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□異世界にて
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半月ほど前からあったクリスマスツリーの飾りが太陽の光を鋭く弾き返している。金や銀の玉飾りにモール、さすがに電飾はまだ点灯していない。そろそろ正午を迎えようとしている頃だった。駅前は人が溢れ出しそうなほどに蠢いているので、なるべく人が少ない場所を通った。時折大通りを覗いたらやはり男女が何組も歩いている。昨日からやけに浮き足立った人々を見るのが楽しかった。
どこかで定番のクリスマスソングが流れるたびに臨也は笑い出したい気分になる。クリスマスの名を借りて楽しみを得たい人間達への賛歌である。彼らにとって幸いなことに今日は殆どの人が休みの日曜日である。それは臨也にとっても幸運なことだった。
池袋の何処を堂々と歩いても怒声が飛んでこない。クリスマスだからといってやることもなさそうな独り身の彼はきっと家にいる事だろう。だからこそ自由に動くことが出来る。今年も残るところあと僅かだ。
やっぱり今年も一緒に過ごす人できなかったね、かわいそうに。自分のことは棚に上げて心の中でわざとらしくそう呟いた。
人の多い通りに出た。道一杯に流れる人の波を見ていた。少し背の高い金髪の男を見つけてつい目がいく。他人と分かっているはずなのに、無意識で見てしまった。明るい髪の女と腕を組むその男が静雄と重なって少しばかり不快になった。気を取られていたせいで誰かにぶつかってしまった。よろめいて転びそうになる。こんな人の多い場所で転んだら怪我をしてしまう。なんとかバランスをとろうとした瞬間に腕をとられた。

「えっ」

力強いその手に引っ張られて人にぶつかりながら通りを抜ける。抜け出た先は人の少なくなった小さな細い通り道だった。ようやく手を離された。息が乱れて、腕にも痕がついていたがそんなことはどうでもよかった。それよりも重大なことが他にある。

「なんでここにいるの、シズちゃん」

いないだろうと予想していた男が目の前にいる。もしかして誰かのパーティーにでも呼ばれたのだろうか。例えば新羅あたりの。それならばもう少し夜くらいから始めるのが定番の筈だけれど、と人混みに酔って少し痛む頭を押さえながら考えた。未だに怒りの声は飛んでこない。もしかして違う人だろうかと少し思った。

「お前と、」

「え?」

ようやく少しばかり静雄が何かを呟いた。話し難い内容のようだ。迷っているようにも見える。

「お前とクリスマス過ごす約束してたから来たんだろうが」

は、と語尾を上げて訊ねたかったが、残念なことに言葉は出なかった。生憎静雄とそんな約束をした憶えはない。クリスマスに俺を殺すって決めてたのって軽口を叩いてしまえばよかった。それなのに出来なかったのは、静雄の顔があまりに赤くて、それがどう考えても折原臨也に対する態度とは思えなかったからである。

「人違い、じゃない?」

その可能性はいくらなんでも低すぎると混乱した頭でも分かっていた。それでも静雄が臨也にクリスマスの誘いをかけるよりは随分可能性は高い。そもそも静雄にクリスマスを共に過ごす相手がいることの方が驚きの事実だった。多人数ならまだしも、一人を誘うなんて。臨也は少しばかり喉の奥が痛んだように思えた。

「何言ってんだよ、お前は臨也だろうが」

はっきりと、少しだけ怒ったように静雄が言った。思わず臨也の足がじり、と後ずさった。それに気が付いたのか静雄が臨也の腕を掴む。いっそ夢だと思ってしまいたいのに、掴まれた腕の痛みと感触があまりに現実的で怖くなった。軽口で返してしまえばよかったのに、一度閉口してしまった時点で負けを認めたようなものだ。とにかくこの場を収めるには状況を認めるしかない。嘘でもだ。

「ごめんね、俺うっかり忘れてたみたい! とにかく寒いし一旦俺の家にでも来る?」

無理にテンションを上げても楽しくはならなかった。とにかく他の誰かに話を聞きたい。大体この場所で延々と気持ちの悪い問答をしているのは精神衛生上よくない。静雄を自分の家に招くのは初めてだったような気がする。臨也の知る限りでは今まで自分と静雄は敵対関係にあったはずなので、当然の話だが。
臨也が歩き出したら静雄は臨也の腕を持ったまま着いてきた。追い掛け回すでもなく大人しく後についてくる静雄を気持ち悪いと感じながら人目のない場所を歩いた。自分と静雄が仲良く歩いているところを見られて、変な噂でもたてられたらたまらない。人の噂は怖いものなのである。

部屋の隅から隅までじろじろと無遠慮に視線を這わせる静雄を放置して、臨也は携帯を手に取った。あらかじめ部屋のものに触らないようにとは言ってある。それからこの部屋から出ないようにとも。静雄に見られたら少々不都合なものがあるので、保険だ。臨也はこういう事態において真っ先に疑うべき人物に連絡をとることにした。

「もしもし?」

若干苛立ったような声になってしまったのは仕方がない。相手が異常な状況の犯人だろうと思っていたのならば尚更だ。

『やあ、君かい』

あくまで普段通りの声だった。それでも腹の中で何を考えているのか知れない。臨也の知る限り、中学時代からそういう男だった。

「シズちゃんがおかしいんだけど、お前のせいじゃないだろうな」

静雄に聞かれたらまた面倒臭い事になりかねないので声を潜めた。静雄は部屋をあらかた見終えたのか、今はじっと臨也の方を見ている。電話の相手が気になるのかもしれない。眉間に少しばかり皺が寄っていた。ずっと見ているとなんだか変な気分になりそうだったので目を逸らした。電話の相手との会話に無理やり意識を繋げる。

