていた事実だった。どうせこの世界でも、違う自分だったとしても、付き合っていたっていいことなんか無いだろう。関係の無い自分が言うのはエゴでしかないだろうけれど、言わざるをえなかった。こんなのもう終わりにしようと。

「シズちゃん」

決意して静雄の方を見た瞬間、腕が引っ張られた。驚きの声を上げる間もなく口が塞がれた。広がる視界いっぱいに移るそれは近すぎてピントが合っていなかった。若干酸欠になりかけたところで口が離された。離れていくのは、意外に整っている顔だった。

――――キスされた?

呆ける臨也を抱き締める静雄の腕は暖かかった。不快じゃなかった。抱き締められている事も、口付けをされたことも、確かに不快ではなかったのだ。抱き締められたせいで伝わる少し速い鼓動は一つじゃなかった。不要な感情を植えつけられてしまったと認めざるをえなかった。これが自分の知る静雄でないと、十分に理解しているはずだったのに。
今日は十二月二十五日、クリスマスだった。これがプレゼントだとしたら、あまりにも酷すぎる。悲しいわけではないけれど、胸がどうにも痛かった。

「…悪かった」

唐突に謝罪の言葉を浴びせられた。肩を掴んで身を離される。静雄の体温が離れて少しばかり寒く思えた。静雄は眉根を寄せて、どこか辛そうな顔をしていた。原因は知らない。臨也が知るはずもなかった。瞬きもせずに静雄を見る臨也は、何故か胸の中が空洞になったように思えた。先程からその空洞は段々広がってきていた。

「俺は、昨日まではお前と恋人じゃなかった」

それは臨也からしたら予想外にも程がある言葉だった。一瞬聞き間違えかとも思った。それでも静雄の声ははっきりと聞こえていて、本当なのだと臨也に分からせた。臨也がどういうこと、と聞く前に静雄が語り始めた。臨也は聞くことしかできることがなかった。

「朝起きてたまたまトムさんに会ったんだ。んで、話してたらお前は今日恋人と過ごすんだろ、って聞かれて変だなって思った。俺に恋人なんかいなかった筈だしな。間違えてんだろうと思って、そん時は気にしなかったけどな。その後セルティに話しかけられたからいつも通りパーティの誘いかと思ってた。セルティも本当は誘おうとしてたらしい」

そこで静雄は一度言葉を切った。息が続かなかったんだろう。静雄は少し眉間の辺りを揉んで、再び話した。

「けど、お前は今日臨也と一緒だろうって」

「…うん」

臨也も途中からなんとなくどういう事だか分かり始めていた。少なくとも相槌を打つ余裕は出来ていた。

「セルティ相手に思わずふざけんなって言っちまったよ。でもセルティがお前前から臨也と過ごすって決めてただろって引かねえから他の奴に確認取った。んで、おかしいのは俺だって分かった」

「うん、それで?」

静雄の長台詞に少し違和感を覚えていた。そういえば、静雄は元々無口な方だった。話を促されて少し話しやすくなったようだ。静雄はあまり間をおかず話した。

「この調子だと手前もおかしくなってんだろうと思って会いに行った。池袋にいることは気付いてたからな。でもお前はおかしくなってなかった」

「うん」

それから暫く静雄は話そうとしなかった。話す順序を考えているのかもしれない。あまり急くのもどうかと思って、臨也も黙ることにした。沈黙が重い。静雄の口はそれ以上に重そうだった。

「…嘘付いたんだ」

頭を垂れて、懺悔のようにそう言った。その声は小さかったけれど確かに臨也には聞こえた。

「俺もおかしくなっちまったことにすればいいと思った。手前珍しく混乱してたしバレねえだろうって」

「…うん」

「でも、キスした後泣きそうな顔のお前見て目が覚めた。悪かったと思った」

臨也はようやく完全に事を理解できた。静雄は最初からいつも通りだったのだ。パラレルワールドに迷い込んだのは自分だけだと臨也は思っていたけれど、なんてことはない、静雄もそうだっただけの話だ。なんでそんな嘘ついたの。騙されたことへの怒りより何より、今はそれを聞きたかった。聞けるわけがない。勇気がなかった。それなのに。

「お前が好きだったんだ」

静雄は臨也の心の準備が出来る前にその答えを言ってしまった。いつまでたっても準備なんかできる筈が無いと分かっていたけれど、それにしたって早すぎる。それでも静雄からすれば悩んだ末の告白だったのだろう。静雄は少し泣きそうな顔をしていた。

「悪かった」

静雄がソファから立ち上がった。今すぐ立ち去りたそうな顔をしていたので、臨也は腕を掴んで引きとめた。

「君のせいだ」

そう言うと静雄は先程よりも辛そうな顔をした。今はその間抜けな顔を嘲笑ってやる余裕がなかった。要するに、臨也もいっぱいいっぱいだった。

「君のせいで君のこと好きになっちゃったんだよ、今すぐ君が責任とってよ」

情けなく声が震えていた。馬鹿みたいだと思った。らしくないにも程がある。この世界に居すぎて、おかしくなってしまったのかもしれない。静雄が強く臨也を抱き締めた。馬鹿みたいだと思った。でも、嫌じゃなかった。

クリスマスに託けて騒ぐことがあまり好きではない。でも、今日ばかりは少しばかり歪な聖夜の奇跡に免じて、ケーキくらいは作ってやろう。そう思った。



end

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