『訳が分からないな。変っていうのは一体どういうことだい?』

あまりに簡単に返されて拍子抜けした。電話の相手――――新羅の言葉には何の悪意も嘲りも含まれてはいなかったので、臨也は何となく気を削がれてしまった。もしかしたら本当に関係が無いのかもしれない。疑ってかかったのは悪かったが、新羅の常の態度にも非はあるはずだ。
幾分か柔らかくなった声で会話をしていると、段々会話がかみ合わなくなってきた。元より新羅と話が合うことはそうそう無いのだが、それを踏まえても違和感が拭えない。お互いに聞き返すことが増えてきて、臨也は再び苛立ちが増すのを感じた。新羅が悪いわけではないとは分かっている。少し強めの声で話を進めようとすると、若干相手の声にも険しさが見えた。

「もう、今日はなんだかおかしいよ君。大体君らの痴話喧嘩に僕を巻き込むのはやめてくれないかな!」

「はあ!?」

いい加減に臨也の怒りも限界に達した。普段の静雄と臨也の喧嘩を痴話喧嘩と言っているのならば趣味が悪すぎる。状況が状況だけに数倍増しでだ。

「誰と誰を指して痴話喧嘩って言ってるのかな? 場合によっては許さないよ」

米神を触りながら幾分か冷静な声を出すよう努めた。血管が浮き出ていないことを確かめて静かに溜め息をつく。臨也は全くもってこれからの言葉に対して身構えていなかった。新羅の呆れたような声が耳に届く。

「何を言っているんだい? 君と静雄のことに決まってるじゃないか。まさかあれだけいちゃついておいて今更恥ずかしいとか言うつもりじゃないだろ?」

付き合いきれないよ、とプチッと切られた通話を気にすることも出来なかった。力の抜けた手から滑り落ちた携帯が床を打っても臨也は反応することができなかった。今日の世界は本当におかしい。今日何度目か分からない、夢なんじゃないかという考えを持った。自分にしては非現実的かつ安直な考えだ。新羅の笑えない冗談だ。そうに決まってる。臨也はそう言い聞かせながらパソコンへと走り寄った。
おい、と臨也を呼ぶ静雄の低い声を無視して、臨也は使う機会の多いチャット画面を開いた。

甘楽【こんにちはーっ皆さんのアイドル甘楽ちゃんですよぅ☆】

セットン【こんにちはー】

田中太郎【甘楽さんこんにちはー相変わらず痛いですね…】

甘楽【痛いってなんですか! ぷんぷん!】

甘楽【でも今日はそんなことより重大なニュースがあるんですよー!】

セットン【ニュース?】

甘楽【そうです! 皆さん池袋周辺について詳しいんでしたっけ?】

田中太郎【詳しいってほどじゃないですけど…知ってはいますよ】

セットン【私もまあそんな感じです】

甘楽【なら大丈夫です! その辺りでは有名な人の話なんですよぅ】

甘楽【前も話題に出ましたっけ、平和島静雄って人なんですけど…】

セットン【何かあったんですか?】

田中太郎【? どうかしたんですか?】

甘楽【あの人、恋人ができたらしいんですよぉー!】

セットン【あー…】

田中太郎【え】

田中太郎【あの】

内緒モード 田中太郎【あの、聞いたら失礼かもしれないんですけど】

内緒モード 甘楽【別に気にしないから言ってごらん】

内緒モード 田中太郎【えっと、じゃあ単刀直入に聞きますけど】

内緒モード 田中太郎【臨也さん、静雄さんと別れたんですか?】

甘楽【gお】

甘楽【ごめんなさいちょっとお月さまからのお迎えがきちゃったのでおちますねー☆】


甘楽さんが退室されました。


セットン【おちてらー】

セットン【お月様からのお迎えって】

田中太郎【おちてらですー】

内緒モード 田中太郎【あの、気分を害しちゃったならすみません…】
       
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臨也は躊躇いもなくシャットダウンを押した。事実を裏付ける証拠が揃いすぎて臨也はむしろ冷静になることができた。オカルトじみた考えしか浮かばなかったが、デュラハンや妖刀がある世界だ。少しくらいの不思議があってもおかしくはない。
パラレルワールドに迷い込んだんじゃないか。それが臨也の立てた仮説だった。いくつもの平行世界の中で、認めたくはないけれど自分と静雄が恋人だという世界があったのかもしれない。おそらくその中に迷い込んでしまったのだろう。実は全部自分を貶めるための嘘だったんじゃないか、とも思ったが、静雄に新羅に田中太郎こと竜ヶ峰帝人が協力して嘘をつくほど各々に暇はないだろう。そもそも今日はクリスマスだ。そんな日をわざわざ無駄にはしないだろう。
それに、静雄は嘘でも自分と恋人にはならない。

「おい」

いい加減に痺れを切らした静雄が臨也のほうへと寄ってきた。煙草の匂いを強く感じる程度には近くに来られて、臨也は少しばかり動揺した。笑顔を浮かべたままさりげなく後退りしたら、静雄がみるからに不機嫌な顔をした。腕をぐん、と引かれて顔が何かにぶつかる。目の前は黒くて、それが何を意味するのか気付くまでに数十秒を要した。

「臨也ァ」

耳元で囁かれた声はどことなく甘い。いつも聞く声とは大違いだ。煙草の匂いが鼻いっぱいに広がる。
抱き締められた。抱き締められた。臨也の頭の中をその事実だけが埋め尽くしている。静雄の腕の力が強くなるたびに臨也の身体が小さく跳ねた。臨也の黒髪に埋められた静雄の鼻先が緩く動く。甘い匂いがする、と囁かれて臨也は冗談ではなく憤死しそうになった。



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